とある少女の怨み
学校の七不思議、こっくりさん、エンジェルさん、みなさんは信じますか?
「旧校舎に夕方に行ったら、首絞められて殺されるらしいよ」
この噂は私達が中学に入る前から聞いていた。
それは学校の七不思議みたいな感覚で、みんなが口にしていた。知らない子はいないんじゃないだろうか。
なぜそんな噂があるのかというと、それらしい根拠がある。十年程前、いじめが原因で一人の女子生徒が、校内でセーラー服のスカーフを使い、首を吊って自殺をしたらしいのだ。
それが公になることを、この街の教育委員会が恐れて、その事実を隠蔽したとも言われている。
面白半分で夕方、旧校舎に行き、原因不明の体調不良に見舞われたり、失神して救急搬送されたりする生徒が、ここ数年のうちにいたそうだ。
その話は先輩から代々受け継がれている。私も家庭科部の先輩から聞いた。
だから少しは信じている。
☆☆☆
日下部千景とは、中学に入ってから仲良くなった。自由なオーラを放っていて、グループになりたがる女子の中で、どこにも属していなかった。
私、島野奏恵も、どのグループにも今一つ馴染めず、一人でいることが多かった。そんな私に声をかけてきたのが、千景だった。
千景といるのは、楽だった。例えば休み時間。女子はなぜかグループでトイレに行きたがる。千景も私もそんな女子の暗黙ルールが嫌だった。
千景とは基本、別行動だ。トイレに行くのも、移動教室に行くのも。そして、お互い必要な時にペアにある。昼休みに弁当を食べる時、体育で球技をする時。
ある日、弁当を食べていた時、千景が言った。
「放課後、旧校舎に行ってみない?」
私は箸でつまんでいた卵焼きを落としそうになった。
「行ってどうするの?」
「本当に首なんか絞められるのか試してみんの」
千景は唐揚げを口に入れる。
「やめなよー」と非難するような声が出た。
「あんなの嘘だよ。だって、こっくりさんとか、エンジェルさんとか、小学校の時にしたけど、十円玉も鉛筆も、ぜーんぜん動かなかったもん!」
私に目を合わせることなく言う。
「奏恵ってそういうの、したことない?」
確かに私も小学生の頃、こっくりさんは怖かったので、エンジェルさんをやってみたことがある。でも、私の場合は鉛筆が微かに動いた、はずだ。
(一緒にやっていた子同士で「今、鉛筆動かしたでしょ!」と言い合いになった。でも、みんな「動かしてないよ!」と主張したので、エンジェルさんの力で動いた、ということにした。)
今となっては、そういう怪奇現象的なことは、ほぼ起こらないだろうとわかっている。
旧校舎はその名の通り、元々は教室があった二階建ての建物だ。今は、倉庫と多目的室として使われている。
たまに授業で多目的室を使うことがあるらしいけれど、私達一年はまだ使ったことがない。
この間、たまたま部活の時にミシンが壊れたので、顧問の先生と一緒に、旧校舎にある倉庫に、予備のミシンを取りに行った。
先生が一緒だと、旧校舎に入っても何も起こらないらしい。確かにその通りだった。
倉庫の手前の方に、予備のミシンはあった。備品番号のシールには、比較的新しい日付が書かれていた。ということは、新しいミシンだ。
家庭科室に持って帰って、上糸と下糸を通し、コンセントを入れた。
その途端、ダダダダっっ!! とミシンの針が激しく動いた。側にいた生徒も顧問の先生も、慌てて離れた。沈黙が流れる。顧問の先生は、その異様な沈黙を和らげるかのように、「どうしたのかしら?」とだけ言った。
生徒が誰もそのミシンを使いたがらないのを見て、先生は仮縫いをして見せた。ミシンは普通に動いた。
「縫いやすいから使ってごらんなさい」顧問の先生は言った。
その一件があり、私は旧校舎には近づきたくなかった。
☆☆☆
それでも千景は引かなかった。「一人ででも行く」とまで言った。
「好きにすれば」と本音では言いたかったけれど、それを言ってしまうと、今の千景との程よい距離感はなくなってしまうだろう。それは嫌だった。
「五分だけなら旧校舎に入ってもいいよ」
私はそう言ったのだった。それを聞いて千景は「そうこなくっちゃ!」と声を弾ませた。
そして今、旧校舎の入り口に二人で立っている。
入った途端、首を絞められるのだろうか。それとも一定の時間が経ってから?
今になって怖くなってきた。でも、「やっぱやめよう」とは言えなかった。
千景が扉を開き、足を踏み入れる。一階の各教室全てが、倉庫に使われている。多目的室は二階にある。
千景はそのまま一階の廊下を奥へと進む。私も後につく。
この前、先生と来た時は何も感じなかったけれど、空気が黴臭い。換気なんてされていないんだろう。
「ぐっっ!!」
前を歩いていた千景が突然、妙な声を出した。
「千景?」
背中を向けたまま、千景は両手を挙げている。でも、何か様子が変だ。もがくようにして両手が宙をかいている。
苦しんでいる? もしかして! と思ったその時、千景がすごい形相で振り返り、私の首を絞めてきた。
「いやっ!! やめてっ!! 千景!! 私だってば!! しっかりして!!」
必死に声を絞り出すようにして叫んだ。
千景の顔は、見たことのない女の子の顔に見えた。目が……据わっているというか、生きている人の目じゃない。
☆☆☆
――とにかく逃げなきゃ
私はそう思って、千景の腕を掴む。けれど、その力は尋常なものではなかった。
「ぐるじ……」
気が遠くなる。でも、ここで気を失ったら、千景も私も死ぬかもしれない。そう思い、千景とともに旧校舎を出ようと思った。
幸い入口の扉はすぐそこだ。
壁に背中をつけ、後退するように入口に近く。
二人して渡り廊下に転がり出た。気を失う寸前だった。
私の上に重なるようにして倒れている千景は、動かない。その体の下から這い出し、千景の体を仰向けにする。
「千景っ!!」と声をかけ、頬を一発叩いた。
すると、うっすら目を開けた。その目は、いつもの千景の目だった。
「どこ、ここ」
渡り廊下の天井を見つめ、千景が言う。
「千景、私の首絞めたんだよ⁈」
急に腹が立って、私はそう叫んだ。その時、千景の首に、くっきりと赤い手型のような物が、浮いているのが目に入った。
「えっ⁈ マジ⁈ ごめんっ!!」
千景が体を起こしながら謝る。
「急に首絞められたみたいになって、そこから何も覚えてない……」
愕然とした様子で、千景が言う。
「千景、首、すごいことになってる……」
「奏恵もだよ。でも、それをしたのは、私なんだよね……」
千景に言われて、自分の首にも同じような赤い手型がついているのか、とゾッとした。
☆☆☆
教室がある棟のトイレに行った。
鏡で首元を見る。そこには、指が食い込んだような、赤い痣のようなものができていた。
「どうしたもんかなぁ〜。絶対、親に聞かれる」
「プロレスごっこしてたとでも言う?」
「千景のせいだよ!」
若干本気で怒った私を見て「ごめん。本当ごめん」と千景は言った。
腹が立ったのは事実だったけれど、とにかく二人とも無事でよかった。
帰って「その首、どうしたの!」と言われたら、適当に誤魔化そう。そう思い帰宅した。
仕事から帰ってきた母に案の定「何、その首!」と訊かれた。「え?」と何でもないふりを装って、「首が痛くって。あちこち触ってたからかな?」と誤魔化した。
数日経ったら消えるだろうと思っていたのに、なかなかそれは消えなかった。特に千景の方は、色素沈着したみたいになってきている。
「あんなことしなきゃよかった」と千景は半泣きになっていた。
もしかして、これが自殺したとされている、女子生徒の怨みなのだろうか。
☆☆☆
お風呂上がりに鏡を見るのは大嫌いだ。
私の首には絞められた後がある。
あれからもう二十年近く経つのに、まだ居座っているのだ。あの日の怨みが。
日中は何ともない。けれど、お風呂に入った後、あの痣のような物が、首にくっきりと浮かび上がる。
私よりも直接的に怨みをかった千景の痣は、明らかに異様なもので中学にいる間に、レーザー治療を受けるようになっていた。その後、千景の痣はどうなったのかは知らない。
一生消えない怨み抱えて生きていくしかないのだろうか。
あの日の軽率な自分達の行動を後悔している。
読んでいただき、ありがとうございました!