『代役の声、リアルすぎ注意報』
翌朝、目覚ましの音ではなく、スマホの通知音で起こされた。
まだカーテンを開けていない部屋の中、うっすらとした光が差し込む。
ベッドの中でスマホを手に取ると、画面いっぱいに並ぶ通知の山が目に入った。
「#ひよこまる中の人が彼氏説」
「今日のひよこまる、マジで破壊力やばかった」
「妹キャラなのにリアル恋人感ってどういうこと」
「……えぇ……?」
寝ぼけたままタイムラインをスクロールしていた手が止まった。
昨夜の配信、バズっていた。
いや、予想以上の反響だった。切り抜き動画は数時間で数万再生。
まとめサイトにまで「今週のVtuber事件簿」として載ってる始末。
(俺……“事故”ってたのか、あれ……?)
身バレはしていない。もちろん顔出しもないし、声は加工してある。
だが、どうやら“イケボ過剰供給”という意味で別方向に事故っていたらしい。
そして、その勢いに油を注ぐように――
「お兄ちゃーん、朝ごはん持ってきたよー!」
ひよりの声が、キッチン側から響いてきた。
***
「……で? この状況、どう説明してくれるの?」
プリンパンケーキ(!)を前に、腕を組んで詰め寄ると、
ひよりはぷくっと頬を膨らませた。
「何が〜? ひよこまる、可愛かったでしょ?」
「“可愛かった”っていうか、俺の声で“彼氏できた説”出てたんだけど!?」
「……ふふっ、なんか照れるね、それ」
「照れるなよ!」
ツッコミを入れつつも、どこか憎めない。
プリンとパンケーキの香りに負けて、ついフォークが進んでしまうあたり、俺も弱い。
「でも……ホントに助かった。ありがとう、お兄ちゃん」
食器を片付けながら、ひよりがぽつりとこぼしたその声は、どこか寂しげだった。
「喉がダメって言われたとき、正直、すっごく怖かったんだ。全部、終わっちゃうって」
「終わるわけないだろ。フォロワー20万人いるんだぞ、あんた」
「……その20万人が、いっせいに離れたらって思ったら、眠れなくて」
今まで“天真爛漫な妹”として接してきたひよりの、その脆さに――俺はちょっと、言葉を詰まらせた。
「でもさ。昨日のコメント、見た?」
「うん……『彼氏できた?』ってやつでしょ」
「そっちじゃなくて、『今日のひよこまる、なんか元気もらえた』ってやつ」
ひよりの手が、洗ったマグカップをふきんで拭きながら、ぴたりと止まる。
「……あれ、なんか、嬉しかった」
「だろ? 声ってさ、ただの音じゃないんだなって思ったよ。たぶん、誰かにとっては……」
――生きる力になるんだ。
そう言いかけた言葉は、喉元で止めた。
気恥ずかしくて、言えなかった。
でも、ひよりには伝わったのか、小さく笑ってこう言った。
「じゃあさ、もう少しだけ――代打、お願いしてもいい?」
「……ん。しゃーねぇな。今日の夕方も配信、あるんだろ?」
「うん! しかも今日は、新作グッズの発表あるから、テンション高めでお願いね!」
軽口を交わすその一方で、俺の胸には小さなざわめきがあった。
(このままじゃ、やばいかもしれない)
演じてるだけ、代打なだけ。
だけど――ひよりの世界に、俺の“声”が、深く入り込んでいく気がしていた。
***
その日の夕方。
配信が始まると、昨日よりもさらに視聴者数が増えていた。
『今日はひよこまる、ちょっと大胆な衣装です〜♡』
『……え、これ、妹キャラだよな?』
『今日の声、なんか……もっとリアルじゃね?』
コメントが、止まらない。
声が届いている――それは、紛れもない事実だった。
だけど同時に、俺の中にはひとつの懸念が浮かんでいた。
(……このまま人気が出続けたら、どうなるんだ?)
“ひよこまる”の中の人が、本当に自分じゃないとバレたら――
いや、何より――ひよりが、この状況をどう思ってるのか。
そんなことを考えていると、裏でモニターを見ていたひよりから通話が入る。
『お兄ちゃん、……その声、ずるいよ』
「え?」
『なんか……私より、うまく“ひよこまる”やれてる気がして、ちょっとだけ、悔しい』
その言葉に――胸がぎゅっと締め付けられた。
彼女は、俺を信じて任せてくれた。
だけど、その一方で――きっと、少しだけ寂しいのだ。
「……悪い。俺、演技、うまくなったかも」
冗談めかして言ったその声は、なぜか少し震えていた。