『女王様とカップ麺』
深夜0時を過ぎた頃、マンションの静寂を破るように、夜々のお腹が鳴った。
「………………」
キッチンの壁時計をちらりと見る。
冷蔵庫には残り物のパスタソース。だが、麺はない。冷凍ごはんもない。
代わりに、棚の奥から発見されたのは――
「おぉ……ノワール=クロエ、緊急事態用の糧を見つけたわ」
満足げにカップ麺を掲げる夜々。味はシーフード。賞味期限もギリギリセーフ。
「さあ、我が深夜の晩餐よ。湯を沸かすがいい!」
電気ケトルにスイッチを入れ、湯気が立ち始める。
すっぴんに部屋着、髪は三つ編みのまま。完璧な「オフ女王様」モードである。
「よし……注ぐわよ」
カップにお湯をそそぎ、蓋をピタッと──
……閉まらない。
「………………あれ?」
湯気で反り返ったフタが、カポカポと浮いてしまう。
「え、ちょっと待って、いやいやいや、閉じなさいよ。女王命令よ?」
言い聞かせても、紙は言うことを聞かない。
「ふた押さえ……ふた押さえ……っ!」
近くにあったものを試していく。
・コミックス第8巻(重さ不足)
・スマホ(傾いて滑る)
・箸
・ハンガー(意味不明)
「くっ……全ての民に見せられない姿すぎる……!」
最後は指で押さえる、という原始的手段に出た夜々。
そのまましゃがんでカウントを始める。
「いーち、にーい、さーん……っつー! あっつ!」
悲鳴を上げて指を引っ込める。
「なんで……! なんでこんな戦いが……!!」
女王様、カップ麺相手に敗北の危機。
ようやく3分が経過し、湯気がほどよく落ち着いた頃。
夜々は立ち上がり、カップを持ち上げた。
だがその瞬間、底がわずかに濡れていたためか――
「──ひゃっ!? や、やばっ……!」
滑った。
そして。
バシャアッ!
「きゃああああ!? 麺がぁあああっ!!」
フローリングに飛び散る、白いスープと柔らかくなりすぎた麺。
「……ぅう、せっかく……せっかく、私の夜食だったのに……っ」
床に膝をつき、しゃがみ込む夜々。
笑ってしまうほど、情けない格好だった。
「こんなとこ……誰にも……見られたくないわよ……」
その言葉が、フラグになるとは思いもせず。
◇ ◇ ◇
翌日。事務所の休憩スペース。
カップ麺の自販機を前にして、夜々は虚空を見つめていた。
(今日は大人しく、ボタン一つで済むやつにしとこ……)
だが、何かが気になった。
昨日の敗戦がフラッシュバックする。
お湯が多かったのか、スープが熱すぎたのか、蓋が裏切ったのか――。
そこへ。
「……夜々さん、昨日、夜中に叫びませんでした?」
唐突に背後から聞こえた低音ボイス。
「ッ……!?」
振り返れば、そこに立っていたのは――天城コウ。
マイペースで、どこか間の抜けた顔をしている。だが、その表情に含み笑いがあるのが気に障った。
「え、なに? どういうこと?」
夜々が眉をひそめて問い返すと、コウはスマホを取り出し、イヤホンを差し出した。
「昨日の自分の配信アーカイブ、チェックしてたらさ……これ、10分50秒あたり」
何の気なしに受け取ったイヤホンを耳に当てた瞬間。
『麺がぁあああっ!!』
夜々の叫び声が、鮮明に。
「うわああああああっ!?!?」
イヤホンを弾き飛ばし、顔を真っ赤に染める。
「な、なんで入ってるの!? 嘘でしょ!? 配信されてたの!? え、待って待って、あれ私じゃないしっ!」
必死の言い訳。だがコウは、にやにやと笑いながらコーヒーを飲んでいる。
「いやあ……夜中に何が起きてたのか、想像しちゃうよなあ……」
「やめろおおおお!!」
「たぶん……蓋が閉まらなかったとか?」
図星すぎて、夜々は椅子の陰に隠れる。
「わ、笑ったら……殺す……!」
それでも笑いを堪えきれないコウに背を向け、夜々はそそくさとその場を立ち去った。
◇ ◇ ◇
夜、自室。
こっそり配信アーカイブを開いた夜々。
イヤホンを耳に押し込んで、10分50秒に再生バーを合わせる。
──『麺がぁあああっ!!』
自分の悲鳴が、思ったよりも情けなく響いた。
「……まじで入ってる……バカ……」
毛布を頭からかぶって、しばらくそのまま動けなかった。
でも、少しだけ笑ってしまったのも事実で。
「……誰にも見せないって、決めてたのに」
誰かが、聞いてくれるだけで。
ほんの少し、気が楽になることって……あるのかも。
夜々はカップ麺のパッケージを抱きしめながら、電気を消した。




