『独占欲モード、妹の本音』
翌朝。
朝食のテーブルには、トーストとスクランブルエッグ、そしてぎこちない沈黙が並んでいた。
「……いただきます」
「……うん、どうぞ」
ひよりが作ってくれた朝ごはん。味は相変わらず美味しい。けれど、ひより自身はどこか静かで、元気がなかった。
(……やっぱ、まだ気にしてるよな)
“恋人役演技力対決”の件。
出場ペアが正式に決まり、俺は事務所推薦でエントリーが通ってしまった。
ペアは、LinkLiveの中堅V・《星宮メア》という、クール系お姉さんキャラの人気配信者。
当然、ひよりとは組めない。
それは、昨日からずっと変わらない事実だった。
***
出発前、荷物をまとめていると、ひよりがぽつりと呟いた。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「演技って……どこまでが“ウソ”で、どこからが“ホント”だと思う?」
その問いは、不意打ちだった。
「えっと……どういう意味?」
「昨日、星宮さんのアーカイブ見てたよね?」
「ああ……勉強のために」
「……そっか。うん、いいと思う」
笑ってる。でも、その目が少しだけ赤い気がした。
「ねえ。たとえば、台本に“好き”ってセリフがあったとするじゃん? それって“演技”だとしても、言われた側はどう思うんだろうね」
「……ひより」
「私さ……お兄ちゃんの“ぎゅー”に、ちょっと本気でドキドキしちゃったから。……バカだよね、私」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
それは、たぶん俺のせいだ。
配信の中で、ひよりを想って、自然に出たあの言葉。
「俺は、ひよこまるだけでいいよ」――それは、演技なんかじゃなかった。
「……ごめん」
「ううん、謝らないで。だって、お兄ちゃんは悪くないもん。ちゃんとお仕事してるだけだし」
それでも――と、ひよりは小さく笑った。
「ちょっとだけ、独占欲わいちゃっただけ。……“お兄ちゃんの声”、誰にも取られたくないなぁ、って」
「……」
「でも、応援はするから。だから――がんばってね、“レイ=アマギ”」
そのとき、彼女は笑っていた。
だけど、それはまるで――見送るときの笑顔だった。
***
その日の夕方。
事務所のリハーサル室。
俺はペアの星宮メアと打ち合わせをしていた。
「よろしくね、レイくん……でいいのかな?」
「あ、はい。天城コウって言いますけど、普段はレイ名義で」
「うん、知ってる。“甘々兄”として最近バズってるから、ちょっと気になってた」
星宮メア――その実体は、落ち着いた雰囲気の大学四年生。
外見も声も大人っぽくて、どこか安心感のある人だった。
「私、こういう“カップル演技”は得意ってわけじゃないけど……君の声、すごく自然体だから、合わせやすいと思う」
「ありがとうございます……頑張ります」
返しながら、ふと思う。
自然体。演技。どこまでが“嘘”で、どこからが“本音”なのか――。
その境界が、日に日に曖昧になっていく。
***
その夜。
ひよりは、自室にこもっていた。
珍しくドアが閉まっていて、「お兄ちゃん、今日はひとりで寝るー」なんてメッセージが来た。
(……そりゃ、そうだよな)
気持ちは、わかる。
俺だって、逆の立場だったら――誰かがひよりと“恋人役”やってるの、見るのキツいかも。
でも。
でもさ――
――なんで、こんなに気になるんだろう。
***
夜中。
ふと廊下に出ると、ひよりの部屋から微かに音がした。
「……レイくん、好き、だよ……」
それは――練習ボイスの録音音声だった。
今は喉が完治していないから、配信には出られない。でも、ボイスだけは、少しずつ収録してると聞いていた。
その中の一節が、偶然聞こえてしまっただけ。
けれど、それだけで――胸が、妙に苦しくなった。
(ああ……やっぱ俺、演技だけじゃ済まされないかもしれない)
ひよりの声が、俺の中に残っていた。
それは、耳じゃなくて――心で、響いていた。