『準備期間はハプニングまみれ!』
運命のドラフト会議が終わり、三者三様のチームが誕生したその翌日から、LinkLive事務所はかつてないほどの熱気に包まれていた。それは、文化祭本番に向けた期待感だけではない。それぞれのチームが、それぞれのやり方で“最高の物語”を創り上げようとする情熱と、その中心にいる一人の男の子を巡る、甘い火花の熱だった。
文化祭までの、二週間。
それは、ただの準備期間ではなかった。私たちの物語が、また一つ、大きく動き出すための、愛おしくて、ハプニングまみれの、特別な時間だったのだ。
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【チームひより:兄妹イチャコラ♡思い出喫茶、準備編】
「――というわけで!私たち『チームひより』の企画は、『兄妹イチャコラ♡思い出喫茶』に決定しましたー!」
事務所の一角に設けられたチームひより専用のミーティングスペースで、ひよりは企画書を手に、満面の笑みで高らかに宣言した。その隣では、チームメンバーに選ばれた白瀬るるが、こくこくと小さな頭を縦に振っている。
「思い出……喫茶、ですか?」
企画書を受け取った俺、天城コウは、そのあまりにもストレートなタイトルに、若干引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「そうだよ!コンセプトは、“お兄ちゃんとひよりの、二人だけの思い出の味を、ファンの皆さんにもおすそ分け♡”だよ!」
ひよりが自信満々に指し示した企画書のメニュー欄。そこに書かれていたのは。
・『初めてお兄ちゃんが作ってくれた、ちょっぴりビターな大人の味♡焦げ焦げパンケーキ』
・『風邪で寝込んだひよりのために…。優しさだけが取り柄の味うすお粥』
・『二人でこっそり夜更かしした日の、背徳の味!追いマヨカップ焼きそば』
「……ひより、これ、客に出すメニューか?どっちかっていうと、俺の黒歴史博覧会じゃないか?」
「えー、いいじゃん!こういうのが“エモい”んだよ!ね、るるちゃん!」
「はいっ!るる、焦げたパンケーキ、食べてみたいです!」
るるちゃん、君は純粋すぎる。その純粋さが、時として俺の逃げ道を塞ぐんだ。
そして、運命のメニュー試作配信の日。
簡易キッチンが設置されたスタジオで、俺とひよりはエプロン姿で並んで立っていた。
「さーて、まずは“焦げ焦げパンケーキ”から再現していくよー!」
ひよりは、なぜか俺にボウルと泡だて器を渡してきた。
「え、俺が作るのか?」「当たり前でしょ!“思い出の再現”なんだから!」
コメント欄は、すでに《再現度高めてけ》《GMレイの料理スキルやいかに》と盛り上がっている。俺は観念して、ぎこちない手つきで生地を混ぜ始めた。
数分後。鉄板の上には、見事に黒く炭化した円盤状の物体が、香ばしい……とは言い難い煙を上げていた。
「うんうん!この香り!懐かしいなぁ!」
ひよりは目をキラキラさせているが、俺の心は懐かしさよりも罪悪感でいっぱいだ。
「じゃあ、お兄ちゃん!最後の仕上げだよ!」
ひよりはそう言うと、完成した“炭”にメープルシロップをたっぷりかけ、フォークで一口サイズに切り分けた。そして、そのフォークを、俺の口元に、すっと差し出してきたのだ。
「はい、あーん♡」
「――ッ!?」
時が、止まった。
スタジオの喧騒も、流れ続けるコメントも、すべてがスローモーションになる。目の前には、上目遣いでフォークを差し出す、義妹の姿。頬はほんのり上気し、その瞳は期待に潤んでいる。
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やった……!言えた!
昨日の夜、ベッドの中で百回練習したセリフ。これはただのファンサービスじゃない。これは、“配信”という大義名分を使った、私からお兄ちゃんへの、全力のアプローチなんだから!
お兄ちゃんの顔、真っ赤。ふふ、可愛い。困ってる顔、もっと見たいな。
さあ、どうする?お兄ちゃん。これは“仕事”だよ?断れないよね?
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俺は、数秒間完全にフリーズした後、全力で後ずさった。
「いやいやいやいや!待て待て待て!なんで俺が食う流れになってるんだ!?ていうか、“あーん”はダメだろ、配信中だぞ!」
「えー、なんで?“兄妹イチャコラ喫茶”なんだから、これくらい普通だよ?ほら、早くしないと、シロップ垂れちゃうよ?」
「ぐっ……!」
俺たちの攻防に、コメント欄は爆発的な盛り上がりを見せる。
《てぇてぇえええええええええ》
《食え!コウ!それがお前の運命だ!》
《ひよりちゃんの圧が強いwww》
《これはもう、ただの夫婦》
結局、俺は観念して、恐る恐るその“炭”を口にした。……苦かった。
試作配信のクライマックスは、衣装合わせで訪れた。
「お兄ちゃんには執事服!ひよりはメイド服がいいと思うの!」
ひよりの提案に異論はなかった。だが、数日後、ネット通販で届いた段ボールを開けた瞬間、俺は自分の目を疑った。
ひよりが取り出したメイド服は、スカートの丈が異常に短く、胸元は大胆に切れ込み、背中は天使の羽でも生えそうなほど大きく開いている。およそ、喫茶店の制服とは呼べない、完全に“ご主人様を夜の戦場で討ち取るための戦闘服”だった。
「ひ、ひより!なんだこれは!?こんなの着れるわけないだろ!」
俺が真っ赤になって叫ぶと、ひよりは衣装を体に当てて、くるりと一回転してみせた。
「えー、可愛いじゃん!ちょっとセクシーだけど、こういうのがバズるんだって!」
「バズる前に俺の理性が焼き切れるわ!」
俺は、配信中だということも忘れ、その過激なメイド服をひよりの手からひったくると、カメラの死角へと運び出した。その一部始終は、もちろん配信されていた。
《放送事故wwww》
《レイくんのガチ焦り顔、ごちそうさまです》
《あの衣装、特定班はよ》
そんなカオスな光景を、テーブルの隅で見ていたるるは、真顔でスケッチブックにペンを走らせながら、静かに、しかしはっきりと呟いた。
「……これが、大人の恋愛……メモメモ……」
チームひよりの準備は、初日からして、すでに甘くて危険なハプニングに満ち満ちていた。
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【チーム夜々:女王様と魅惑の執事演劇カフェ、稽古編】
一方、チーム夜々の稽古場は、静かな緊張感に包まれていた。
企画は演劇カフェ「女王様と偽りの恋」。脚本・演出・主演はもちろん、不知火夜々。そして、その相手役である王子役に抜擢されたのは、男装の麗人となった葛城メグだった。ウィッグで髪をショートにし、王子様の衣装に身を包んだ彼女の姿は、予想以上にハマっていた。
「メグ先輩……かっこいいです……」
メイド役のいのりが、うっとりとした表情で呟く。コメント欄も《メグ王子爆誕》《これは惚れる》《夜々様とのカップリング、解釈一致すぎる》と絶賛の嵐だ。
しかし、当のメグは、それどころではなかった。
「――メグ!何度言ったら分かるの!もっと私に溺れなさい!あなたのその瞳は、まだ私を“畏怖”しているだけ。そうじゃない、愛に焦がれる“渇望”を見せなさい!」
「む、無理ッス!夜々様の顔が良すぎて、近づくだけで心臓が持たないッス!直視したら灰になります!」
「灰になるまで見つめなさい!」
稽古は完全に停滞していた。夜々が書いた台本には、「女王が、戸惑う王子の顎をくいと持ち上げ、愛を囁く」「雨に濡れた女王を、王子が背後からそっと抱きしめる」など、彼女自身の願望がこれでもかと詰め込まれている。そのあまりの糖度に、メグの理性と羞恥心が完全に負けていたのだ。
「はぁ……これじゃラチが明かないわね」
夜々はため息をつくと、稽古場に助っ人として呼び出されていた俺に、くいと指先を向けた。
「天城くん。あなた、ちょっとこっちに来なさい」
「え、俺、ですか?」
「ええ。メグに“手本”を見せてあげるわ。あなた、王子役をやりなさい。今から、私と即興であのシーンを演じるわよ」
あまりにも無茶振りな展開。だが、女王様の命令は絶対だ。俺は観念して、ステージの中央に立った。
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まったく、使えない王子様だこと。
でも、仕方ないわね。あんな至近距離で、この私の美貌に耐えられる人間なんて、そうはいないでしょうから。
だから、これはあくまで“指導”。そう、天城くんに、本当の“恋の空気”というものを見せてあげるだけ。
……ええ、そうよ。ただ、それだけのはず……。
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俺が夜々さんの前に立つと、彼女は一瞬でその場の空気を変えた。さっきまでの指導者としての厳しい顔じゃない。恋に落ち、愛に揺れる“女王”の顔だ。
「……来てくれたのね。待っていたわ、私の王子様」
その囁くような声に、俺の背筋がぞくりと震えた。これは、演技だ。分かってる。でも……!
俺は、台本にはない、アドリブで言葉を返した。
「ええ。あなたが、呼んでくれた気がしたので」
その瞬間、夜々さんの瞳が、ほんのわずかに揺れたのが分かった。
彼女は、俺の答えに満足したように、ふっと妖艶に微笑むと、ゆっくりと俺に近づいてきた。そして、俺の胸に、そっと手を置いた。
「……あなたの瞳に映るのは、私だけでいい」
そのセリフを言う彼女の目は、完全に“本気”だった。
演技なんかじゃない。台本を超えた、不知火夜々自身の魂の叫び。そのあまりにもリアルな熱量に、俺は息を呑むことしかできなかった。
稽古場の隅で、その光景を見ていたメグといのりは、言葉を失っていた。
「……私たち、今……何を見せつけられてるんだろう……」
メグの呟きに、いのりはただ、静かに頷く。その瞳には、尊敬と、憧れと、そしてどうしようもない、嫉妬の炎が静かに燃えていた。
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【チームみなと:癒やしと絶叫の和風お化け屋敷、設営編】
そして、最も平和に進むかと思われたチームみなとの準備もまた、別の意味でカオスを極めていた。
企画はハイテク和風お化け屋敷。冷静沈着なみなとが、プログラミングとギミック作りで、普段のクールな姿からは想像もつかないような才能を発揮していた。
「……このセンサーは、人の体温を感知して、一番恐怖を感じるタイミングで襖を倒すように設定します。倒れる角度は、黄金比を計算して……」
「……こちらのプロジェクションマッピングは、廊下の奥に、あたかも“何か”がいるかのような影を投影。ただし、
近づくと消える仕様です。人の脳は、見えないものにこそ恐怖を覚えるので」
黙々とPCに向かい、完璧な恐怖空間を設計していくみなと。その姿は、もはや一流のホラープランナーだった。
だが、その緻密な計算式を、根底から破壊する男がいた。
「やあ、みなとくん。素晴らしいね。でも、デジタルな恐怖だけでは、人の魂は震えないよ」
そう言って現れたのは、特別協力者として参加している、月詠ルイだった。
彼の腕には、海外のアンティークショップで手に入れたという、髪の長い市松人形が抱えられていた。その人形は、なぜか目が、ほんの少しだけ動くように見える。
「ちょ、ルイさん!?それ、なんですか!?」「曰く付き、らしいよ。前の持ち主は、夜な夜なこの子の笑い声を聞いたとか……。お化け屋敷の隠し玉に、どうかな?」
「普通に怖いので却下です!」
ルイはめげることなく、次に血のりの入ったボトルを取り出した。
「これはね、演劇用の特殊な血のりなんだけど、温度によって色が黒ずむんだ。まるで、本物の……」「だから、リアルすぎるのはダメですって!」
そんな二人のやり取りを遠巻きに見ていたいのりは、すでに腰が引けていた。
「わ、わたし……お手洗い……」
みなとは、ルイの常軌を逸した行動に呆れ果てながらも、どこかで彼の純粋さに惹かれていた。彼がやっていることは滅茶苦茶だが、その根底にあるのは「人を最高に楽しませたい(怖がらせたい)」という、エンターテイナーとしての純粋な情熱なのだ。
「……まったく。ルイさんって、本当に子供みたいですね」
「おや、褒め言葉かな?」
「さあ、どうでしょう」
血のりのついた手でギミックをいじりながら、ルイはふと、みなとの顔をじっと見つめた。
「……君は、人の心を揺さぶるのが、本当に上手だね。怖がらせるのも、そして、たぶん……」
その先の言葉を、彼は言わなかった。
ルイからの、あまりにも真っ直ぐな視線と言葉に、みなとは顔を赤くして俯く。
「……データ、取ってるだけですから」
二人の間に流れる、どこか甘くて、危険な空気。その様子を配信で見ていた視聴者からは、《あれ、こっちのカップルもアリでは?》《ルイみな、爆誕の予感》というコメントが、静かに、しかし確実に増え始めていた。
それぞれのチームが、それぞれの物語を紡ぎ始める。
俺は、助っ人として各チームを飛び回り、そのたびに、甘いハプニングと、危険な恋の火花に巻き込まれていった。
喫茶の準備を手伝えば、ひよりに「お兄ちゃん、味見して?」と、距離感ゼロで迫られ。
演劇の助言をすれば、夜々に「あなたなら、どう私を口説くの?」と、演技指導という名の誘惑を受け。
お化け屋敷のチェックをすれば、みなとの意外な才能と、ルイとの不思議な関係性に、なぜか胸がざわついてしまう。
ご近所ハーレムが、文化祭という最高の舞台を得て、さらにカオスで、甘い恋の戦場と化していく。
この二週間は、きっと俺の人生で、最も長くて、短い時間になるのだろう。
そんな予感が、俺の胸を締め付けていた。