配信開始――想定外のときめき
「マイクチェック入ります。レイさん、橘さん、スタンバイOKです」
スタッフさんの声がモーションキャプチャールームに響いて、ボクの背筋がびくっと跳ねた。
VR用の全身スーツに着替えて、ヘッドマウントディスプレイをセットする。手足のセンサーを確認しながら、深呼吸。何度しても、心臓のバクバクは止まらなかった。
「……ど、どうしよう。足が震えてる……」
「大丈夫だよ、いのりちゃん。ほら、手、貸す」
不意に差し出された手は、あたたかくて、やさしくて、落ち着いた声と一緒にボクの耳に届いた。
「レ……レイ、くん……」
正面に立つ彼は、黒髪で、長身で、イケボで……って、それは“アバター”の話だけど、リアルのレイくん――天城コウさんも、背が高くて、無駄に爽やかで、しかも笑顔が反則レベルでやさしい。
「緊張してる? でも、今日は“彼氏役”でしょ? 君をリードしなきゃね」
「~~~~っ! ふ、不意打ちはズルいってばぁ……!」
恥ずかしくて俯いてしまう。なのに、VRゴーグルの内側から聞こえる“あの声”がまた、反則。
この人、声だけでヒロイン量産できるって、マジで……!
「では、本番三秒前です。3、2――」
ディスプレイの中で、観客席のライトがパッと灯った。コメント欄が一気に流れ始める。
「うわ、ついにこのコラボきた!」
「レイくん×いのりちゃん=最高」
「この身長差、公式案件でしょ」
「合法で甘やかしたい……」
開始直後からリスナーの熱が高すぎて、ボクの汗腺も全開だった。
「みんなーこんにちはっ! 《Inori∞Link》(いのりんく)ですっ! 今日はなんとなんと! 初の、レイくんとのコラボ配信でぇ〜〜すっ!」
ぎこちなくも、なんとか元気に挨拶を決めるボク。
続いて、隣でレイくんがマイク越しに、あの低音ボイスで静かに挨拶した。
「やあ、こんにちは。《レイ》だよ。今日は特別なコラボということで、ちょっと緊張してるかも。でも――いのりちゃんと一緒なら、きっと楽しくなる。ね?」
「しょっぱなから破壊力やば」
「いのりちゃん照れてるwww」
「レイ、ガチ彼氏ムーブじゃん」
「はわわ……っ! そ、そんなこと言われたら……その……ボクの心臓が先にゲームオーバーに……!」
うわあああ、今のセリフ、何点!? 配信者的にアウトじゃない!? むしろリスナーの反応がどんどん盛り上がってる!
ゲームがスタートすると、背景は静かな学園の放課後。ボクが演じる“ヒロイン”は、転校してきたばかりの内気な女の子。レイくんの役は、同じクラスの完璧系先輩キャラ。
レイ:「……よう、新入生。君、ひとり? ここ、誰もいないよ。……ああ、ごめん。脅かすつもりはなかったんだ。ただ、気になっただけ」
う、う、うそでしょ……その声……。
「初期イベントの破壊力えげつな」
「耳が幸せ……」
「こんなん告白される準備しとけってやつじゃん」
心臓が跳ねた。耳が熱くなる。背中に汗がにじむ。
「え、ちょ、今の……心臓止まるかと思った……!」
自分でも驚くくらい、声が裏返った。
隣で笑い声がする。
「ふふ、ごめん。でも、演技だから。ね?」
……それが一番ズルいんだよ、レイくん。
“演技”って言いながら、そんな風に笑うの、反則だから。
イベントは進行し、学校帰りのコンビニデート、文化祭の準備、告白イベントへの伏線など、次々と“甘酸っぱいイベント”が展開されていく。
レイ:「……君の笑顔、初めて見た気がする。なんか、嬉しいな」
レイ:「手、出して。……ほら、冷たい。ちゃんと、温めてあげる」
レイ:「“付き合う”って、たぶん、こういう時間を重ねることだと思うんだ。……違うかな?」
やばい、全部が刺さる。突き刺さってくる。
ボク、乙女ゲームなのに、ほんとに恋しそうになってるって……どうするの!?
(っていうかこれ、演技……なんだよね? レイくん、全部“仕事”でやってるんだよね?)
わかってるのに、苦しい。
そして事件は起きた。
「選択肢イベント、入ります!」
スタッフの声で一瞬だけ映像が切り替わる。
画面には、選択肢が3つ。
1:「ずっと、そばにいてもいいですか?」
2:「今の気持ち……伝えてもいいですか?」
3:「これって、恋……なんですか?」
コメント欄がざわつく。配信上の視聴者アンケートで、1が急上昇していく。
「1一択!!」
「1しか勝たん」
「レイの返事が気になる……!」
「……いのりちゃん、選択肢はどれにする?」
「えっ、ボクが、ですか!?」
「うん。いのりちゃんなら、どれを選ぶ?」
レイくんの声が、まっすぐで、優しくて――怖いくらいに、ボクを見ていた。
(えっ、ちょっと待って……レイくん、今の声……演技、じゃなかった気がする……?)
胸の奥が、ざわりと揺れた。
――この恋、ゲームの中だけじゃ、終わらないかもしれない。