その3
「やっぱりそうでしたか。ありがとうございました」
サクラコは、運転手に礼を言ってバスから降りた。
すぐにバスは発車した。
後ろの行先表示が回送になっている。
バスがロータリーを出て見えなくなると、サクラコは周囲を見渡した。
ここは電車の駅の前にあるバス停だ。
日が落ちてしばらく経つが、照明でそれほど暗くはない。
今いるのは、サクラコ以外には二人だけだ。
先にバスから降りた二人が、お互いを指さして大笑いしている。
二人とも、サクラコと同じ演劇部の一年生だ。
「喉切られて死んでる」
「そっちこそ、口の端に思いっきり血の流れた跡があるってば」
「この格好のまま帰るのも面白くない?」
「いやー、私今日は電車だから、さすがに人の目がしんどいわ」
一人が喉の傷の特殊メイクを引き剝がした。
もう一人も、口の端の血糊をティッシュで拭き取っている。
「サクラコ、この暑いのにカーディガン着たんだ」
「死人役用の、背中が血に染まっているセーラー服を隠すためだよね?」
「ええ、そうよ」
サクラコは、そのセーラー服の上にカーディガンを羽織っている。
自分のセーラー服はスクールバッグの中だ。
「私たち、死人のふり上手いよね」
「みんな劇部に入部してまだ何ヶ月かだけど、頑張って遅くまで練習しているんだもん」
「それに死人役用の衣装とかセットも、ウチらの演劇部は充実してるし」
「普通、お芝居では傷まで再現しないでしょ。変に凝っているよね」
二人はまだはしゃいでいる。
「こっちからバスで通ってた三年生の先輩四人って、最終バスに乗るたびに死人のふりをしてたんだよね?」
「文化祭が終わると同時に引退したから言えることだけど、痛いよね」
「だよね。ちょっと前なんて、すれ違った車から死人のふりをしているところを撮られて、投稿されちゃったんだもん」
「山道を通る最終バスが女子中学生たちの死体を乗せて走ってるって、『うわさ』にもなるよね」
「学校にもバレて、凄く怒られたっていうし」
「サクラコがどうしてもっていうから死人のふりに付き合ったけど、これっきりにしてよ?」
「ほんとにそうよ。まあ、ウチら二人は親が車で送り迎えしてくれてるから、バス帰りは初めてだったし、これからもそうはないだろうけど」
「今日は二人とも、迎えに行くのが難しくなったからバスで帰ってきてって、急に親から言われちゃたけどね」
「そうだ。次からはサクラコも車に乗せてあげるよ。結核の病み上がりでしょ? 夏になるちょっと前から文化祭が終わるまで休んでたし」
「死んだふりをしていた四人の先輩には、山を越えて通っていることも、親の車で送り迎えしてもらっていることも秘密にしていたけどね。全員が乗せてって言ってきそうだったし。私もサクラコ一人なら親に頼むよ」
「ありがとう。助かるわ。正直、怖くてたまらなかったから」
サクラコは二人に礼を言った。
「あの、体調悪いとバス待ちとかが大変だと思って言っただけなんだけど」
「私も。まさかサクラコ、先輩たちの言っていたこと、信じてるわけ?」
サクラコはうなずいた。
「いやいや。あるわけないって。最終バスに乗っていると、あの歩道橋の上に、双眼鏡を持った女の子の幽霊がいるのが見えるなんてさ」
「その上、うちの学校の生徒が最終バスに乗っていと、バスの中にまで女の子の幽霊が乗り込んでくるから、それを避けるためには死人のふりをしないといけない、だっけ? そんなことありえないよ」
二人にあきれ気味に言われて、サクラコは苛立ちを覚えた。
「二人とも、歩道橋を見なかったの?」
「私はサクラコを膝に乗せた状態で、目を見開いて前の座席に視線を向けていたから、歩道橋は見てないけど?」
「私は顔を窓に向けてはいたけど、ずっと目を閉じていたし」
二人が肩をすくめた。
「でも私は、あなたの膝の上から、こっそりと前の方を見ていたの」
サクラコが言うと、二人の顔から笑顔が消えた。
「もしかして、歩道橋の上に――」
「誰かいたの?」
「ええ。双眼鏡を持った女の子がいたわ」
サクラコの言葉を聞いて、二人が顔を見合わせた。
「見間違いじゃないの?」
「いいえ。バスの運転手さんにも確認したわ。確かに見えたそうよ」
「でも、幽霊じゃなくて、生きている女の子がいただけかもしれないじゃん」
「怪談に便乗して、怖がらせようとしたタチの悪いやつがいた可能性もあるし」
サクラコは、首を横に振った。
あれは間違いなく、死んだはずのナツキだった。