破滅編『すべてが壊れる前に』
夏の終わり、宗像は写真を焼いた。
現像したばかりの郁の写真を、一枚ずつ灰に変えていった。
微笑む郁、眠る郁、血のついた郁。
どれも宗像にとって「同じ」に見えた。
「……顔、忘れそうだな」
そう呟いて笑ったのは、少しだけ本気だった。
郁の顔だけが、最近どうにも思い出せない。
隣にいるのに、どこかにいない気がする。
宗像はそんな違和感を、苛立ちに変えて煙草で潰した。
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郁はそれを知っていた。
宗像のまなざしが、前より遠くを見ていること。
触れられるたびに、目が合わないこと。
それでも「好き」と言い続けた。
壊れる音が、もう始まっていると気づいていたからだ。
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ある夜、宗像は郁を殴った。
本気じゃなかった。
ただ、郁が宗像のカメラに触れたから。
「あれ、勝手に触んなって言ったろ」
郁は何も言わず、唇の端から血を流して笑った。
「ごめんね」
宗像はその顔に、ひどく苛立った。
泣かない郁が気に食わなかった。
でも、本当は違った。
郁が、自分をちゃんと見ていない気がした。
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そこから宗像の中の何かが壊れた。
外に女を作った。郁にわざと見せつけた。
郁は黙っていた。何も言わなかった。
ただ、いつも通り「おかえり」と笑って出迎えた。
その笑顔が、宗像の胸をどこまでも冷やしていった。
「なあ、お前、俺のことほんとに見てんのか?」
ある夜、宗像がそう聞いた。
郁は、まっすぐ宗像を見つめて、言った。
「見てるよ。ずっと前から」
「じゃあ……」
宗像が言いかけたとき、郁は微笑んだ。
「俺のこと、見てくれてた?」
宗像は答えられなかった。
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郁が姿を消したのは、その三日後だった。
部屋には、宗像がかつて撮った郁の写真がひと山、無造作に積まれていた。
全部、郁の顔が焼けていた。
ピントが狂ったように、顔だけが黒く、ぐにゃりと焦げていた。
壁には一行だけ、郁の字でこう書かれていた。
「俺のこと、もう焼かなくていいよ」
宗像は床に崩れ落ちた。
本当にいなくなるなんて、思っていなかった。
でも本当は――心のどこかで、ずっと怖れていた。
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今、宗像は誰もいない部屋でカメラを構える。
雨の音だけが、室内に反響している。
シャッターを切るたび、
そこには、誰も写っていない。
何度撮っても、誰も。
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―了―




