3.剣術の時間
入隊してから一月ほど経った。この一ヶ月間は集団行動訓練や体力育成訓練等、軍人としての基礎的な能力の訓練が行われてきた。元々体力や忍耐力には自信のあった私でも疲労困憊になる程厳しい訓練。
そんな厳しい訓練の中での一番の楽しみが食事の時間だった。熱い日差しの下、汗水垂らして頑張った後の美味しい料理は格別である。更に、
「いただきまーす!はぁ〜今日も疲れたね〜」
そこにこの天使のような笑顔がついてくることで、1日の疲れはあっという間に吹き飛んでいく。
机を挟んで向かい合わせに座る。入隊初日のあの時から、私たちは一緒に夕食を食べるのがすっかり恒例となっていた。初日と変わったところといえば、
「2人とも凄いよね〜。ボクなんてダンテからマッサージを教えてもらわなきゃ毎日筋肉痛で訓練に参加できなかったかもしれないし、アランから上手な体の使い方を教わらきゃずっと訓練の途中で倒れてたと思う!2人には感謝してもしきれないよ〜」
「ありがとう!」とぱっと輝く笑顔でお礼を伝える天使に私はほほ笑みを返す。そして、その隣に座る男を見た。
ティムと同じ7号室のダンテ・ガロン。ティムと共に夕食を食べるのが『いつものこと』になってきた頃に紹介された、羨ましくなるほどがっしりとした体格を持つ男だ。
ダンテは飲んでいたスープから口を離すとティムと視線を合わせると、
「礼を言われる程のことはしていない。お前の努力の成果だ」
そう言って再びスープを飲み始める。
あまり表情を変えず、言葉もぶっきらぼうだが、真面目で誠実な男であることを私はこの短い付き合いで学んだ。
小柄な愛らしい少年と大柄な威圧感を放つ大男。一見、正反対の2人だが、趣味嗜好が似ているらしく訓練中にも一緒にいる所をよく見かける。ティムによると、ダンテは見た目に反して可愛いもの好きで部屋では一緒に手芸を楽しんでいるらしい。それを初めて聞いた時は7号室でなかったことを心底悔やんだものだ。
この期間で築き上げられたこの時間が私は好きだった。この2人の側は心地が良い。
「ふふ、それにしてもアランくんってば相変わらず美味しそうに食べるよねぇ」
「えっ?」
「いつも思ってたんだ。アランくんの美味しそうに食べる姿を見てると見てる方もどんどん食欲が湧いてくるんだよ〜」
「ああ。俺もそう思う」
ティムの唐突な褒め言葉に珍しくダンテまで乗っかってくる。そんな風に見られてただなんて恥ずかしい。熱くなった顔を誤魔化すため、まだ熱々のスープを一気に飲み干した。
「つっっかれた〜!今日もすげー辛かったなー!」
なんて言いながらシウは、元気そうに自身のベッドへ飛び込んだ。
「お前らマジでどうなってんだよ。あんな辛い訓練受けてぴんぴんしてるなんてどんな体の構造してんだ?」
そんなこと言われましても。
「もともと動くことが多かったし、まだ慣れてるってだけだよ。それに、他にももっと凄い人たちばかりだし。ミラとか」
「え〜〜あんなの全然よゆーじゃなぁい?」
なんて言ってのけるミラ。ほとんどの人間が訓練中に音を上げ、ばったばったと倒れていく中、平気そうにしていたのは数人程度。その中にはミラも居た。
「くっ、まじでなんでこんなイカれた奴が多いんだよ!!」
大袈裟に聞こえるかもしれないが、実際、第3小隊は他の小隊よりも錚々たるメンバーが集まっているらしい。入隊時に試験等が行われたわけでもなく、小隊ごとの振り分けは完全に運なので教官も驚いていた。
「ま!俺には剣があるからな!お前ら、見てろよ!きっと明日からはお前らが俺に悔しがることになるからな!」
シウは胸を張って自信満々に宣言する。
いよいよ明日からは戦闘訓練に入る。まず初めは剣術から。私も楽しみにしているのだが、シウは誰よりも楽しみにしていた。なぜなら、
「近所のおじいさんが教えてくれたんだっけ?」
「そう!元軍人で、もうかなりの歳なのにめちゃめちゃ強いんだよ」
少し前にシウが話してくれた近所のおじいさんの話を思い出す。シウの家の近くに引退した軍人が住んでおり、近所の子どもたちに稽古をつけていたらしい。そのこともあり、シウは戦闘訓練を特に楽しみにしているようだった。
「それじゃ、明日のためにももう寝るわ。おやすみ!」
そう言って布団に潜り込むシウ。ミラもいつの間にかベッドに横になりこちらに背を向けていた。私も疲れたし早めに寝よう。「おやすみ」と告げて瞼を閉じた。
ブオン、ブオンという木刀が空を切る音を一体どれくらいの間、聞き続けただろうか。
剣術の訓練はまず、素振りから始まった。ただ木刀を振り続ける1日。まだ1日目は耐えられた。だが、素振りだけして終える1日が3日も続けば、いい加減限界も訪れる。完全に飽きてしまっていた。
素振りを始めてから数時間、ようやく教官の口から「止め!」という号令が発せられた。教官は私たちの顔を見渡した後、口を開く。
「ふむ。やはり皆筋が良い。休憩が終わった後は対人で試合をすることにしよう。まだまだ足りないところも多いが、実際に戦ってみて分かることも多いはずだ。休憩が終わり次第皆2人一組になって集まるように。それでは休憩に入れ!」
ようやく、ようやくただ素振りするだけの時間から解放されるのか。皆も同じ気持ちだったのか、心なしか教官への返事もいつもより覇気があるような気がした。
長いこと日光に晒され続けた身体に冷たい水が染み渡る。しっかりと水分補給をして、じんじんと痛む手を水で冷やした。こんな長時間剣を振り続けたことは商団に居た頃にもなかった。周りを見ても多くの人がぐったりとしている。そんな中、全く疲れを見せない人物が一人、こちらへ近寄ってくる。
「アランちゃ~ん!次の対人オレと組も〜!」
満面の笑みで抱きついてきたのはミラ。こんな気温の中、でかい図体でもたれかかるな。暑苦しい。
「組むのはいいから離れて。暑い」
「えぇ〜〜ヤダ〜」
ミラはどうやらスキンシップを好むタイプの人間らしく普段から抱きつかれることが多かった。何度言っても辞めようとしないのでもう諦めてしまったが。ミラ曰く「だって、ちょうどいいサイズ感なんだも〜ん。」だそう。ふざけるな。これでも高い方なんだぞ。……女性の枠組みでは。
思い出し、怒りに打ち震えていると、号令がかかった。休憩は終わりだ。もう行かなければ。
「ほら、行こ!」
まだまだ日陰で涼んでいたい気持ちを押し殺して駆け足で向かった。
木刀を構え、ミラと相対する。レモン色の目はまるで獲物を狙う肉食獣かのように爛々と光っていた。冷や汗が背中を伝い、ごくりと唾を飲み込む。この感覚を知っている。リード団に居た頃、飢えた獣と相対した時と同じ感覚。
――相手は私を本気で食うつもりだ。
「――始め!」
その合図が聞こえた瞬間、私とミラは同時に駆け出した。一気に距離が縮まり、お互いの間合いに入る。私は前に踏み出していた片足に重心をかけ、大きく木刀を振り上げた。瞬間――
――ガンッ!!と。木刀同士が激しくぶつかり合った衝撃音が辺りに響く。手にビリビリと反動が伝わってきた。私は上に、ミラは下に。それぞれ相手の急所を的確に狙い定めた結果だった。
ミシミシと鳴る木刀。その向こうではミラが獰猛な目を実に愉しげに歪めている。
「――ぐ、」
なんとか持ちこたえてはいるが力の差は明瞭。圧倒的に私が押されていた。
一体その細い腕からどうやってこんな重みを出しているのか。
力では、きっと勝てない。
体ごと右へずれながら、受け止めていた木刀を左方へ受け流す。
「おっと」
思いっきり木刀に力をかけていたミラはほんの一瞬バランスを崩した。その一瞬のうちにミラの背へ向けて木刀を振るう。しかし――
「チッ」
――それも当然のように防がれた。まともに体勢が整ってないのにも関わらず、ミラは上体をぐるりと回転させ私の木刀を弾く。どんな体幹をしているんだ。全くもって意味が分からない。
一度ミラから距離を取った。木刀を持つ手がカタカタと震えている。最初の一撃目が予想以上に強烈過ぎたせいだ。
力では相手が優位にある。ならば、
――速さで勝負すれば良い。
今度は私から攻撃を仕掛けた。相手の隙を見て、素早く木刀を振るう。みぞおちを狙ったものを防がれ、脇腹目がけて突いたのを弾かれ、足払いをかけたが軽い跳躍で躱された。
私たちが舞う度に最初の一撃目とは違う、カンッカンッと軽い音が連続して鳴る。
反撃の隙も与えず連続で攻撃し続けるが、相手もそれに追いついてくる。優れた動体視力、軽やかな身のこなし、無茶な動きも出来る柔軟性。それらを駆使して避けられるため、攻撃を仕掛けてから一度も当てられないでいた。けれど、
「……ッ!」
余裕綽々だった表情に段々と焦りが見え始める。防御や回避もギリギリになることが増え、私の攻撃とのリズムがズレてきていた。
相手に追いつかれるならそれを上回る速さで攻撃すれば良いだけのこと。
私は攻撃速度をどんどん加速させてミラを追い詰めた。
そして、好機が訪れる。ある一振りがミラの木刀を大きく弾き、仰け反らせた。これ以上にない絶好のチャンス。大きく踏み込んで、とどめを刺すつもりで木刀を振るう。しかし――
視界の隅でミラが舌なめずりをしたのが見えた。そして、同時にミラの木刀がこちらへ迫りくる。
――嵌められた……!
隙をあえて作り出したのだと気づいた時にはもう遅い。
私の攻撃が届くのが速いか、間に合わずミラの思惑通りになってしまうのか。果たして、
「そこまで――!」
誰よりも速く届いた教官の一声。それによりこの勝負は呆気なく幕を閉じた。
「ふむ。2人とも良い動きをしていた」
教官が私とミラの顔を交互に見比べる。
「ミラ・ミシュレ。お前は身体の使い方が上手いな。実戦経験はないと聞いたが、そうとは思えない身のこなしだった」
結局、お互いに一撃も当てられないまま引き分けで終わってしまった。なんとなく消化不良な気持ちを抱えたまま教官の言葉を待つ。
「アラン・ベールド。お前は『技』を使っていたな。しかも1種類ではなく、複数種。あれらは一体何処で身につけたのだ?」
「はい。私は商団出身でして、今まで様々な『技』の達人方と相まみえ、彼らから稽古をつけていただきました」
商団での旅で様々な人と出会った。その中には『技』の達人と呼ばれる者も多く、色々な戦う技術や体の使い方を教えてもらった。道中、賊や獣に狙われることも多く、これらの教えは大いに役立ったものだ。私が軍に入ると決めたのもこの経験が大きい。
「ほう。それは良い経験だったな。実戦の動きに上手く落とし込めているし、適切な場面で使えている」
良かった。商団での経験はしっかりと活きている。
「2人とも自分に何が出来るか理解して動けている。実に良い。戦闘能力に関しては文句ない出来だ。だが、」
教官は一度言葉を区切ると笑顔を崩した。
「だからこそ、惜しい」
…………は。
「はぁ?」
私が息を吞むと同時に隣から意味が分からないと言いたげな声が発せられる。私も声にはならなかったが全く同じ気持ちだ。『惜しい』とは。
教官は剣呑な眼差しで言葉を続けた。
「道具の真の価値を発揮するためにはその道具についてよく理解する必要がある。お前たちはまだ剣のことを知らない。剣のことを理解出来ていない。それが分かればお前たちは更に強くなるだろう」
そうして教官は満面の笑みで、
「ということで、2人とも不合格だ」
実に呆気なく私たちを落としたのだった。
教官が去り、昼食の時間になっても私たちはその場に立ち尽くしたまま動けなかった。
「…………ねえ、アランちゃん」
前髪に隠れて表情の読めないミラが徐に口を開く。
「……何」
「オレ、悔しい〜〜〜」
どかっと大きな図体でのしかかり、まるで幼児のように駄々をこね始めるミラ。普段であれば拒絶するが今回ばかりは何も言わなかった。何も、言えなかった。
だって私も同じ気持ちだったから。悔しくて悔しくてたまらなかったから。
固く痛いほど握りしめた拳を更に強く握りしめた。
「よし」
伏せていた顔をあげ、ミラの方を見やる。
「ミラ。私に付き合え」
木刀を指さしながら、一言告げた。ミラはすぐに私の意図を察したようで、顔がぱっと光り輝く。
「そうこなくっちゃ!……〜った!」
駈け出そうとしたミラの頭に降ってきた拳骨。その主を認識する前に鈍い衝撃が私の頭にも襲ってきた。
「うぅ……」
「お前ら、今は何の時間だ……?」
力強い拳骨は背後で仁王立ちをしているシウによるものだった。拳骨の威力に悶える私たちを見下ろすシウ。ゴゴゴゴと雷鳴が聞こえるのは気のせいか。恐ろしさに震えるしかない私たちは首根っこを掴まれ、何も抵抗できないままズルズルと引きずられていく。
「頑張るのはいいけど飯はちゃんと食え。身につくもんも身につかねえよ」
全くもってその通りである。何も反論できない。
「シウくん。シウくんはどうだったの」
不貞腐れた様子のミラが尋ねる。
「俺か?もちろん合格だ」
少しばかりの喜びを滲ませながらも何でもないことのように平然と答えるシウ。
「うぅう、悔しい……」
こんなに悔しい思いをしたのは久々だ。商団で共に育った幼馴染のような存在とちょっとした勝負や競争をすることが多々あったが、ずっと私の連戦連勝。先を越されることに耐性がなかった。
「お前をおとなしい奴だと思った俺が馬鹿だったよ……」
はあ、とため息をつきながら頭を抱えるシウ。失礼な。
そうこうしている間に食堂へ到着。実に美味しそうな匂いが漂ってくる。ご飯の匂いを嗅いだら途端に空腹を思い出した。
急いで料理を受け取りに行き、席について手を合わせる。
「いただきます!」
無我夢中で料理を口の中へかきこむ。体のうちで燻っていた焦燥感は、料理を咀嚼し飲み込む度に少しずつ消え失せていく。後に残ったのは溢れんばかりのやる気だけだった。
「剣を知るってなんだろ。ねえアランちゃん、剣を知るってどういうことか分かる?」
午後は個人で鍛練する時間となった。私とミラは木刀を持って訓練場の隅に集まり、教官が言ったあの言葉について頭を悩ませていた。
「分かってたらこんなに苦労してない」
「おーい、お前ら。調子はどうだぁ?」
背後から聞こえてきた声に反応して振り返ると、シウが手を振りながら近づいてくるのが見えた。
「シウ。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、お前らを助けに来たんだよ。苦労してそうだったからな」
にかっと笑い親指を立てるシウ。その背後から光が差しているように見えるのは私だけだろうか。
「シウくん……!ありがと〜〜!」
「ありがとう!凄く助かる」
「いいってことよ!じゃあ、早速どんな感じか見せてもらおうか。一旦、いつも通りに素振りしてくれ」
言われた通り、ミラと共に素振りをする。シウはその様子をじっと観察していた。
一連の動作を終えて、シウの言葉を待つ。シウはしばらく沈黙し、口を開いた。
「うーん、そうだな……まずは一振り一振りをもう少し意識してやるべきかな」
「意識して?」
「ああ。先生が言うには、剣術では剣の一振り一振りに自分の魂の一部を預けなきゃいけないらしいんだ。そのためにはまず素振りから、一振り一振りを意識してやる必要があるんだけど……」
「魂の一部を預けるぅ〜?なにそれぇ?」
「んん、感覚的なもんだから言語化出来ないんだよなあ。俺も完璧に理解してるとは言えないし……」
シウは少し考えた後「よし」と、顔をあげた。
「今から俺が手本を見せるよ。俺もまだまだだけど、まあ多分伝わるだろ」
そう言ってシウが木刀を構え、目を閉じる。途端、シウの纏う空気が変わった。
「シウ……?」
呼びかけても反応はない。驚異的な集中力だ。そうしてシウはそのまま両腕を大きく掲げ――
―――上から下へ、一閃。
「…………」
思わず息を止めて見惚れてしまうほど、洗練された一振り。とても静かで、しかし重さをしっかりと感じる。ああ、確かにこれは、言語化出来ない。
「と、まあ。こんな感じだ」
ふぅ、と息を吐き出した途端、場に漂っていた緊張感は立ち消え、いつものシウへと戻った。
「……すごい。凄いよシウくん!」
「いやぁ、それほどでも!」
本当に、すごかった。
「剣に己の全てを注がないといけないんだ。ただひたすら剣に集中して、一振り一振りを大事にしないといけない。実戦じゃ、その一振りが命を奪うものでもあり、守るものでもあるからな」
木刀を見つめるシウの眼差しには慈しみがこもっている。それだけ剣を大事に思っていることがよく伝わってくる。
「シウは剣が大好きなんだね」
「はは、まあな」
シウは照れくさそうに頭を掻いた後、空を見上げた。
「先生が褒めてくれたんだ。お前は剣を大事にしているなって」
私は自分の掌を見つめた。シウと初めて会った時、差し出されたその手を握り返した時。その手はぶ厚く、でこぼこしていた。それに比べて私は……
「素振りはな、地味に見えるけど結構大事なんだぜ」
ここ数日の訓練のことを振り返る。私は今まで何を思いながら剣を振っていただろうか。剣にしっかりと向き合えていただろうか。
「『素振りさえ碌に出来ない奴が実戦で剣と息を合わせることなど出来ない。素振りを大事にする者には剣はちゃんと応えてくれる。』ってな。全部先生の受け売りなんだけど。どうだ?剣って面白いだろ?」
シウがこちらを見やる。その緑色の瞳には私とミラが映っていた。
「シウ」
「シウくん」
私とミラの声が重なる。
「オレに」「僕に」
「「剣を教えてください!」」
剣のことをもっと知りたい。そう思ってようやく、初めて剣に向き合えた気がした。
「いいぜ!どんと俺に任せろ!」
そう言って、頼もしい私たちの先生は『お願い』を快く受け入れてくれたのだった。