2.同居人
「諸君!よくぞ集まってくれた!」
太陽が照りつける、雲一つない晴天の日。今日は入隊式だ。
案内された大きな広場には数え切れないほど多くの人がひしめき合い、皆期待に満ちた顔で並んでいる。
「皆、今までは我々に守られる立場だっただろう。しかし、今日からは守る側へとなるのだ!」
台の上に立つ司令官が声を張り上げる。
「そこで私は問いたい。君たちは今日、何のためにここへ来た?」
最前列の青年の一人が司令官に指された。
「かっ家族を守るためです!」
噛んでしまったことを恥じるように顔を伏せる青年を気にせず、次が指される。
「次!」
「国民の安全のためです」
「次!」
「強くなって……」
続いていくそれぞれの戦う理由。おおよそ似たような理由ばかりだったが、
「はぁーい、上に居るクソ野郎をぶっ潰すためでぇーす!」
クリーム色の髪に、レモンのような鮮やかな黄色の瞳を持つ男。その男の口から発せられたそれは、明らかにこの場に合っていなかった。一瞬空気が静まり返った後、途端にざわざわと騒ぎ出す周りの人々。ざわつく周りを気にせず当の本人はへらへらと笑っていた。あいつ終わったな、という空気が場に流れる。その空気を断ち切ったのは司令官。
「よろしい。皆、それぞれの志を持っているようだな」
司令官は例の発言には触れずに続ける。
「私が問うたのは、皆に今一度自身が戦う理由を確かめて欲しかったためだ!」
ざわめきが完全に止んだ。
「何だっていい!ただ、一つでいいから持っていろ!そして忘れるでない!何故己が剣を振るうのかを!――命を懸ける、その理由を」
自然と皆の背筋がぴんと伸びる。心なしか目にも力が宿っているような気がした。
「我々が諸君に求めるのはただ一つ!強くなり、責務を果たすことだ!」
司令官が皆の顔を見渡す。
「強くなれ!無駄死にだけはするな!以上だ!」
入隊式の後、小隊ごとに振り分けられた。私が所属するのは第三小隊。これからは小隊ごとに行動することとなる。
「8号室は…………ここか」
宿舎の部屋割で当たった部屋は運の良いことに3人部屋だった。人数が少ないほどバレる危険性も減るだろう。ラッキーだ。
「お!もしかしてキミも8号室か?」
ドアノブに手をかけた所で声をかけられた。振り向くとどこかで見た覚えのある青年が。初夏に見られる草色の髪に、深みがかった緑色の目。確か、入隊式で最初に指名されていた青年だ。
「あ、ああ。アラン・ベールドだ。よろしく」
「……!俺はシウ・グラシス!よろしくな!」
手を差し出されたので握り返す。
「三人部屋だなんてラッキーだよな~。俺、部屋割りが一番不安だったんだけどさ、アランみたいなおとなしそうな子が同部屋でよかったよ。あともう一人も問題起こさなさそうなやつがいいよな~」
おとなしそう、か。『リード団』に居た頃はそんなこと言われたことなかったな。シウは話し続けながらドアノブを捻った。
「ほら!入隊式んときのアイツみたいなやつじゃなくて……」
急に話が途切れた。何事かと部屋の中を覗き込むと先客が一人。
「やっほ~これからよろしくねぇ~」
例の『入隊式んときのアイツ』がひらひらと手を振っていた。
「最悪だ……こんなのあんまりだ……」
シウは荷解きをしている間もずっとうだうだと嘆き続けていた。
もう一人の同居人――ミラ・ミシュレ。私にはそんなに言うほど厄介な性質を持った人物には思えないが、シウには何か思うところがあるのだろう。
「シウく〜ん、そんなにオレのことキライ〜?ショックなんだけどぉ〜」
へらへらと笑いながらミラがそんなことを言う。大してショックを感じてなさそうな声色で。
「き、嫌いではねーよ!ただ、何て言うか、あーもう!!」
シウはミラに向かってビシッと人差し指を向けた。
「いいか!俺は平穏に過ごしたいんだ!何の問題も起こさず、そこそこ成果を上げてそこそこ良い給料を貰ってそこそこ良い暮らしが出来ればそれでいいんだ!だから頼む!オレと相部屋のうちは何の問題も起こさないでくれ!!」
がばっと頭を下げるシウに対してミラは不思議そうに首を傾げるだけだ。
「……?シウくんに言われなくても問題起こすつもりはないよぉ〜?」
「はぁ〜?じゃあ入隊式んときのアレは何だよ!!今回はお咎めなしだったけど、あんなこと言ったら普通罰せられるぞ!?なんなら連帯責任で周りも巻き込まれる可能性あったんだぞ!?」
「でもそうはならなかったじゃん。それにオレはただ聞かれたことに素直に答えただけだよぉ〜?それってそんなに悪いコト?」
「それは!……確かにそうだけどっ!そうじゃなくって!」
初日から口喧嘩とは先行きが不安である。そろそろ仲裁したほうがいいかな。口を開きかけたところで、
「あの〜もうすぐ夕食の時間ですよー。行かなくていいんですか?」
ふと、第三者から声をかけられた。声の方を見ると、淡いピンク色の髪にアメジストの瞳をした愛らしい顔立ちの少年が扉からひょこりと顔を覗かせている。時間を確認すると彼の言った通り、集合時間ギリギリになっていた。シウの顔からサーッと血の気が引いていくのが見える。
「おい!話は後だ!今は急ぐぞ!!」
全力で急いだことでなんとか時間には間に合った。
今目の前に広がるのは美味しそうな料理たち。一般の出である兵士に出される食事など残飯のようなものだろうと期待していなかったが、その予想は良い意味で裏切られた。
ふわふわのパンにまだ温かいスープ。サラダの野菜も新鮮なものだろう。瑞々しさが残っている。
「いただきます」
最初にパンを手に取った。ぱくりと一口囓って驚く。美味しい!
ふわふわな見た目に反して食感はもちもちとしており、パン特有の芳ばしい匂いが口内一杯に広がる。パンだけでも満足してしまいそうな程の美味しさ。
こんなに美味しいものをこれから毎日食べられるのか。なんて幸せなのだろう。
「ご一緒してもいいかな?」
ふと、声をかけられた。声の主は先ほど声かけをしてくれた子。首をこてんと傾げる姿はまるで小動物のようでとても愛くるしい。
「もちろん。どうぞ」
「……!ありがとう!」
隣の椅子を引いてあげるとぱっと笑顔になってお礼を言われた。か、かわいい……!
「こちらこそ、さっきはありがとう。おかげで夕食抜きにならずに済んだ」
可愛さに胸を撃ち抜かれながら平静をなんとか保って礼を伝えた。この子が声をかけてくれなければ、こんなに美味しい物を食べ損ねたかもしれないのだ。感謝してもしきれない。
「全然いいよ!……というか、ボク、お邪魔じゃなかった?何か大事なお話だったかもしれないと思って心配で…………」
しょんぼりと眉尻を下げて心配そうに尋ねてくる。この子は天界から舞い降りた天使か何かなのだろうか?
「全然気にしないでいいよ。ただのくだらない争いだったから。むしろ一旦距離を取って冷静になるべきだっただろうからちょうどよかった」
「ほんとう?」と上目遣いで確認を取ってくる姿は抱きしめたくなる程愛らしい。
頷き返しながら微笑ましく見つめていると、天使がハッとしたように目を見開かせた。
「あ!そうだった!自己紹介がまだだったね。ボクはティム・リーシュ。7号室なんだ。よければ仲良くして欲しいな」
「こちらこそぜひ仲良くして欲しい。僕はアラン・ベールドだ。よろしく」
それから私たちは仲良く食事を続けた。ティムの隣で食べる食事は先ほどよりも何倍も美味しく感じる気がする。
「ふー」
大浴場のみではなく、個室のシャワールームもあって助かった。色々と対策も考えていたが杞憂に終わったようだ。いつでも温かいお湯を浴びれる環境は素晴らしい。『リード団』に居た頃は川で水浴びをすることもあったから。……あれは本当に辛かったな。
「あ」
シャワールームから出ると大浴場から出てきたシウとばったり出くわした。気まずそうに目線が下へ落ちる。
「……あー、せっかくだし一緒に戻るか」
断る理由もないし、私からも聞きたいことがあった。「ああ」とだけ返事をして部屋への道を辿る。
頭をぽりぽりと掻きながらシウが口を開いた。
「あーその、さっきは悪かったな。雰囲気悪くしちゃって」
「別に。僕は全然気にしていないよ」
これは本心。『リード団』に居た時は価値観の違いによる衝突なんてよくあることだったから。ただ気になったことが一つ。
「ねえ、一つ聞いてもいい?」
「あ、ああ。なんだ?」
「2人は前から知り合いだったの?」
シウは虚をつかれたようにぽかんとした顔をさらしていた。
「は?……いや、違うけど。なんで?」
なんだ。違うのか。少し安心した。3人部屋なのに2人が既に知り合いだというのは少し気まずかいから。私、口下手な方だし。
「いや、やけにミラのことを気にするなーって思って」
そう言うとシウは黙り込んでしまった。
昔から言葉が足らないと言われることが多かった。何故そう思ったのかを説明しろ、とも。また悪い癖が出てしまっていたらしい。
「確かに入隊式でのミラの発言はあの場にそぐわなかった。明らかに浮いていたよ。でも、ああいう時大抵の人は馬鹿にして笑ったり、近寄りたくないと避けたりすると思うんだ」
これは昔、実際にあった出来事だ。
以前、商団で寄った村にその場にそぐわない発言をしてしまう者が居た。本人に悪気がなくとも、受け取り手にそれが伝わるとは限らない。実際、その人に対して多くの人が避けたり、無視したりと、とにかく関わらないようにしていた。まあ、その人を大事に思う人も多く居たし、本人もあまり気にしていないようだったのだが。
ちなみにその人も今では立派な『リード団』の一員だ。商品に文句をつける人の対応は彼に任せておけば間違いない。
「でも、シウはミラに対して一生懸命だったからさ。2人は知り合いなのかなって」
「一生懸命……」
「うん。あ、でも知り合いじゃないのか……。じゃあシウは凄く良い人だね」
「…………は?」
信じられないとばかりに目が見開かれる。そんな目で見ないで欲しい。
「だって、相部屋になると言っても結局は僕ら、出会ったばかりの他人じゃんか。ミラのことなんて僕らには関係ないんだから放っておけばいいだろ?」
少し薄情かもしれないが事実だ。入隊して初日。まだお互いのことを何も知らない状態なのに気に掛ける道理はないはずだ。
「それでも、シウはミラのこと心配してた。シウは良い人だね」
「俺は、そんなんじゃ……」
シウは明らかに狼狽えた様子だった。なんでだ。褒めてるのに。伝わらなかったのかな?
「俺は……自分のことしか考えてないよ」
ぽつりと、隣で呟かれた声は少し震えていた。
「俺は、自分のことしか考えてなかった。さっきアイツに言ったのだって自分の保身のためだ。自分の為でしかない」
シウが吐き出す言葉はまるで泣いているかのように湿っている。しばらく沈黙した後、
「俺さ、兄貴が居るんだ」
そう語り始めた。
「兄貴は昔っから周りが想像つかないようなことをしでかす人だった。その度に色んな人を巻き込んで、叱られて。俺はずっとその尻拭いを散々やらされてきたんだよ。なんなら、何もやってないのに、一緒に怒られることもよくあって。俺はそれが嫌で嫌でたまらなかった。でも――」
シウは一度言葉を切ると意を決した様子で再び口を開いた。
「――それと同時に色んなことを成し遂げていく兄貴が眩しくて見えて、羨ましかったんだ」
眩しそうに目を細める。目の前にその人が見えているかのように。
「……兄貴を知ってる人たちはまず俺を見て、兄貴を思い出すんだ。『あの問題児の弟か……。』って。それで、俺が兄貴と違うと分かると皆、『良かった』なんて言いながら……落胆、するんだよ。それが嫌で堪らなかった。俺には何もないって言われてるみたいで。でも――」
シウの握られた拳が更に握りしめられる。
「――俺、嫌だったはずなのに同じことしてたんだな……。アイツは、ミラは、兄貴と違うのに、俺はミラのこと何も知らないのに、兄貴と重ねて問題児だって決めつけて。一方的に悪いように言って。俺、最低だ……」
立ち止まってしまったシウは俯いて顔を片手で覆い隠している。そのせいで今彼がどんな顔をしているか見えない。が、なんとなく想像出来る気がした。
「……僕はシウは最低だとは思わないよ」
「……」
「確かにシウは間違えてしまったのかもしれない。でも、間違えること自体は罪じゃないよ。間違えたことに気付かないままでいること、自分の間違いを認めないことが罪だと思うんだ。その点シウは悪いことしたって反省してるでしょ?なら、僕は君を最低だなんて思えない」
「……そうかな。…………そうだといいな」
「うん」
「…………俺、ミラに謝らないと」
会話はそれっきりで終わった。ただその場に流れる空気は心地悪いものではなかった。
肩を強張らせたシウがドアノブに手をかけ、深呼吸する。肺いっぱいに息を吸い、一気に吐き出すと同時に扉を勢いよく開いた。
もう既に帰ってきていたミラは自身のベッドへ腰掛けている。
「おかえり〜」
初めて出会った時と変わらない、のほほんとした空気感を纏いながら間延びした声で私たちを出迎えるミラ。
そんなミラに反してシウは緊張した面持ちでミラのそばへ近づくと、
「ミラ!さっきは俺が悪かった!お前のこと何も知らないのに勝手に問題児だって決めつけて、一方的に責め立てて!ごめん!」
思いっきり頭を下げた。その姿は綺麗な直角である。
ミラはぽかんと呆気に取られた表情を見せた。入隊式の時からずっとへらへらとしていたミラが初めてその表情を崩す。
一瞬、部屋の中が静寂に包まれた。ぷっ、とその静寂をミラの吹き出す音が破る。
「あっはは!シウくんってばほんっとぉに面白いねぇ!」
それまでへらへらと笑うだけだったミラが本気で笑っている。今度はこちらが呆気に取られてしまった。
「ふふ、全然気にしてないよ〜。今までもよくあることだったし。……謝罪されたのは初めてだけどっ」
「ミラ……ホントにごめん」
「いいよぉ、許してあげる。それじゃあ改めて、シウくんこれからよろしくねぇ」
ミラが差し出した掌をしっかりと握り返したシウ。その表情を見て肩の力が抜けた。らしくないことに、いつの間にか私も緊張してたらしい。
そんな私を見て「アランちゃんも!」なんて言いながらミラが掌を差し出した。
「……なんで僕はちゃん付けなんだよ」
「ん〜〜?そりゃあもちろんアランちゃんが可愛いからだよぉ」
差し出された手を握り返しながらミラの表情を観察する。しかし、その言葉の真意は何も読み取れなかった。ただの冗談で流して良いものか。それとも、警戒した方が良いのか。
「……別に僕は可愛くない」
「そんなことないよぉ~」
「おいそこ!いちゃいちゃするな!」
シウはコホンと咳払いをすると背筋を正して、
「……ただ。やっぱり俺はああいった場面では誤魔化すことも覚えた方がいいと思う」
少し言いにくそうにしながらもキッパリと断言した。
「その……何か理由があったとしてもリスクがあるなら正直に言うんじゃなく誤魔化すことも覚えないと。ほら、俺みたいにさ、思ってもないこと言ったっていいんだよ。家族のためだとか国のためだとかそれらしい理由はいっぱいあるだろ」
確かにその通りである。私でもあの場では『ギルバート・ブレイツに復讐するため』なんて言わない。でも、ミラはシウの主張に不満げだった。
「えぇ~でもシウくんは正直に言ってたじゃ~ん」
「はは、やっぱりお前素直だなぁ。あんなの体裁の良い言葉だよ。……ホントは俺は、家族が嫌で逃げ出したようなもんなんだ。すっかり信じちまって」
「……?そうだったとしても、あの言葉自体はシウくんの本心でしょ?」
「え……?」
「オレにはあの言葉が本心に聞こえたよ」
シウが閉口する。私は入隊式でのシウの様子を思い返してみた。いきなり司令官に指名されて慌てていたシウの姿。咄嗟に出たというようなあの言葉。私にはどうにもそれが嘘には思えなかった。
「……うん。僕もそう思うよ」
「アランまで……」
人の感情とは複雑なもので、そう簡単に読み解くことは出来ない。そして、それは自分のものでも同じこと。
「……もしかしたらさ、自分でも気づいてなかっただけでシウの中にはちゃんと、家族を守りたいって気持ちがあったんじゃないかな?」
「そうかなぁ……」
シウはまるで迷子の子どものような不安そうな表情を見せる。
「本当のことなんて分かんないけどさぁ、どうせ分かんないなら自分の都合が良い方を信じてればいいんじゃなぁ~い?」
「そんなんでいいのかよ……」
「いいんだよぉ、そんなんで。人間、自覚なんて後からついてくるものだし~」
ミラの言葉を聞いたシウの表情が柔らかく緩んだ。
「はは、そっか。確かに、そうだよな」
シウが瞼を閉じる。
「俺も、本当は……」
シウの背後、窓の向こうでは夜空に浮かぶ星々がきらきらと煌めいていた。