ここは愛の楽園で、伝説の始まりの地
カスタムマップ「リンクライブ・サバイバルアイランド」にログインした瞬間、俺たちの目の前に広がったのは、現実の喧騒を忘れさせるほどの絶景だった。
どこまでも透き通るエメラルドグリーンの海が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
粒子の細かい白砂のビーチが緩やかな弧を描き、その奥には手つかずの緑が生い茂るジャングルが広がっていた。
空には絵に描いたような入道雲が浮かび、耳を澄ませば、寄せては返す優しい波の音と、名も知らぬ鳥たちのさえずりが聞こえる。
まさに、楽園。南国のリゾートパンフレットからそのまま切り抜いてきたかのような光景に、誰もが息を呑んだ。……そう、見た目だけは。
「わぁ……!すごい!お兄ちゃん、見て!海がキラキラしてる!」
感動のあまり、ひよりは俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。
その瞳は、冒険への期待で満ちあふれている。
まあ、彼女の言う「冒険」が、サバイバルではなく、十中八九「お兄ちゃんとの甘い逃避行」を指していることは、言うまでもない。
「うおおお!このマップの生成アルゴリズム、絶対隠しダンジョンがあるパターンっすよ!見てくださいよこの地形!初期地点の近くに意味深な洞窟とか、完全にフラグじゃないですか!」
メグは、どこから取り出したのか古びた地図のようなアイテムを広げ、ゲーマー特有の早口で分析を始めている。
その目はすでに、脱出という目的ではなく、この島に眠るであろう「お宝」に釘付けだった。
俺は、そんな自由すぎるメンバーたちを見渡し、リーダーとして、そしてこの企画唯一の常識人(ツッコミ役)として、一度咳払いをして皆の注意を引いた。
「よーし!じゃあ、まずは作戦会議だ!クラフトチームは拠点とイカダの設計図から!食料調達チームは、日没までに食べられるものを……」
俺が真剣な面持ちで声を張り上げる。
その声は、しかし、メンバーたちのあまりにも自由すぎる行動によって、南国の心地よい潮風と共に、あっけなく空気に溶けていった。
「お兄ちゃん!見て見て!あそこの大きな木、すっごく立派じゃない?」
俺の話を全く聞いていなかったひよりが、ビーチの端にそびえ立つ巨大なガジュマルの木を指差した。
確かに、その木は島のシンボルのように雄大で、何本もの太い枝が天に向かって伸びている。
だが、彼女の関心は、その木がイカダの材料としてどれだけ優秀か、という点にはなかった。
(ここから、ひより視点)
すごい……!あの木、まるで絵本に出てくる秘密基地みたい!あそこにツリーハウスを建てて、お兄ちゃんと二人で暮らすの!夜はハンモックに揺られながら、二人で満点の星空を眺めて……。
危ない虫が来たら、お兄ちゃんが「ひよりは俺が守る!」って言ってくれるんだ!きゃー!何それ、最高すぎ!イカダなんて後でいいの!大事なのは、まず二人の愛の巣を作ることなんだから!
「ここにツリーハウスを建てて、夜は二人で星を見ようよ♡」
ひよりは、イカダの最重要素材であるはずの、その貴重なガジュマルの木に向かって、目を輝かせながら駆け出した。そして、一心不乱にインベントリから斧を取り出し、加工を始める。
彼女が作っているのは、脱出用の船ではない。どう見ても、壁にハート型の窓までくり抜かれた、ハネムーン用の豪華なコテージだった。
「コウくーん!ちょっと見てくださいよ!あの洞窟、なんかオーラがやばいッス!」
ひよりとは逆方向に走り出したのはメグだった。
彼女が指差す先には、崖の中腹にぽっかりと口を開けた、不気味な洞窟。
「絶対、伝説のMOBのドロップアイテムが眠ってる!ちょっと、一狩り行ってきます!」
メグは、本来イカダの帆になるはずだった大きな布をマントのようにはためかせ、未知の暗闇へと消えていった。彼女にとって、このサバイバルは、己のゲーマー魂を試す最高のクエストなのだ。
脱出よりもレアアイテムの方が、価値が高いらしい。
「……星が、囁いています」
一人、静かに浜辺に佇んでいたいのりが、ぽつりと呟いた。
彼女は海岸で拾った、虹色に鈍く光る奇妙な石を手に、目を閉じている。
その姿は、まるで神託を待つ巫女のようだ。「この砂浜の下に……私たちを導く、光る何かがある……と。たぶん」
その曖昧すぎる神託を信じ、スコップで砂浜を掘り始めた彼女が、数分後に巨大なヤドカリの巣のど真ん中に落下し、大量の子ヤドカリに囲まれて「ひゃああああ!硬くて小さい何かが、いっぱいですぅぅぅ!」と絶叫するのは、また別の話だ。
俺は、たった一人、浜辺で虚しくヤシの木を殴り、小さな作業台を作っていた。
背後では、ひよりが「お兄ちゃん、お風呂はやっぱり檜風呂がいいな♡露天で!」と楽しそうに鼻歌を歌っている。……なあ、俺たち、遭難してるんだよな?この状況、あまりにも平和すぎやしないか。
一方その頃、ジャングルの奥地へと進んだ食料調達チームもまた、サバイバルとは程遠い、優雅なスローライフ(?)を満喫していた。
「あら、見てくださいな、ルイ。なんて美しい蝶なのかしら」
夜々先輩は、巨大な食虫植物の隣で、ひらひらと舞う毒々しい色の蝶を、うっとりとした表情で眺めている。
その翅は、まるでステンドグラスのように光を透かし、見る者を惑わすような妖しい輝きを放っていた。
「彼女の羽の模様、次の衣装デザインの参考にしなければ……。この退廃的な色彩、わたくしの美学に響くわ」
「ああ、実にアーティスティックだ。この光と影のコントラスト……僕の創作意欲を刺激するよ」
ルイ先輩は、食べられる木の実を探す代わりに、巨大なシダの葉をキャンバスにして、木炭でその蝶の絵を描き始めた。その手つきは迷いがなく、数分後には、葉の上に本物と見紛うほどの美しい蝶が描き出されていた。……うん、二人とも、完全に目的を忘れている。
その横で、みなとさんは驚くほど冷静だった。
彼女は、近くの川で驚くべき精度で魚を釣り上げると、拾い集めた石を巧みに組み上げ、完璧な“かまど付きキッチン”を建設し始めたのだ。火を起こし、鍋代わりの大きな貝殻に水を満たす。
(ここから、みなと視点)
……まずは、出汁からですね。この島の水は、硬度が少し高い。
魚介の旨味を引き出すには最適。
レイくんは、確か少し薄味の、素材の味を活かした料理が好きだったはず。
あのハーブを加えれば、彼の好みに合う香草焼きが作れる。
……そのためには、まず最高の調理環境を整えるのが最優先事項。
イカダは、レイくんが何とかしてくれるはず。私は、私の役割を全うするだけ。
もはや、ここは無人島ではなく、彼女がプロデュースする三ツ星レストランの厨房だった。
そして、一番の問題児は、るるだった。
「わーい!ブタさん、みーつけた!あなた、今日から“とんかつちゃん”ね!よしよし、るるのお友達になって!」
彼女は、貴重な食料源であるはずの野生のブタを、いとも簡単に手懐け、頭にハイビスカスの花飾りまでつけてしまったのだ。
「とんかつちゃん、賢いねー!これから一緒に、美味しい木の実、探そうね!」
……ああ、終わった。俺たちのタンパク源が、今、るるちゃんの親友になった。
クラフトチームは崩壊し、食料調達チームは芸術活動に勤しむ。
この島には、サバイバルという概念が存在しないのかもしれない。
俺は、夕陽に染まる海を見つめながら、遠い目をした。
背後からは、ひよりの「お兄ちゃん、そろそろ壁紙の色、決めない?」という能天気な声が聞こえてくる。
……イカダ、完成するのかな。
というか、俺たち、明日、何を食べればいいんだろう。
楽園だと思ったこの島は、どうやら俺の胃袋にとっては、地獄の入り口だったらしい。