腹が減っては戦はできぬ、ただし芸術は爆発する
無人島生活二日目。
朝日が水平線から顔を出し、楽園のような島を黄金色に染め上げたその時、俺たちの空腹は、ついに限界に達していた。
希望に満ちていたはずのサバイバル生活は、開始からわずか一日で、生存の危機という名のリアルな壁にぶち当たっていたのだ。
クラフトチームの拠点である、ひより作の豪華ツリーハウス(未完成)。
そのハンモックで力なく揺れながら、ひよりはうわ言のようにお腹を押さえている。
「お腹、すいた……。お兄ちゃん……あーん、して……」
(ここから、ひより視点)
だめだ……意識が朦朧としてきた……。
目の前に、お兄ちゃんが焼いてくれた、あの焦げ焦げのパンケーキが見える……。
ああ、あの時は黒歴史だって思ったけど、今なら炭でも食べられる……ううん、お兄ちゃんの愛情がこもってるなら、炭すらもご馳走だよ……。お兄ちゃん……どこ……?ひより、もう、がんばれないかも……。
「コウくん……アタシ、昨日の夜、伝説のMOB見つけたッス……」
洞窟探検から生還したメグが、マント代わりにしていた布をかじりながら報告してくる。
その目は虚ろだ。「岩みたいなゴーレムで、絶対レアドロップ持ってるって思ったんスけど……。
『同志よ、共にこの島の真理を探求しないか』って語りかけたのに、微動だにしなくて……硬すぎて歯が立たなかったッス……」
君が戦っていたのは、たぶんただの大きな岩だ。
「……星は、カニが美味しいと告げていますが……たくさん挟まれて、痛いです……」
ヤドカリの巣からなんとか自力で脱出したいのりは、両手の甲に無数の赤いハサミの跡をつけながら、遠い目をしていた。
「彼らは……『我らの領域を侵すべからず』と……そう、告げていました……」
その神託、もう少し早く受信してほしかった。
状況は、火を見るより明らかだった。
このままでは、クラフトチームはイカダを完成させる前に、飢えて全滅する。
俺は、最後の望みをかけて、もう一方のチーム、つまり俺たちの生命線であるはずの「食料調達チーム」の拠点へと向かった。
ジャングルの奥深く、そこには信じられない光景が広がっていた。
「あら、天城くん。ごきげんよう」
最初に俺に気づいたのは、夜々先輩だった。
彼女は、なぜか一体のクリーパーと優雅に向き合い、“ティーチング”をしていたのだ。
シュウウウ……と不穏な音を立てる緑色の生物に向かって、彼女はまるでバレエの教師のように、厳しくも情熱的な指導を行っている。
「いいこと?クリーパー。爆発というのは、ただの破壊行為であってはいけないの。それは、感情の表現であり、芸術なのよ。あなたのその内なる破壊衝動……もっと、こう……溜めて、溜めて……優雅に、爆ぜなさい!」
(ここから、夜々視点)
……まったく、この島の原生生物は、美学というものを理解していないわね。
ただ闇雲に爆ぜるだけでは、三流よ。
真の恐怖とは、その根源に抗いがたいほどの“美”が存在してこそ完成する。
この私が直々に、爆発のイロハを教えてあげる。光栄に思いなさい。
……あら、天城くんが見ているわ。
ふふ、ちょうどいいわ。彼に、この私の芸術的指導力と、カリスマを見せつけてあげましょう。
夜々先輩は、俺の視線に気づくと、さらに艶っぽく腰に手を当ててみせた。
もちろん、食料は一切手に入らない。
その隣では、ルイ先輩が巨大な砂の城を完成させていた。
波打ち際に建てられたその城は、繊細な尖塔や美しいアーチを持ち、もはやマインクラフトの建築物とは思えない芸術性を放っている。
「やあ、コウくん。見てくれたまえ、我が魂の傑作を。タイトルは『儚き生命の円舞曲』
寄せては返す波に、いつかはこの城も無に帰る……その刹那の美しさを表現してみたんだ」
あまりの完成度に、思わず見とれてしまったが、これもまた、食べられない。
唯一の、本当に唯一の希望は、みなとさんのキッチンだった。
そこからは、かろうじてではあるが、確かに食欲をそそる香りが漂ってくる。
俺は、砂の城から目を逸らし、その香りの元へと駆け寄った。
「みなとさん!何か食べられるものは……!」
「……はい。小魚のつみれ汁です。島のハーブを添えて」
差し出されたお椀の中には、黄金色に輝く美しく透き通ったスープと、寸分の狂いもなく丁寧に形作られたつみれが、二つだけ、ちょこんと浮かんでいた。
その香りは、空腹の胃袋を優しく、しかし残酷に刺激する。
「……二つ?」
俺の問いに、みなとさんはプロの料理人のような、静かで真剣な瞳で頷いた。
「あの、みなとさん。これ、全員分は……」
「……ありません。最高の味を追求した結果、三匹の魚の旨味のすべてが、凝縮されたのがこの二杯です」
ですよね。俺は絶望に打ちひしがれた。
この島には、食料調達という概念は存在しない。
存在するのは、芸術と、美学と、グルメ道だけだ。
俺がその場で崩れ落ちそうになった、その時だった。
「見て見て、お兄ちゃん!」
茂みの奥から、るるが満面の笑みで駆け寄ってきたのだ。
「とんかつちゃんが、すっごく大きくて甘い木の実、見つけてきてくれたの!」
彼女の後ろから、ペットになったブタのとんかつちゃんが、鼻をフンフン鳴らしながらついてくる。
その口には、確かに瑞々しい紫色の果実が咥えられていた。
その果実は、まるで自ら光を放っているかのように艶やかで、甘い蜜の香りをあたりに振りまいている。
「おお!るるちゃん、お手柄じゃないか!」
「えへへー。とんかつちゃん、賢いの!」
ようやく手に入った、まともな食料。全員が、その神々しい果実にありつこうと目を輝かせた、その時だった。事件は起きた。
果実を運び終えたヒーロー、とんかつちゃんが、ふと、夜々先輩が丹精込めて(しかし、まだ何も実ってはいない)作り上げた“女王様の農園”に足を踏み入れたのだ。
そして、あろうことか、その肥えた鼻先で、美しく耕された土を掘り返し始めた。
「こらっ!とんかつちゃん、ダメだよ!」
るるの制止も虚しく、農園は無残に荒らされていく。その光景を目の当たりにした夜々先輩の肩が、わなわなと震え始めた。
「……わたくしの……わたくしの、神聖なる庭園を……ただの家畜が……っ!」
彼女の瞳に、静かな怒りの炎が宿る。それは、芸術を冒涜された創造主の、聖なる怒りだった。
「許しませんわ。……ルイ!あのブタを捕らえなさい!今夜のディナーは、ポークソテーよ!」
その冷たく、しかし絶対的な響きを持った一言が、全面戦争の始まりの合図だった。
「やだーっ!とんかつちゃんは、るるのお友達なのー!」
るるが泣きながら、小さな体でとんかつちゃんを庇う。
夜々は、そんな彼女を冷徹な瞳で見下ろし、杖の先をとんかつちゃんに向けた。
「ならば、その友達ごと、わたくしの芸術の贄にしてくれる!」
クラフトチームと食料調達チームの間に、修復不可能な亀裂が入った瞬間だった。
腹が減っては戦はできぬ、とはよく言ったものだ。
だが、俺たちの場合は、腹が減りすぎたせいで、仲間同士で戦を始めることになってしまったらしい。
この楽園は、今、愛と友情と空腹が渦巻く、カオスな戦場へと姿を変えようとしていた。