幕間デート?:不知火 夜々(よよ)編 「静寂の夜に灯る声」
事務所の喫茶室って、なんでこんなときだけ静まり返るんだろう。
本当に、今日は……どうして、他に誰もいないの?
「夜々さん、こんにちは。ご一緒しても、いいですか?」
その声に、私は心臓を飛ばしかけた。
「えっ、あ、天城くん……こんにちは。もちろん、どうぞ」
落ち着いて。落ち着いて、わたし。
彼はただ、偶然ここに来ただけ。別に、ふたりきりになりたかったわけじゃ――
「この前は、本当にありがとうございました。初配信前、夜々さんのアドバイスがなかったら、あそこまで自信を持てませんでした」
「そ、そんな……私はただ、ちょっと助言しただけで……。あの配信、本当に素敵だったわ。あなたの声、ちゃんと届いてた」
……やっぱり、ずるい。
その声。その目。その言い方。
敬語で話されるたびに、私が“年上”だって、痛いほど意識してしまう。
なのに、私のほうが落ち着かないのは、どういうことなの。
「実は……お礼を言いたかったのは、私のほうなの」
私は、思い切ってカバンの中を探った。
何度も出そうとして、出せなかった、あの封筒。
「これ、コンサートのチケット……なんだけど。来日してる海外のクラシック楽団で……その……前から、誘おうと思ってて……」
顔、熱い。言葉、つっかえる。
年上らしく、落ち着いて話したいのに。
彼は、ふっと笑って、封筒をそっと受け取った。
「光栄です。夜々さんと一緒に行けるなんて、楽しみです」
――ずるい。そうやって、軽く“嬉しい”って言われると、もう断れない。
でも。
(ありがとう、来てくれて。気づいてくれて)
これが、私の“小さな勇気”。
* * *
コンサート当日。
私は、自分の鏡を前にして、10回以上ため息をついた。
「……やっぱり、これ、ちょっと大胆すぎるかな」
黒のドレス。クラシカルなライン。
そして――背中が大きく開いたデザイン。
ストールを羽織れば、問題ない。
でも、会場に入ったあと、彼の前で外すって決めてる。
今日だけは、私も……“年上の余裕”を見せたい。
会場ロビー。彼は、ネイビーのジャケットに黒のパンツ。
いつもよりちょっとだけ、かっこいい。
「夜々さん……今日の装い、とてもお似合いです」
「ふふ、ありがとう。……じゃあ、行きましょ?」
私はストールを外した。
その瞬間、彼の視線が止まった気がして――
嬉しくて、でも、死ぬほど恥ずかしかった。
* * *
コンサートは、素晴らしかった。
けれど、音楽以上に心を掴んだのは、隣にいる彼の横顔だった。
まっすぐにステージを見つめて、真剣に耳を傾けて。
その瞳に、私も少しだけ、映ってたらいいな――なんて。
終演後、会場を出ると、夜空からふわりと雨粒が落ちてきた。
「……急に降ってきましたね」
「こっち、こっち。あの軒下で、少し雨宿りを……っ、きゃっ!」
つるっと滑った足元。
咄嗟に私の腕を掴んでくれたのは、彼だった。
でも――バランスを崩した彼が、そのまま後ろから私を抱きとめて。
「あっ……」
ぴたりと、背中に彼の胸。
肩越しに、彼の吐息がかかる。
そして――
「す、すみません……っ!」
そのとき、彼の唇が、背中に触れた。
「………………っ!」
背中が、火照った。
全身が、心臓の鼓動になった。
動けない。言葉も出ない。
でも、どこかで思ってしまった。
(ああ、やっぱり……この人が、好き)
* * *
帰り道、何も話せなかった。
彼も、少しだけ気まずそうで――でも、それすら愛しくて。
帰宅して、ドアを閉めた瞬間、私はベッドにダイブした。
「う、うわあああああああああああああっ……!!」
心臓が爆発しそう。
でも、背中に残る“あの感覚”は、絶対に忘れられない。
スマホを見れば、彼からのメッセージが届いていた。
『今日はありがとうございました。すごく素敵な時間でした』
『また、どこかにご一緒できたら嬉しいです』
「……もう、好きにならないわけないじゃない……」
私はスマホを抱きしめながら、瞼を閉じた。
この夜を、ずっと胸にしまっておこう。
だって、私の中で“灯り”がともったのは――この日だったから。




