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イケボすぎる兄が、『義妹の中の人』をやったらバズった件について  作者: のびろう。
第22章『台本(シナリオ)にキスシーン!?“練習”だって言ってるのに…!』

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マイクに乗せた、演技じゃない“好き”

収録当日。

LinkLive本社の地下にある第3スタジオは、プロの仕事場特有の、静かで張り詰めた空気に満ちていた。壁一面に貼られた吸音材が、外の世界の音をすべて遮断している。ガラスの向こう側では、ディレクターや音響スタッフが、こちらを真剣な眼差しで見つめていた。


「……おはよう、お兄ちゃん」

「……おう、おはよう」


防音ブースの中で、俺とひよりはぎこちなく挨拶を交わした。昨夜の“寸止め事件”以来、俺たちはまともに目を合わせることができずにいる。一つ屋根の下、朝食の時も、家を出る時も、ずっと微妙な距離感が続いていた。


(やばい……意識、しすぎだろ、俺……)


目の前にある、高性能なコンデンサーマイク。その向こう側に立つ、ひより。今日の彼女は、学校の制服ではなく、少しだけ大人びて見える白いブラウスを着ていた。髪も、いつもより丁寧に巻かれている気がする。その一つ一つが、俺の心臓を無駄に刺激してくる。


(どうしよう、お兄ちゃんの顔、ちゃんと見れない……。でも、今日だけは、絶対に“ゆうか”になりきらなきゃ。ゆうかの、ううん……“わたし”の気持ちを、ちゃんと声に乗せなきゃ……!)


ひよりがヘッドホンをつけながら、ぎゅっとスカートの裾を握りしめているのが見えた。彼女もまた、俺と同じか、それ以上に緊張しているのだ。


「――では、テストから入ります。最初のシーンから、軽く声を出してみてください」

ガラスの向こうから、ディレクターの声がヘッドホンに響く。

俺たちは頷き合い、台本に目を落とした。


赤く灯る「RECORDING」のランプ。

その光が、まるで舞台の幕開けの合図のように見えた。


収録は、驚くほど順調に進んだ。

一度マイクの前に立てば、俺たちはプロだ。昨夜までの気まずさが嘘のように、俺は“拓海”に、ひよりは“ゆうか”に、ごく自然に入り込むことができた。

いや、順調すぎた、と言った方が正しいかもしれない。


「……すごいな、二人とも。今日の演技、神がかってるぞ」

休憩中、ディレクターがブースに顔を出して、感嘆の声を漏らした。

「なんていうか……リアルすぎるんだよ。本当にそこに“拓海”と“ゆうか”がいるみたいだ。特に、お互いを見る時の、ちょっとした息遣いとか……」


俺とひよりは、顔を見合わせ、曖昧に笑うことしかできなかった。

違うんです、ディレクター。それは神がかった演技なんかじゃない。

昨夜の練習で、お互いの心に火をつけたまま、消化不良でここにいる、ただの兄妹の“素”なんです、と。


そして、物語はクライマックスへと向かっていく。

雨の夜、ずぶ濡れになったゆうかを拓海が抱きしめ、想いを告げるシーン。

俺たちは、マイクの前で再び向き合った。


「……ひより、大丈夫か?」

俺が小声で尋ねると、彼女は力強く頷いた。その瞳には、もう迷いはなかった。


収録再開。

俺は、台本のセリフを、すべての感情を込めて紡いだ。

「……もう、妹だなんて思えない。一人の女の子として、お前が好きだ」


ひよりが、息を呑むのが分かった。

そして、震える声で、最高の告白を返してきた。

「……わたしも。ずっと、ずっと前から……お兄ちゃんが、好きでした」


その声は、完全に“ゆうか”であり、そして、紛れもなく“ひより”自身の声だった。

ガラスの向こうで、スタッフたちが息を呑んでいるのが気配で分かる。


そして、ついに最後のト書き。


『――見つめ合う二人。拓海は、ゆうかの濡れた頬にそっと手を添え、ゆっくりと顔を寄せる。そして、深く、長いキスを交わす』


来た。

俺とひよりは、視線を交わした。

昨夜、あと数センチのところで中断された、あの“空気”が、この防音ブースの中に再現される。


俺は、ゆっくりとひよりに顔を近づけた。

実際にキスはしない。マイクが、俺たちの息遣いと、唇が触れ合う寸前の音を拾ってくれれば、それでいい。

分かってる。頭では、ちゃんと分かっているんだ。


でも。


ひよりが、そっと目を閉じた。

その、あまりにも無防備で、すべてを受け入れるかのような表情を見て、俺の中の何かが、音を立てて壊れた。


マイクが拾っていたのは、たぶん、俺の荒くなった呼吸の音。

ひよりが小さく息を吸い込む音。

俺が、彼女の頬に手を伸ばした時の、微かな衣擦れの音。

そして、言葉にならない、お互いの想いが飽和した、濃密な沈黙の音。


それは、どんな効果音よりも、リアルで、甘くて、切ない“キスシーン”だった。


「――カット!……オ、オーケー!素晴らしい……!」

ディレクターの声で、俺たちは呪縛が解けたように、はっと我に返った。

ひよりは顔を真っ赤にして俯き、俺は喉の渇きを覚えた。


収録は、大成功に終わった。

帰り道。夕暮れの光が差し込む街を、俺とひよりは無言で歩いていた。

今日の演技を褒められ、次の仕事の話も出た。嬉しいはずなのに、心がずっと、ざわついていた。


「……あのさ、ひより」

先に沈黙を破ったのは、俺だった。

「昨日の、練習のとき……」

ひよりの肩が、びくりと跳ねる。


「……俺、本気で……キス、しそうになった」

言ってから、自分の言葉の重さに、自分で驚いた。でも、嘘はつけなかった。

ひよりは、立ち止まり、俯いたまま、小さな声で答えた。


「……わたしも」

「……え?」

「わたしも……して、ほしかった……」


その言葉に、今度は俺の足が止まる。

心臓が、大きく脈打った。

ひよりは、顔を上げて、俺をまっすぐに見つめていた。その瞳は、もう潤んではいなかった。


「お兄ちゃん」

「……なんだ?」

「お兄ちゃんは、優しいから……きっと、一線を引こうとしてくれると思う。『妹だから』って」

「……」

「でもね、わたしは、もう嫌なの」

彼女は、一歩、俺に近づいた。


「“妹”じゃなくて、“ひより”として、見てほしい。お兄ちゃんにとって、たった一人の、特別な女の子になりたい。……だから、約束して」

「……約束?」


「わたしが18歳になったら……その時は、ちゃんと“女の子”として、私を見てくれるって。今日の、このキスシーンの続き……ちゃんとしてくれるって!」


力強い、宣言だった。

それはもう、健気な妹の願いなんかじゃない。

一人の女性としての、覚悟のこもった言葉だった。


俺は、しばらく何も言えなかった。

ただ、彼女の真剣な瞳に、吸い込まれそうになっていた。

やがて、俺はふっと息をつくと、観念したように、でも優しく笑った。


「……わかったよ。約束だ」

「……ほんと?」

「ああ。……だから、それまで、中途半端な覚悟で俺を煽るなよ?」

「……うんっ!」


ひよりの顔が、夕陽の中で、ぱっと輝いた。

それは、俺が今まで見た中で、一番美しい笑顔だったかもしれない。


俺たちの間にあった、もどかしくて、名前のなかった関係。

それに、今日、一つの名前がついた。

それは“恋人”ではないけれど、ただの“兄妹”でもない。


“約束”という名前の、未来への切符だ。


このボイスドラマがどう評価されるかなんて、もうどうでもよかった。

俺は、マイクに乗せた、演技じゃない“好き”の音を、確かに聞いた。

そして、彼女もまた、俺の“本音”を、きっと受け取ってくれたはずだから。


台本の外で始まる、俺たちの本当の物語。

その最初のページが、今、静かにめくられた気がした。

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