『女王様ロール、絶対崩壊厳禁』
「だから言ったでしょ? そこは“お姫様抱っこ”じゃなくて、“玉座に引き寄せて膝に座らせる”のが正解って」
モニターの前で、毒舌混じりに指示を飛ばしてくるのは、LinkLive所属Vtuber――不知火夜々(しらぬい・よよ)。
配信名義《ノワール=クロエ》。高飛車系ドS女王様キャラで、事務所トップの再生数を誇る。
「いや、そっちのシチュエーションって……普通、兄妹でやるような内容じゃなくないですか?」
困り眉で答えるのは、もちろん俺――天城コウ(レイ=アマギ)。
例の“恋人演技対決”後に事務所から舞い込んだのが、夜々先輩との兄妹×女王様シチュコラボ配信という超地雷案件だった。
打ち合わせの名目で呼び出されたのに、気がつけば台本指導とキャラ演技講座まで始まっていて――
「で、次のセリフ。『愚民のくせに私の隣に立つなんて百年早いわ。けれど、褒美に私の手を取っていいわよ』。このトーンで、媚びずに吐き捨てるように言って」
「それ俺じゃなくて、夜々先輩のセリフですよね……?」
「バカ。台詞の前後を演技的に読まないと、呼吸感がズレるの。感情が繋がらない」
「ひよりの時、こんなシビアな指導なかったぞ……」
「ひよりちゃんは“素”でやってるだけ。私は“ロールプレイ”で作ってるの。崩れるわけにはいかないのよ、このキャラは」
その一言に、俺ははっとする。
彼女の言葉は、鋭くて、ときに刺さる。けれど――そこにあるのは“覚悟”だ。
夜々先輩は、完璧な“ノワール=クロエ”であり続けるために、すべてを計算して演じている。
口調も間合いも、身振りも、視線すらも。
そう、彼女にとって“崩れる”ことは、プロとしての敗北なんだ。
「……なるほど。すごいっすね、夜々先輩」
「へぇ? 珍しく素直」
「いや、単純に……尊敬してるっていうか、ちゃんと“キャラを守ってる”姿勢が、すごくカッコいいなって」
その瞬間――夜々の手が止まった。
「……なによ、それ」
「え?」
「そんな真顔で、いきなり“尊敬してます”とか……」
――少し、視線を逸らして。
「……不意打ち、やめてよ。心臓に悪いんだから」
「え、いま……素、出てません?」
「出てない! ……出てないからっ!」
***
翌日。事務所の録音スタジオで、コラボ配信用のリハーサルが行われた。
内容は、夜々先輩が“王女”として登場し、忠誠を誓いにきた騎士(俺)に振り回す――という、いつもの彼女らしいツンデレ女王様シチュ。
『……跪け。忠誠のキスを、その手に。今日から貴様は、私のものよ』
『……光栄の極みです、我が姫。命尽きるその日まで、この身はあなたのために』
カメラチェック、音量チェック、モーションキャプチャすべて順調。
だが、その中で――ときおり、彼女の台詞に**微妙な“揺れ”**が混ざるのが、わかった。
『ちょ、ちょっと今の録り直し……!』
たとえば、キスのくだりで急に語尾が弱くなるとか。
俺の返しに“間”が空いて、噛みそうになるとか。
「……あの、夜々先輩。どこか調子悪いですか?」
「別に……っ。ちょっと集中力切れただけよ。まさかアンタの声が予想以上に“リアル”だっただけとは言わないけどね!」
「……なんか、照れてます?」
「してない!」
この人、完全にキャラ崩れ寸前だ。
***
リハ終了後、控室に戻ると、夜々先輩が缶コーヒーをぐいっと一気に飲み干していた。
「はぁ……疲れた」
「……もしかして、今日俺と合わせるのって、ちょっと無理あったんじゃ?」
「そ、そんなわけ……。私は“ノワール=クロエ”よ? ちょっとやそっとじゃ崩れたりしないし」
「でも、演技中に目そらしましたよね? 俺の『命尽きるまで』って台詞で」
「うるさい。あれは……その……間違えて、なんか……変に心臓が反応しただけで……!」
――真っ赤だった。耳まで。
「……夜々先輩って、ほんとは繊細ですよね」
「うぐっ……やめて、やめてったら! ……そういうの、冗談でも言わないで……」
その小さな声は、演技じゃなかった。
***
部屋を出る間際、夜々先輩がふと呟いた。
「ねえ、レイ」
「……はい?」
「崩れちゃダメなのにさ。……なんでアンタは、私の中の“ノワール”を崩そうとするの?」
その問いに、俺は少しだけ笑って答えた。
「俺、キャラより先輩の“素”の方が、ずっと魅力的だと思ってるんで」
その瞬間、夜々先輩の動きがピタリと止まった。
やがて、小さく背中を向けて――
「……なによ、それ。……バカ」
そう呟いた声だけが、妙に震えていた。