第5話 鬼
次回は5月末ぐらいになります。
ケルベスに先導され炎上した廊下を進む。走ることによる振動で彼女のそれぞれ小脇に抱えられたサニー上半身と下半身からは肉と体液が飛び出していく。火の粉を避けるため真後ろに付いているので、何度か生臭いソレが身体に掛かるが気にする余裕はない。その匂いよりもっと醜悪な臭気がサニーを中心に発生しているからだ。
人体を燃やした時に出る、何とも形容しがたい冒涜的な香りは、内部からの圧力により腸とかが溢れでていたので、俺とケルベスが傷の表面を火で炙ったために生じたものだ。かなり荒い応急処置だが、本人が気絶しているため痛みよるショック死の可能性も低いし、ほっとけば出血死は免れないのだから、仕方のないことだ。別に溢れた内臓を拾うのがめんどくさいって訳じゃねぇからな。
ケルベスは文字通り真っ直ぐ走る。立ちはだかる壁も、燃え続ける蜘蛛の糸も、彼女の前では紙切れも同然。其処にないかのように突き進むし、実際それら彼女が触れた瞬間に塵になった。
「う゛ぅ。ぁ?」
「起きるな。余計痛むぞ。」
途中何度かサニーが起きかけたが、その度に殴られて気絶した。マジで大きい音したが頭蓋骨無事か?打撲の方が致命傷にならねぇか?
避難中に電灯が切れる。電力を使いきったらしい。そんな短い間も持たなかったのか俺達。
暗く見えづらいせいで何度か躓く。さっきの爆発が至るところで起こっているのだろう。足元には壁やドアの破片やら硝子やらが散らばって走りにくい。燃え盛る火が唯一の照明だ。ボロい建物だと思ってたがマジでやべぇなここ。築何年だよホントに。
移動し続け、目的地につく。巨大なキャンプファイヤーと化した建物をぬけりゃ、フェンスの向こうにグラウンドが見える。避難所は半地下になっていて、入り口は建物に隣接されているグラウンドの端にある小屋だ。外からは悟らせない『かもふらーじゅ』の為なんだとよ。
勿論フェンスにも燃える糸が張り巡らされていたがケルベス相手に意味はなし。そのまま小屋へと一直線に走る。
この間、合図は届かなかった。つまり俺たちは失敗したのだ。この先の運命は殺処分か人体実験か、それとも強制労働とかなんだろうな。あれ?今までとあんま変わんねぇじゃん。じゃあ良っか。
目的地にケルベスが、小脇に抱えていたサニーを、小屋から少し離れた木陰に落とす。上半身と下半身をくっ付けて、俺に向き直った。
「なに突っ立ておるのじゃ。早よ治療せんか。」
「お前はしねぇのかよ。」
「儂がやっても問題はないのじゃが…。」
視線をずらし、気まずそうにケルベスは言う。先程までの頼りになる背中は一体何処に行ったのかと疑いたくなるほど、自信なさげに頬を掻いた。
「儂は回復魔法が苦手での。大体は関節が逆方向に治った後、なんやかんやあって四肢が爆発する。」
「問題しかねぇな。」
なにがどうなりゃ爆発すんだよ。…まぁ、仕方ないか。
魔法は努力ではどうしようもない分野だ。生涯を魔法に捧げた奴が、生まれたての赤ん坊に負けることだってある。一から十まで才能がすべてのものだ。でも考えてみりゃ大体の事がそんなもんか。
サニーに回復魔法をかける中、ケルベスが指を避難所の分厚い耐火扉にかけ、重さなど歯牙にもかけぬ様子で開く。
中の様子を窺うより先に、半狂乱の人々がケルベスに飛びかかった。
避難所の中で何が起こったのか?きっとモンドとクリスが仕組んだのだろう冷静さを失った人達が、老若男女問わずケルベスに襲い掛かる。思考など微塵も感じ取れない闘争本能剥き出しの様は、人と言うより獣の方が近しいのかもしれない。
離れていて良かった。もし扉の近くで治療をしていたら今頃、人だかりに潰されていただろう。
「止まらんか!」
四方八方から飛びかかる異能持ちを対処しながらケルベスが言う。怪我人がでないよう相当手加減していることが、端から見れば良く分かる。装備の太刀を使わないのはやはり彼女の寛大な心のお陰だろう。投げ飛ばした際の打ち身はなかったことにする。
サニーの治療を終えたとほぼ同時に、ケルベスが暴徒を鎮圧した。
「儂の部下らは何処へやった。」
おぬしらごときに手間取るとは思えん。そう言いながらケルベスは、のした異能持ち達のから一人持ち上げる。そいつの右足を持ち、そしてそのまま力任せに骨を折た。ゴキリのような、ボキリのような、そんな背の凍る鈍い音が辺りに響く。一拍おいて、悲鳴があがった。
誰も彼も反応が遅れた。予備動作などなかった。彼女はあくびをするように、眠るように、日常の一動作として、人の足を折ったのだ。
「喧しいのう。そう喚くな。ほれ、あともう一本。」
何でもないように、ケルベスはそいつの両足を折った。そのままポイと放り投げ、近場の獣人の足を持つ。強い衝撃を受けたことで催眠は解けたのだろう。足を掴まれた獣人は、涙を流し一心不乱に命乞いをする。クリスに嵌められただの、意識はなかっただの、そんな懇願をものともせず、ケルベスは左足を持つ。
「大の大人がぴーぴーと情けない。一、二、三…。おぬし、足が多いな。我慢するんじゃぞ。」
大柄な体躯を使っての全力の抵抗を意にも介さず、彼女は淡々と足を折る。放たれる悲鳴も、痛みからの吐瀉物も、恐怖からの失禁も、周囲の泣き声も、ケルベスを止める要因にはならない。何が寛大だ。慈悲深いだ。彼女は間違いなく鬼なのだ。
大きな獣人の足を全て折ったら、ケルベスはまた放り投げた。おなじく近くの足を持つ。今度の被害者は少年だった。ドラと同じくらいの。きたる痛みに涙を流し、必死になって抵抗する。バタバタと暴れる四肢が、不意におとなしくなった。
何事かと思えば、ケルベスが少年を抱き締めていた。慈母のように少年を抱き、優しく頭をなでる。
「落ち着け。怖くない。大丈夫。大丈夫。」
絹のような黒髪が一房、ケルベスの肩にかかる。慈愛の表情を浮かべ少年を抱える美少女。彼女の額にある一本角も相まって、どこか神聖な存在のようにも見えた。
さすがの鬼も子供の骨は折らないのか。そう誰もが思った。勿論、少年自身も。安心したように脱力し、彼女の抱擁を受け入れる。誰もが安心し、油断し、頭から抜けていた。彼女が鬼で、烈火将だということ。
─彼女の責め苦は、誰より苛烈なのだ。
「…痛みにはすぐなれる。」
鈍 い 音 が な っ た 。
「え?…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
少年の右足が、あらぬ方向を向いていた。
「そう泣くな。一瞬じゃったろ?魔法を使えば、回復もする。後遺症ものこらん。な?怖くなかろうて。」
泣き叫ぶ少年を撫でながら、ケルベスが優しく続ける。
「あと一本じゃ。なに、こわくない。こわくない。」
左足が折られた。少年はもう叫ばなかった。意識も朦朧としているのだろう。言葉になり損なった音たちが、うめき声として不定期に少年の口から溢れ出す。
「よく頑張った。強い子じゃ。ほれ、褒美をやろう。」
そう言ってケルベスは、少年に魔法をかける。たちまち少年は気を失った。昏睡魔法をかけたのか。あるなら最初からしてやれよ。
気絶した少年をゆっくりと置く。それはどこまでも優しい手つきだった。その優しさは他のところへ使えよだとか、そんなことは誰も言えない。彼女にとっては全て理にかなった行動なのだろう。だが、誰もそれを理解しえない。誰もがただ、目の前の暴力的で圧倒的な理不尽に怯えていた。
少年の足を折り、ゆっくりとその体を置いたケルベス。そしてまた、誰かの足を掴んだ。今度は二十代後半辺りの魔法使いの女性だった。そのつぎは年老いた雄の犬系統の獣人。つぎは蛇の雌の獣人。つぎは中年男の魔法使い。つぎは魔法使いの少女。つぎは獣人。つぎは魔法使い。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎは。つぎ。つぎ。つぎ。つぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎ
次は…居なかった。
ものの十分足らずで、両足が正常な向きを向いている者は俺とサニーとケルベスしか居なくなった。その間にサニーの治療は終わって目覚めたが、逃げ出そうとはしなかった。出来なかったの方が正しいか。膝が震えて立つことすらままならなかったからだ。
「情けないなぁ。そんな震えて。」
右隣のサニーが話しかける。
「てめぇもだろうがよ。」
お互いを鼓舞するように、煽り合いがはじまった。コイツ以外と大丈夫そうだな。囮にして逃げりゃよかった。
「ところでお願いがあんねんけどいい?」
「内容によるな。」
「囮になってくれん?」
「ヤダ。」
心地よい軽口の応酬を続けていれば、ケルベスが此方に歩いてくるのが見えた。あぁ、俺らの番か。そう悟り全身から力を抜く。昔、ナマケモノの獣人から教えてもらった事だ。『万策尽きたら力を抜け』って。痛みを最大限減らせるように、目を瞑って、筋肉を緩ませる。サニーも似たような感じなので、わりと有名な対処法なのかもしんねぇな。ありがとよ。ナマケモノ獣人。こんど会えたら礼を言わねぇとな。アイツもう死んでるけど。
ザクザクと土を踏む音が近く。今まで通りなら死にはしねぇだろうが、やっぱり足を折られるのはいやだ。痛いのは嫌いだ。慣れる慣れないの問題じゃねぇ。本能として嫌いなんだ。痛みに慣れる奴はどうかしてる。
遂に足音がすぐ近く、真正面からなった。俺が先か。
遅かれ早かれ折られるんだ。真横で悲鳴を聞いてからの方が覚悟が揺らぐってもんだ。運が悪かったなサニー。てかお前今日散々な目に逢ってんな。下半身バイバイしたり、足折られたり。厄日なんじゃね?え、じゃあ俺お前の厄日に巻き込まれてんの?
右足を持たれる。一瞬が数十分にも感じられた。
ゴキリ。鼓膜を震わす、嫌な音。次いで、激痛がはしった。
「あぎゃっ───。」
悲鳴をあげそうになり咄嗟に手の甲を噛む。血が滲むのも気にせず噛み締める。痛てぇ。マジで痛てぇ。
もう一度鈍い音がなったが、もはや感覚も薄れてきた。痛みは薄くなり、代わりに足が燃えるような感覚と悪寒が同時にくる。
隣からも骨が折れる音が聞こえた。ゴキリ。ゴキリ。二度聞こえたが、その間悲鳴が漏れることはなかった。
力の入らぬ瞼を無理矢理上げ、霞む視界でサニーを写す。出会った時から変わらない笑顔がそこにあった。それでも紙の様に白い顔色や、額に浮かぶ脂汗が、感じている苦痛を表している。サニー、お前すげえな。
ふわり。浮遊感が二人を襲い、彼等は気を失った。
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「相変わラズ、ボスはえげツない事スルな。」
ケルベスが二人を投げ終わったあと、全身に薄気味悪い模様を持った男が、舌足らずな声でケルベスに話しかけた。
粗雑に切られた短い黒髪、切れ長の黒瞳、異様に短い丈の軍服コート、首に掛けられたスパイクの付いた太い首輪、そして何より見える部位の全てを覆うおぞましい模様が特徴的だ。
「メアリー。何があった。」
メアリー、そう呼ばれた男は自身に何があったかを説明する。
「ボスから離レテスぐに、燃えル糸があッテな。オレラデ壊ソうトシタラ後ロかラ襲わレタんダよ。」
「何人じゃ?」
「二人。一人は蜘蛛の亜人。もう一人は例の龍人。捕まえルドこロかこッチがピンチになッテ、オレの異能デ命からがら逃げタッテわけ。」
メアリーの説明を受けケルベスは看守らに向き直り、呆れたように言い放った。
「おぬしらは何をしておる?」
ただ少女に見られただけ。ただそれだけのことで筋骨隆々な男たちが震え上がる。先ほどの彼等のように、自分も両足を折られるのではないか?異能持ちでもないのに、そのような恐怖が背筋を伝う。
何か言わなくては。しかし言葉が出ない。呼吸が浅くなる中、メアリーの声が地獄にたらされた蜘蛛の糸のように感じられた。
「怒ッテやルなよ。ボスが人の足をポキポキ折ルかラびッくりしチゃッテんの。」
「そうか。」
彼女から発せられた言葉は呆れるほど穏やかだ。目の前の惨状を起こしたのが彼女だとは考えられない程に。
ケルベスは興味なさげに此方から視線を外す。体に酸素がまわるのを感じる。息を詰めていたことさえ、無意識だった。
「二人は何か言ってたか?」
「流行リのアイドルのライブに行くッテよ。」
メアリーの言葉を聞き、ケルベスは顎に手をあて少し考え込んだあと、独り言をこぼした。
「クリサリスだけで行動したとは思えん。サニー・アングストの兄も居ない…。なる程な。」
彼女は真っ直ぐこちらを見た。悲鳴すらあがらず、空気の抜けるような情けない音がなった。その音の源は自分か、隣の同僚か。
「おぬし。」
ケルベスがこちらに声をかける。しかし誰も答えない。
「耳が聞こえん訳じゃなかろうて。」
機嫌を損ねないよう、恐る恐る目をあわせる。
「そう。おぬしに言っておるのじゃ。」
満足げに彼女は言った。
「暴動は未遂。罰は儂自ら執行した。おぬしらがやることはない。」
有無を言わさぬ口調で彼女が言う。管轄外だとかお前にその権利はないだとか、彼女の意見に反対する理由はあった。だが
「龍はおぬしらの手に負えん。この件は儂が請け負おう。いいな?」
目の前の化け物が恐ろしく、首を縦に降るしかなかった。
「おい、龍よ。」
ドラが聞いていることを確信している様子で、ケルベスは虚空に言う。
「おぬしにとって儂らは羽虫のような、とるに足らぬものかもしれん。じゃが、儂らとて命が懸かっておるでな。放置はしてられんのじゃ。だから選べ。」
けして大きな声ではなかった。しかし、ハッキリと伝わる声で言い放つ。
「一生虫けらにたかられ続けるか、儂らの手綱に繋がれるか。」
文をかさ増しした自覚はあるので、しっかり書きました