『イケボに託されたプリンの誓い』
喉の奥に、妙な感覚が残っていた。
それは緊張でもなく、不快感でもない。例えるなら……プリンを一気に食べた後の、ちょっとした後悔と幸福感。
いや、たぶんそれは錯覚だ。
天城コウ、大学一年生。ごく普通の一般人――だったはずなのに。
「……マジで俺がやるのかよ、これ……」
パソコンの前に座り、カメラのON/OFFを確認する。
モニターには、可愛らしいひよこ系のVアバター。《ひよこまる♪》。
動作確認済み。音声チェックも済んだ。
すべての準備は整っている。
……あとは、俺が「彼女」として喋るだけ。
いや、何度考えても頭がおかしくなりそうだ。
(そもそも、義妹の代わりに“中の人”をやるって、倫理的にどうなんだ?)
だが、その“倫理”とやらは、昨日のあの言葉にあっさりぶち壊された。
『お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!』
あのときのひよりは、本気だった。
強がりのように見えて、声の震えがあった。
大事な“居場所”を失うことへの恐怖――それが、彼女の表情ににじんでいた。
「……しゃあねぇ、やるしかねえ」
そう呟いて深呼吸。
カウントダウンのツールを確認し、通話アプリにログインする。
スタジオじゃない。機材もプロ用じゃない。
だけどこの瞬間、この部屋は“舞台”になる。
残り10秒。マウスに添えた手が、汗ばんでいた。
「行け、俺……ひよこまるだ」
カチリ。配信開始。
***
「やっほー、みんな! 《ひよこまる♪》だよっ♪」
テンション高めに、やや高音を意識して挨拶をする。
見よう見まね、いや――妹の真似。だが、意外にも違和感は少ない。
コメント欄がざわつく。
《なんか今日声違くない?》
《色っぽくない?え、ひよこまる…恋した?》
《これ、もしかして……中の人、変わってない?》
「えへへ、ちょっと喉の調子が悪いから、テンションでカバーするっ!」
ひよりが用意したテンプレート通りの“言い訳”。
けれど――その反応が、完全に予想外だった。
(……色っぽい、だと? いやいや、俺の声だぞ?)
けれど、その反応は止まらなかった。
《彼氏できた説あるなこれ》
《今日の声、やばい、好き……》
《むしろこれが本当のひよこまるだった説》
心の中でツッコミを連打しているうちに、配信は中盤に差しかかっていた。
「今日も、みんなに“ぎゅー”ってしたいなあ……♪」
地雷発言。完全に妹の台本にあるやつだ。
けど、口にしたその瞬間。
《今日のひよこまる、破壊力すごすぎ!》
《彼氏感ある“ぎゅー”に殺された……》
なぜか“中の人=リア恋彼氏説”が、視聴者の中で加速していく。
――やばい。バレるどころか、想像以上に“盛り上がってる”。
まさか、ここまで“代役”がハマるとは思わなかった。
けれど同時に、奇妙な感覚が胸の奥に残っていた。
(これって、妹の代わりにやってる……はずなのに)
俺の声で、誰かの心が動いている。
画面の向こうにいる誰かが、「今日のひよこまる」を好きになってくれている。
それが、なぜか――
少し、くすぐったくて。
少し、誇らしかった。
***
配信を終えて、マイクをオフにする。
椅子に身体を預け、ふぅ、と深いため息をひとつ。
「……なんとか、終わった……」
ふと、スマホに通知が入る。
ひよりからのメッセージ。
『お兄ちゃん、ありがと。バッチリだった!』
そして、スタンプ付きで送られてきた一言。
『……声、すっごくカッコよかったよ』
その瞬間――なぜか、胸の奥がギュッと締め付けられた。
妹から褒められて、こんなにドキッとするのはおかしい。
だけど、確かに今の彼女の言葉は、俺の中に刻まれていた。
プリンの味と、配信の余韻と、ひよりの声が――不思議に混じり合って。
「……まいったな、これは」
そして、まだ知らなかった。
この“たった一度の代打配信”が、すべての始まりだったことを。