『“推す”だけじゃ、足りなくて』
イベント翌日の午後、LinkLive事務所の片隅。
控室のソファで、俺は少し伸びをしながら深く息を吐いた。
昨日の「恋人役演技力対決」は、SNSのトレンドに乗るほどの盛り上がり。
特に「レイ=アマギの声がリアル彼氏すぎる」と話題になり、チャンネル登録者も激増していた。
でも――その裏で。
(……ひよりの涙、忘れるわけないだろ)
仕事としての成功は嬉しい。でも、それ以上に胸に残っているのは、あの夜、ひよりの言葉と震えた声だった。
そして、もう一つ。
「うわっ、いたいた!やっぱりここにいた~!」
扉が開いて飛び込んできたのは、ポニーテールを揺らす葛城メグだった。
「……あれ?どうしたんですか、こんなに急いで」
「いや、なんかお礼が言いたくてさ」
「お礼?」
「うん……昨日の夜、録音してみたの。自分の“恋人セリフ”。もう一度、ちゃんと聞いてみようって」
そう言って、メグはスマホを差し出した。
そこから流れたのは――確かに、震えながらもまっすぐに届けられた声だった。
『……大好き、だよ? 私だけを、見てて……』
数秒の無音。
「……って、言ってみたけど……なんか、やっぱ恥ずかしいね」
「……でも、良かった。ちゃんと気持ち、伝わりました」
「……ほんと?」
「はい。俺、メグさんの声、やっぱ好きです」
その言葉に、メグは照れくさそうに肩をすくめた。
「……ずるいなあ。そんな自然に褒めないでよ。ちょっと……本気にしたくなるじゃん」
「……しても、いいんじゃないですか?」
その一瞬だけ、目が合って、メグが小さく息を呑んだ。
「……やっぱレイくんって罪深いわ……。もう、“推し”じゃ足りないなあ……」
冗談のような口調。だけど、その目は、少しだけ真剣だった。
***
その夜、帰宅すると、ひよりが珍しくキッチンで何かを作っていた。
「……シチュー?」
「うん、好きだったでしょ? お兄ちゃん、こういうの疲れた日に欲しくなるタイプって思って」
「……ありがとう」
夕食のあいだ、二人は静かだった。
でも、その沈黙は以前のような重さではなく、どこか心地よかった。
食後、ひよりがテーブル越しにぽつりと呟いた。
「ねえ、お兄ちゃん。昨日の配信……本気、出してた?」
「……うん」
「そっか。……ちょっと悔しいけど、やっぱすごかった」
「でも、お前が言ってくれたから、出し切れた。……“演技じゃない好き”、していいって」
ひよりが、目を伏せて、少しだけ頬を赤くする。
「……もう、“妹”って言えないじゃん、それ……」
「もうとっくに、“妹”の枠じゃなかったかもな」
ふたりの間に流れる空気が、柔らかく変わる。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「私のこと、“推す”だけじゃ足りない?」
「……うん」
その答えに、ひよりはそっと微笑んだ。
「じゃあ、わたし……もっと、欲張ってもいい?」
「……全部、持ってけよ」
***
次の日。
事務所に新しい張り紙が出ていた。
【LinkLive新プロジェクト発表】
【《ひよりとレイ》兄妹ユニット、初のドラマCD制作決定!】
【脚本は……ひより本人!?】
控室でそれを見ていたメグが、俺の背中をドンと押した。
「やったじゃん!公式で“ひよりルート”公認とかさー、反則でしょ!」
「いや、別にルートってわけじゃ……」
「はいはい、“否定するけど顔は嬉しそう”って顔ね」
「……ぐっ」
「まあいいけどさ。あたしもデビュー、そろそろしようかなって」
「……ほんとに?」
「うん。だってさ――“推す”だけじゃ、足りないから」
そう言って、彼女は満面の笑みを浮かべた。
***
配信者としての俺。
“声”で誰かに届く存在になり始めた今――
その“声”はもう、誰かのためだけじゃない。
俺自身の想いを、ちゃんと乗せて伝えられる“力”になってきた気がする。
だから、これからも――
この声で、世界を変えるつもりでいく。
もちろん、ちょっと独占欲強めな義妹と、
オタク気質で熱すぎるマネージャー志望に囲まれながら、だけど。