エピローグ 冒険は続く、画面の外でも
翌朝。俺、天城コウの意識が、深い眠りの底からゆっくりと浮上した時、最初に感じたのは、全身を包む疲労感と、なぜか鳴り止まないスマホの通知音だった。
「ん……んん……?」
重い瞼をこじ開け、ベッドサイドのスマホに手を伸ばす。画面をタップした瞬間、目に飛び込んできた情報の奔流に、俺の脳は覚醒するよりも先にフリーズした。
【X(旧Twitter)トレンド - 日本】
1位:#LinkLiveTRPG神回
2位:#GMレイくんの胃袋
3位:#兄探し聖騎士
4位:#魔王様の下僕になりたい
5位:#限定マント交渉人
「……うそだろ」
見覚えのあるハッシュタグが、日本のトレンドを完全に掌握していた。俺の個人アカウントへのメンション通知はとっくに999+で止まり、DM欄には国内外からの熱狂的なメッセージが殺到している。そのほとんどが、「GMお疲れ様でした!」「あなたの悲鳴でご飯三杯いけます!」「続編はいつですか!?」といった、俺の労力を全く労っていない内容だった。
「……夢じゃ、なかったんだな……」
俺は、天井を見つめたまま、昨夜の地獄絵図を反芻した。
国を乗っ取る魔女王、兄を探してすべてを破壊する聖騎士、限定グッズにしか興味のない盗賊……。俺が三日三晩かけて書き上げたシナリオは、彼女たちの自由奔放なロールプレイと、気まぐれなサイコロの女神の手によって、美しく、そして跡形もなく粉砕された。
疲れた。本当に疲れた。魂が半分くらい抜け殻になった気分だ。
だが、YouTubeの急上昇ランキングに、昨日の配信アーカイブが一位で鎮座しているのを見ると、複雑な気持ちになる。
ファンが作成した切り抜き動画は、すでに数十万再生を突破していた。
『【伝説の1分】女王ノワールの華麗なるクーデター【クリティカル】』
『【腹筋崩壊】GMレイ、魂の絶叫ツッコミまとめ』
『【奇跡】聖騎士ヒヨリ「お兄ちゃん」の一声がゴブリンを浄化した瞬間』
「……俺の絶叫、まとめられてるのかよ……」
もはや笑うしかない。俺はベッドから這い出し、重い体を引きずってリビングへと向かった。静かな部屋で、熱いコーヒーでも淹れて、少しだけ心を落ち着かせよう。そう思った、その時だった。
ピンポーン。
「……はい」
ため息混じりにドアを開けると、そこには、ポテチとコーラの大袋を抱えたメグが、満面の笑みで立っていた。
「コウくーん!おはよーっス!昨日はお疲れ様でした!いやー、マジで伝説になりましたね!というわけで、今日は我が家で“神回反省会”を開催しまーす!」
「反省するのは俺のシナリオを無視したお前らの方だと思うんだが!?」
「細かいことは気にしない!さ、お邪魔しますよー!」
俺の制止も聞かず、メグはリビングへと突入する。そして、それを皮切りにしたかのように、次々とチャイムが鳴り響いた。
「あら、天城くん。おはよう。昨日の“反省会”、こちらでやると聞いて」
上の階から、優雅な部屋着姿の夜々先輩。
「……おはようございます。昨日のスープの残り、持ってきました」
隣の部屋から、なぜか朝から完璧な身支度のみなとさん。
「レイ先輩!昨日のこと、もっとお話ししたいです!」
「コウお兄ちゃん!るるも来たよー!」
少し遅れて、いのりちゃんところるちゃんまでやってきた。
……俺の平穏な朝は、どこに行ったんだろう。
気づけば、俺の部屋は、昨日の冒険を終えたばかりの勇者たち(ただし全員女子)によって、完全に占拠されていた。
「じゃあ、早速アーカイブ見ますか!大画面で!」
メグがリモコンを操作し、リビングの大型モニターに昨日の配信映像を映し出す。ソファには、ぎゅうぎゅう詰めでヒロインたちが座り、ポテチの袋が次々と開けられていく。俺は、キッチンで全員分の麦茶を淹れながら、再び始まる地獄(という名の鑑賞会)を覚悟した。
「あ、見てください!ここ、夜々先輩がクリティカル出して、王様を籠絡するところ!」
「ふふん、当然の結果ですわ。世の男は、すべからくわたくしにひざまずく運命なのよ」
「でもそのせいで、ひよりがお兄ちゃん情報を聞き出す前に王様がポンコツになっちゃったんだよー!」
「それは結果論よ。あなたがお兄ちゃんのことばかり考えているから、隙が生まれるのよ」
「むぅー!」
画面の中で繰り広げられる自分たちの活躍(?)に、彼女たちは大盛り上がりだ。
スライムまみれになるシーンでは全員で爆笑し、夜々先輩の魔法が自爆したシーンでは、夜々先輩以外の全員が腹を抱えて笑い転げた。
「いやー、このファンブルは伝説ッスよ!完璧な女王様が、まさかの自爆!」
「う、うるさいわね!あれは、サイコロの機嫌が悪かっただけよ!」
「わん太、あの時、びっくりしてましたー!」
そして、ゴブリンの洞窟での、あの奇跡のシーン。
ひよりの「お兄ちゃーん!」という叫びが、ゴブリンたちの心を動かす場面が流れると、ひより本人が顔を真っ赤にしてソファに突っ伏した。
「うぅ……これ、改めて見ると、すっごく恥ずかしい……!」
「でも、一番の見せ場だったよ。ひよりちゃんの“お兄ちゃん愛”が、世界を救ったんだから」
みなとさんが、優しくフォローを入れる。
「そうですよ!愛の力は、どんな魔法よりも強いんです!」
いのりちゃんが、キラキラした目で力説する。
鑑賞会は、最終決戦のシーンへと進む。
魔王(俺似のアバター)が登場した瞬間、ひよりが「あ……お兄ちゃん……」と、ぽつりと呟いた。
「ひよりちゃん、あの時のロールプレイ、すごかったよなー。“お兄ちゃんを救いたい”って気持ちが、画面越しにビシビシ伝わってきた!」
メグが言うと、ひよりは少しだけはにかんだ。
「……うん。だって、ほんとに、そう思ったから」
その言葉に、俺の心臓が、少しだけドキリと音を立てる。
鑑賞会が終わり、部屋が心地よい余韻に包まれる中、メグがパンッと手を叩いた。
「いやー、最高でしたね!……というわけで!」
彼女は、どこから取り出したのか、新しいキャラクターシートの束をテーブルに広げた。
「TRPG第2弾、『魔王様(お兄ちゃん)と行く!ドキドキ新婚旅行編』のキャラクター作成を始めまーす!」
「気が早い!!!!!」
俺のツッコミが、ついに炸裂した。
「第2弾ってなんだ!誰がやるって言った!俺はもう懲りたんだぞ!?」
「えー、やるでしょ?次はひより、もっとお兄ちゃんを甘やかすスキルを取るんだから!」
「わたくしのキャラクターは、新世界の女王として、さらにカリスマを上げる必要がありますわね」
「アタシは、新婚旅行先限定の“ご当地グッズ”をコンプリートするシーフになるッス!」
「次は……もっと美味しい料理を、作ります」
「るる、今度はドラゴンに乗って、お空を飛びたいです!」
「星は……新たな物語の始まりを、告げています……!」
ヒロインたちは、俺の抗議など一切耳に入っていないようだった。サイコロの代わりにポテチを片手に、目を輝かせながら、次の冒険の計画を立て始めている。
その光景を見て、俺は、深いため息をついた。
(ああ、もう……ダメだ)
画面の中の冒険は、確かに終わった。
俺が作ったシナリオは破壊され、GMとして心身ともに疲れ果てた。
もう二度とGMなんてやるか、と本気で思っている。
でも。
ソファで笑い合う、彼女たちの顔を見ていると。
ひよりが、夜々先輩が、メグが、みなとさんが、るるちゃんが、いのりちゃんが、心の底から楽しそうに、次の物語を夢見ている姿を見ていると。
(……まあ、いっか)
そう思ってしまった。
この、騒がしくて、めちゃくちゃで、どうしようもなく愛おしい日常。
それこそが、俺にとっての、本当の“冒険”なのかもしれない。
サイコロを振らなくても、シナリオがなくても、毎日が予測不能なイベントの連続だ。
「……しょうがねぇな。次は、どんな世界にしてやるか……」
俺がぽつりと呟いた声は、彼女たちの歓声にかき消された。
でも、それでいい。
冒険は続く。画面の外でも、この部屋でも。
この、最高に愛おしい仲間たちと、一緒に。
俺は、もう一度だけ、GM席に座る覚悟を、静かに決めるのだった。……もちろん、特大の胃薬を常備して。