エピローグ 祭りのあと、心に残ったささやかな熱
24時間という、長いようで刹那のようだった祭りが終わった。
翌日の昼下がり。LinkLiveハウスのリビングは、まるで台風一過のような惨状……いや、戦士たちの休息所と化していた。
床にはエナジードリンクの空き缶とスナック菓子の袋が点在し、ソファにはブランケットにくるまったままのヒロインたちが、抜け殻のように沈んでいる。
「うぅ……もう……指一本、動かせない……」
ソファの端で、ひよりが猫のように丸まりながら呻いている。その隣では、メグが「……推しの……供給過多で……脳が……溶けました……」と白目を剥いて天井を見つめていた。
「……なんだか、長い長い文化祭の夢を見ていたみたい……。ふふ、まだちょっと、頭がふわふわしてる……」
みなとさんが、読みかけの文庫本を胸に抱いたまま、静かに呟く。その目は、まだ夢の続きを見ているかのように、どこか遠くを彷徨っていた。
「誰か……コーヒーを……できれば、点滴でお願い……」
女王様の威厳も今は昔。夜々さんはローテーブルに突っ伏したまま、か細い声で懇願している。
「るる……夢の中で、レイくんと枕投げしました……えへへ……」
「わたしは……夢の中で、先輩に告白する練習を……百回ほど……」
るるちゃんといのりちゃんだけは、まだ夢の世界と現実の狭間にいるらしい。
そんな屍の山(と言っては失礼か)の中で、唯一まともに機能しているのが俺、天城コウだった。
俺は、散らかったゴミを片付けながら、一人ひとりの寝顔を見て回る。みんな、疲れ切ってはいるけれど、その表情はどこか満たされているように見えた。
「――はい、お疲れ様。勝利の差し入れ、持ってきたわよ」
ガチャリ、とドアが開き、救世主(あるいは黒幕)である神代カオルマネージャーが、高級そうなケーキの箱を抱えて入ってきた。その甘い香りに、リビングに転がっていた屍たちが、ゾンビのようにむくりと起き上がる。
「ケ……キ……」
「生きてる……味が……する……」
「いやぁ、昨日はお疲れ様!配信、とんでもないことになってるわよ?」
神代さんがスマホの画面をこちらに向ける。そこには、昨日の配信の切り抜き動画が、軒並み再生数100万回を突破している驚愕の事実が映し出されていた。
「《#LinkLiveハウス》はもちろん世界トレンド1位。《#いのりのガチ告白》《#夜々様キャラ崩壊》《#レイの答え》……関連タグがトップ10を独占。サーバー、三回落ちかけたのよ?」
「笑いごとじゃないですよ……」
俺が呆れて言うと、神代さんは悪びれもせずに笑った。
「でも、最高だったでしょ?みんなの“素”が見られて」
その言葉に、ケーキを頬張っていたヒロインたちが、顔を見合わせる。
「……わたし、あの……すみませんでした。配信中に、泣いたりして……」
いのりちゃんが、フォークを置いて深々と頭を下げた。そんな彼女の頭を、隣にいた夜々さんがぽん、と軽く撫でる。
「いいのよ。あなたのあの涙があったから、企画がただの悪ふざけじゃなくなったんだから。……よく、頑張ったわね」
「夜々、さん……っ」
「そうッスよ!あの告白、マジで胸熱でした!アタシ、裏で号泣してましたもん!」
メグが大きく頷くと、ひよりも「うんうん!」と続く。
「わたしも、いのりちゃんの気持ち、すっごく分かったから……!だから、わたしも頑張らなきゃって思えたんだよ!」
みんなの温かい言葉に、いのりちゃんの目から、また涙がぽろりとこぼれた。
ああ、本当に。
めちゃくちゃで、ハプニングだらけで、何度も胃が捻じ切れそうになったけど。
この24時間は、間違いなく俺たちを“チーム”にしてくれた。
その日の夕方。
ようやく片付いたリビングで、俺は一人ソファに座り、スマホを眺めていた。
あの一夜を思い返していると、ディスコードに次々と通知が届き始める。
《不知火夜々》
『昨日は……お疲れ様。……あの命令は、まあ、企画だから仕方なくだったけど……。あんたの“答え”、悪くなかったわよ。……また、ああいう配信……やっても、いいんだからね』
どこまでも素直じゃない、彼女らしいメッセージに、思わず笑みがこぼれる。
《真白みなと》
『昨日の配信、楽しかったよ?。でも、無理しすぎないでね?いつもありがとう』
一番をつかってくれてたかもな。優しい温かさを感じる。
《葛城メグ》
『先輩!お疲れ様でした!マジで最高の24時間でした!アタシ、一生忘れません!ていうか、次の共同生活配信はいつですか!?もうパジャマ新調しました!!!』
君のそのエネルギーは、本当に尊敬するよ。
《白瀬るる》
『レイお兄ちゃん、きのうはありがとうございました!るる、みんなとお泊りできて、すっごく楽しかったです。また、頭なでなでしてくださいねっ!約束です!』
《橘いのり》
『レイ先輩。昨日は、本当にありがとうございました。わたし、少しだけ……自分のことを、好きになれた気がします。先輩が、聞いてくれたからです。……これからも、わたしの声を、聞いてくれますか?』
一人ひとりのメッセージが、疲れた心にじんわりと染みていく。
俺は、それぞれのチャットに「こちらこそ、ありがとう」と返信した。
そして、最後に部屋のドアがそっと開いた。
「……お兄ちゃん」
ひよりだった。
彼女は何も言わずに俺の隣に座ると、こてん、と俺の肩に頭を預けてきた。
「……おかえり」
「……うん、ただいま」
それだけの会話。でも、それだけで十分だった。
朝焼けの中で交わした約束が、まだ俺たちの間に息づいている。
祭りは、終わった。
穏やかな日常が、また戻ってきた。
そう、思いかけた、その時だった。
「――コウくん、ちょっといい?」
リビングの入口に、神代さんが立っていた。その手には、一枚のデータシート。
「昨日の配信、大変だったわね。……ところで、例のアンケートなんだけど」
「例の……って、あの“支えたい子を選べ”ってやつですか?」
「そう。レイくんが、あの優しい“全員正解”を出す直前の……投票の最終結果、見たくない?」
神代さんは、悪戯っぽく笑って、シートを俺に手渡した。
そこには、円グラフと、圧倒的な数字が記されていた。
【レイに一番支えてほしいのは誰?】
投票結果 第1位:天城ひより(得票率:68%)
「……っ」
息を呑む俺の横で、神代さんは静かに言った。
「視聴者は、正直なのよ。彼らは、ちゃんと分かってる。この物語の“本当のヒロイン”が誰なのか」
「……問題は、主人公であるあなたが、その“答え”に、どう向き合っていくか、だけど」
俺は、データシートから目が離せなかった。
肩にかかる、ひよりの穏やかな寝息。
スマホに残る、ヒロインたちの温かいメッセージ。
そして、この無慈悲なまでに正直な“数字”。
祭りのあとには、静けさだけが残ると思っていた。
違う。
祭りが残していったのは、次なる物語への、甘くて、少しだけ苦い――“宿題”だった。