「再会は、風の匂い」
大学の中庭には、早くも初夏の風が吹いていた。
キャンパス内を歩く学生たちの笑い声と、
アコースティックギターの軽やかな音が、風に乗って届く。
その中で、俺――天城コウは、自販機の前でぼんやりと炭酸のペットボトルを眺めていた。
「……あー、やっぱ微炭酸にしとけばよかったな」
ふと呟くと、背後から、どこか懐かしい声が聞こえた。
「それ、昔から言ってるよね、コウくん」
振り向いた先にいたのは、淡い茶髪のポニーテール。
白のカーディガンにワンピース姿――春らしい装いがよく似合っている。
「……みなと?」
「うん、久しぶり。ちゃんと覚えててくれてよかった」
真白みなと。
中学まで同じ学校だった、俺の元・同級生だ。
大学に入ってすぐのオリエンテーションで偶然再会し、
「あれ、コウくん!?」と声をかけられたときは本当に驚いた。
それ以来、たまに昼休みに顔を合わせることがあったが、
こうしてゆっくり話すのは、入学以来、久しぶりだった。
「大学、慣れた?」
「うん。課題は多いけど、楽しいよ。コウくんは?」
「俺もまぁ……忙しくしてる」
正確には、“妹の代役”としてVtuber活動中、とは言えないけれど。
「ふふっ、変わってないなぁ。なんか安心する」
みなとは、俺の目を見て笑った。
その笑顔が、どこか柔らかくて。
少しだけ、胸の奥があたたかくなった。
「ねえ、覚えてる? 昔さ、夜の海、見に行ったこと」
「……ああ、あの夏祭りの夜か?」
「うん。コウくんが、突然“逃げよう”って言って」
「そりゃあ……人混み苦手って泣きそうになってたから」
「うぅ……やっぱ覚えてたんだ……」
みなとは照れたように頬を赤らめ、肩をすくめる。
「でも、嬉しかったよ。あのとき、コウくんが一緒にいてくれて。
砂浜で風に吹かれて……なんか、映画みたいだった」
「……そんなに良い思い出だったのか?」
「うん。あれがね、わたしの“ありがとう”の始まりなの」
「“始まり”?」
「うん。“ありがとう”って、ずっと言いたくて。だけど、ちゃんと言えた気がしないから」
その言葉に、俺は小さく息を呑んだ。
思い出す。
あの夏、確かにみなとは俺の手をぎゅっと握って、
何も言わずに、ただ波音を聴いていた。
――でも、それだけだった。
「じゃあ……また、言ってくれればいいさ。“ありがとう”って」
「え?」
「何回でも聞くよ。たぶん、飽きないと思うから」
「……ふふ、コウくんって、昔からそういうとこ、ずるいよね」
みなとは俯きながら、小さく笑った。
その表情は、どこか寂しげで。
今の俺には、それが少しだけ引っかかった。
「ねぇ、今度さ――配信、しない?」
「配信?」
「うん。実はわたし、V系のサークルにちょっと関わってて。
この前、“夜の海”テーマのコラボ企画があったの。
それをね、再現したいってずっと思ってたんだ」
「……懐かしいな、それ」
「でしょ? だから、コウくんとデュエットとかできたら素敵かなって」
――やばい。地雷。
俺は咄嗟に心の中でそう叫んだ。
配信って、もしかして“Vtuberの配信”って意味だよな?
まさか、みなともV関係者?
いや、ただの趣味か? サークル内企画ってだけか?
「……俺、そういうの、あんまり詳しくなくてさ」
とりあえず当たり障りない返事をすると、みなとは「そっか」と微笑んだ。
「じゃあ、今は“ありがとうの予行演習”ってことで、また今度ね」
その言葉は、やけに耳に残った。
“ありがとうの予行演習”。
なんだ、それは。
だけど、みなとの声には、どこか“本音”のような、
恋の入り口みたいな響きがあって――
俺は気づかないふりをするしかなかった。
“ひよこまる”の中の人が、自分だということを。
――そして、彼女の“初恋”の続きを知らないまま。