『君の声の代わりに』
春の光が柔らかく差し込む午後。引っ越しを終えたばかりのワンルームの部屋に、ダンボールの山と俺――天城コウはいた。
大学入学と同時に始まった一人暮らし。親元を離れた開放感と、どこか頼りない静けさが、交互に胸の奥をくすぐってくる。
「……さて、と。まずはWi-Fi繋がったし、冷蔵庫の中、空っぽじゃなかったら合格だな」
なんて独り言をつぶやいて、冷蔵庫を開けた瞬間――中から大量のプリンが現れて、俺は絶句した。
「えっ、なんで……?」
その直後、ピンポンとチャイムが鳴る。
モニター越しに映ったのは、見間違えるはずもない――俺の義妹、天城ひよりだった。
「やっほー、お兄ちゃん。新生活、ちゃんとやれてる? 冷蔵庫、合格でしょ?」
銀髪ショートにパーカー姿。昔と変わらない無邪気な笑顔。……でもその後ろに、なぜかスーツケースが見える。
「なぁ、ひより。もしかして……泊まる気?」
「うん! というか、今日からちょっと居候させてもらうからっ!」
はあああああ!?!?
困惑の嵐が脳内を吹き荒れる中、ひよりは部屋にずかずかと上がり込み、まるで自分の部屋のようにソファに座った。プリン片手に。
「……理由、聞いてもいいか?」
「うん。実はね――喉、潰れちゃったんだ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
喉を潰した。つまり、声が出なくなった。普通の人間にとっても一大事だけど――
――彼女は人気Vtuber《ひよこまる♪》。フォロワー20万人超えの、業界でも注目株の配信者だ。
「病院で診てもらったけど、声帯に炎症があって。少なくとも数週間は、配信も通話もNGって」
「……それって、活動休止じゃないか」
「そう。でもね――それじゃ困るの。……次の配信、代わりに出てくれない?」
「……は?」
「お兄ちゃんの声、イケボじゃん。前にひよこまるの声、ふざけて真似してたでしょ? あれ、私より“可愛かった”ってコメントついてたんだから!」
「いやいやいや! それとこれとは――!」
「お願い、お兄ちゃん。お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!」
まるで、運命のセリフのようだった。
そのときの俺には、Vtuber業界の裏事情も、配信者の演技力の大切さも、なにもわかってなかった。ただ――
困ってる妹を、見捨てることなんてできなかったんだ。
──それがすべての始まりだった。
初めての配信は、緊張と混乱の連続だった。
だが、ひよりが用意してくれた台本をもとに、俺は《ひよこまる♪》として喋り始めた。声を変え、言葉を選び、彼女の代わりに笑った。
『あれ、ひよこまる……今日、なんか色っぽくない?』
『もしかして、中の人……彼氏できた?』
コメント欄がざわつき始めた。なぜか“リアルな恋人気分”が出ていたらしく、予想外に大バズり。
……いや、演技じゃなかった。ただ、ひよりの言葉を想像して、彼女の気持ちを代弁しただけなんだ。
そして気がつけば、俺とひよりはユニットを組むことになっていた。
《ひよりとレイ》――妹系甘々ユニット、誕生。
だが、それは同時に――
甘いだけじゃない、声と心の物語の始まりだった。
“誰かの代わり”として始まった俺の配信生活は、
やがて“俺にしかできない声”を探す旅へと変わっていく。
そして、妹・ひよりの中に眠っていた“想い”もまた、
秘密の声を通じて、静かに芽吹いていくのだった。
――だから、これはただのラブコメじゃない。
声でつながる、“本気の恋”と“嘘の関係”の話だ。