『恋のコメント欄は止まらない』
夜。
俺は、モニターの前に座っていた。
配信開始まで残り五分。
音声ミキサーの設定、カメラの角度、モーションキャプチャの起動――もう準備に手間取ることはなくなった。
画面の中にいるのは、可愛らしいひよこ系アバター――《ひよこまる♪》。
……だけど、今日の配信は少しだけ違う。
新たに作られた男性アバター、《レイ=アマギ》が、その隣に並んでいた。
「……兄妹ユニット《ひよりとレイ》、爆誕、か」
名前の割に緊張感マシマシだ。
これからやるのは、「甘々兄妹日常ボイス劇場」。
ひよりが事前に用意した台本に沿って、兄妹っぽい掛け合いをする、いわば“半分茶番”みたいな配信だ。
だが、事務所が本気で仕掛けてきたコラボ企画の第一弾でもある。
(演技なんてしたことねぇし……今日こそ、ボロが出るかも)
けれどそのとき、通話が繋がった。
『お兄ちゃん、大丈夫? 緊張してる?』
「……ひよりこそ、喉もう平気なのか?」
『ん……まだ本調子じゃないけど、今日は“合いの手”だけ入れるつもりだから大丈夫。……それに、レイくんが一緒なら平気だもん♪』
どこか、甘えたような声音。
それを聞いた瞬間、不思議と肩の力が抜けた。
よし。やるしかない。
――そして、配信スタート。
***
「やっほーみんな! ひよこまるだよっ♪ そして今日は――」
『はじめまして。《レイ=アマギ》です。……今日から“妹”と一緒に、ゆるゆると配信していきます』
コメント欄が一気に湧く。
《誰このイケボ!?》《レイくんガチで声良すぎ…》《兄妹って設定でしょ?ほんとに?》
《もうこれ恋人じゃん》《ていうか、ひよこまる照れてない!?》《尊い……》
セリフ劇場は、ひよりの書いたベタ甘台本。
「妹の宿題を手伝うお兄ちゃん」「眠れない妹に添い寝してくれる兄」などなど――。
正直、リアル兄妹がやるには、ちょっとギリギリを攻めすぎてないか? という内容だった。
『……どうしても眠れないなら、手、握っててあげようか?』
『……うん、落ち着く……お兄ちゃん、ずるいよ、そういうの』
――うわああああああ!!
内心では叫びながらも、演技(なのか?)を続ける。
けれど、コメント欄はすでに“新たなカップリング”として爆進中だった。
《レイひよ最高!》《イチャイチャすぎて心臓に悪い》《これが公式ってマジ!?》
《レイくんの声、心臓に悪いレベル》《ひよこまるの照れ方がリアルすぎる》
なかには、“兄妹”ではなく“恋人”だと思い込んでいる視聴者も続出。
(……まずいな。これ、完全に“恋の空気”になってる)
そしてその最中――ひよりがアドリブで、こんなセリフを入れてきた。
『ねぇ、お兄ちゃん』
『ん?』
『……レイくんが、他の女の子とコラボとかしたら……やだ、かも』
その瞬間、コメント欄が爆発した。
《独占欲きたああああ》《これはリアル!》《いやこれ付き合ってるだろ!》
《公式が最大手》《ていうかこの演技力、ほんとに声優じゃないの!?》
「……はは。そっか。じゃあ……俺は、ひよこまるだけでいいよ」
返してから、自分の言葉にハッとする。
(……今の、素だったかも)
その空白の数秒。
ひよりは何も言わなかった。
けれど、画面の中のアバターが――ほのかに頬を染めていた。
***
配信を終えた後、ひよりから通話が入った。
『……お兄ちゃん』
「……ん?」
『最後のセリフ……本気だった?』
「……さあな。どうだろ」
言葉を濁した。けれど、本当は。
――本気で言ったに決まってる。
ひよりが、誰かのものになるなんて――想像したくもない。
……それって、妹に対して言うことか? わかってる。けど。
この声が、誰かの心に届いた瞬間――
俺の中の何かも、変わり始めていた。
***
次の日。事務所の神代から、メッセージが届いた。
『昨日の配信、同接5万オーバー。過去最高記録だ。』
『あと、ひよりちゃんとレイくんの関係、あえて曖昧なままでいこう。公式カップル路線、ファンが盛り上がってる』
「……マジかよ……」
声を届けるだけの“代役”だったはずなのに――
俺たちは今、“二人でひとつ”の存在として見られ始めている。
そして、その関係に――ひよりも、俺も、どこか嬉しそうだった。
――でも、まだ知らなかった。
このバズりが、“恋と炎上”の両方を呼び寄せることになるなんて。