『崩れるキャラと、誰かの視線』
土曜の夜、20時。
LinkLiveの公式YouTubeチャンネルに、数万の視聴者が集まり始めていた。
《待ってた!ノワール様の新コラボ!》
《レイくんと女王様とか、やばくない?》
《今日のノワール、表情やわらかくね?》《レイの彼氏力高すぎ問題》
そして始まる――「ノワール=クロエ × レイ=アマギ」コラボ配信。
テーマは「王女様と忠誠騎士の禁断の恋」。
完璧な脚本と事務所の演出が噛み合えば、まさに神回が生まれる……はずだった。
けれど――
『ふふ、愚民のくせに忠誠を誓うなんて……滑稽だわ。でも、まぁ……嫌いじゃないわよ、そういうの』
『光栄です、我が姫。たとえこの身が朽ちても、あなたを守るために剣を振るいます』
『……っ。ばっ、バカ……そ、そこまで言われたら……こ、困るじゃない』
――視聴者は見逃さなかった。
《あれ?今のノワール様、噛んだ?》
《なんか、照れてない?》《これ……素の夜々さん出てない?》
《台本にない返しっぽかった》《顔がマジで照れてるやつやん……》
コメント欄がざわめく。
いつもは圧倒的支配力を誇るノワール様が、“揺れている”。
(……マズい。これ、キャラが崩れかけてる)
俺は焦った。
でも、それ以上に――不思議な感情が胸の奥にあった。
(……先輩の“素”って、こんなに可愛いんだ)
***
配信はなんとか最後まで続いた。
夜々先輩の集中力とプロ意識がギリギリのところで踏ん張った形だ。
ラストの挨拶を終えると、彼女はすぐにマイクをミュートにして、脱力したように椅子に崩れた。
「……っっ、もう最悪……」
呟く声は、震えていた。
「夜々先輩、大丈夫ですか?」
「……見た? コメント欄。あんなに“キャラ崩壊”って書かれたの、初めて」
「でも、“ギャップ可愛い”って言ってる人も多かったですよ」
「そういうの、一番ダメなのよ……! ノワール=クロエは、“絶対に崩れない女王様”なのに……!」
彼女は歯を食いしばるように拳を握り、そして――静かに呟いた。
「……アンタのせいよ」
「え?」
「アンタが……“本気の声”で返してくるから。こっちまで、本音が混ざりそうになるの……!」
「……本気、出しちゃいけなかったですか?」
「バカ……! そういう“ズルい優しさ”が、一番キャラを壊すのよ……!」
夜々先輩の肩が震えていた。
怒っているのか、悔しいのか、それとも……別の何かで感情が高ぶっているのか。
俺はそっと彼女に近づいて、正面から向き合った。
「……夜々先輩。俺、正直に言います」
「……なに?」
「今日の夜々先輩……最高に魅力的でした。“キャラ”としてじゃなく、“人”として」
「……っ!」
その瞬間、彼女は顔を伏せた。
声を押し殺すようにして、ぽつりと――
「……笑えばいいじゃない。演技崩れたって、キャラが破綻したって、“ドジった”って」
震える声。
「でもアンタ、そういうの……絶対笑わないよね。だから、怖いんだよ……っ」
その言葉に、俺は――心臓を掴まれた気がした。
(夜々先輩……ずっと、プレッシャーの中にいたんだ)
***
夜々先輩は、ゆっくりと目を上げた。
「……なんで、アンタだけ、私を“ちゃんと見ようとする”の?」
「……それは、夜々先輩が“ちゃんと隠してるのに漏れてくる本音”が、すごく綺麗だからです」
「……は?」
「嘘が上手な人ほど、時々出ちゃう“素”に、心が動かされるんですよ」
「……ほんと、ずるいよ……」
彼女は、ぽつりと呟くように言った。
「……あたし、“好き”とか、“可愛い”とか、言われ慣れてないのに……」
その目には、涙がにじんでいた。
そして彼女は、絞り出すように言葉を吐いた。
「……お願い。あたしのこと、笑わないで……」
その声は、いつものノワール=クロエではなかった。
ただの、不器用なひとりの女の子だった。
***
その後、夜々先輩はスタッフにも何も言わず、そっとスタジオを後にした。
残された俺は、彼女の最後の表情が焼き付いて離れなかった。
(……あの涙は、“弱さ”じゃない。“素顔”なんだ)
誰かに“見られる”ことが当たり前なこの世界で、
“ちゃんと見てくれる人”にだけ、本音が出ることもある。
俺は、それを――知ってしまった。