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線上のウルフィエナ  作者: ノリト ネギ
すべての始まり
6/37

第六章 ウイル・ヴィエン

 無音の地下空間で、それは轟々と燃え続ける。

 どれほどの月日が経過しようと、燃料もなしに巨大な業火を揺らし続けている。

 陽射しは決して届かない。それほどまでに、ここは地上から隔絶されている。

 あちこちに散見される戦闘痕。薄紫色の床や天井は削られ、えぐられ、溶かされるも、それらはもはや過去の出来事でしかない。

 広大な空間の中心には、火球と呼ぶには大きすぎる何かが浮かんでいる。

 その内部には一人の女が閉じ込められており、彼女が外部へ出られない理由は不可視の十字架に拘束されているためだ。

 磔にされ、四肢はおろか頭部さえも動かせない。唯一、長い黒髪と白色のワンピースだけが炎の揺らぎに導かれ踊り続ける。


「アルジ様。ご報告したいことガ……」


 静寂を破る、不気味な声。

 それを受け、女は炎の中にいながらまぶたを持ち上げる。眼下の部下から話しかけられたことから、退屈しのぎも兼ねて応答するつもりだ。


「なんだ?」

「ヴァサーゴが順調にニンゲンを殺しておりまス」


 業火が照らす暗闇の中を、二つの声が駆け巡る。どちらも女性の声なのだが、一方は重苦しく、もう一方はアクセントが歪だ。


「それだけで滅ぼせてしまいそうか?」

「オそらくは不可能かト。件のニンゲンの末裔がおりますゆエ。しかシ、満足のいく数は減らせそうでス」


 地中のどこまでも深いこの場所で、両者は主従関係をなぞるように見下ろし、そして見上げている。

 炎よりも赤い瞳のその先では、もう一つの火球が小さく揺らめくも、それに備わった顔は人間の女性そのものだ。もっとも、胴体と頭髪が真っ赤に燃えている時点で魔物以外の何者でもない。


「それならそれで構わない。いずれは私自ら、奴らを掃討しよう」


 紅蓮の結界の中で、磔のまま眉一つ動かさずに女は言い切る。この状況から抜け出せれば、それが可能だと自負しているからだ。

 人間の手が届かぬほどの深度を誇るここは、仮に避難場所だったとしても過剰なほどに深い。かつては戦場だったこの空間で、女はどれほどの年月を過ごしたか。もはや振り返ることも困難だ。

 ゆえに待てる。封印されようと、これが永遠でないことは直感的に理解出来ているのだから。


「ハイ。ワタシも調査を継続しまス」


 主人の自由を取り戻すこと。それが配下の役割だと、この魔物は重々承知している。

 その果てに己の願望も叶うのだから、跪いてはいるものの、妖艶なその顔は口元を釣り上げずにはいられない。


「一つ、訊きたいことがある。お前も……、扉を開くことが出来るようだが、なぜ黙っていた?」


 その瞬間、宙に浮く巨大な炎から凍り付くほどの殺気が放たれる。

 それは瞬く間に周囲へ伝播し、頭を下げる魔物すらも唯一の部下でありながら震え上がってしまう。


「申し訳ありませン。以前、説明したつもりでおりましタ……」

「ふん、まぁ、良い。存分に使って人間を減らせ。もっとも、あそこは危険な地……、飲み込まれないように、な」

「心得ておりまス。デハデハ、失礼しまス」


 音もなく、それはそこからいなくなる。

 残されたもう一人は話し相手が去ったことから、再び瞳を閉じて待つ続ける。

 今はそれしか出来ない。

 しかし、それでも構わない。

 時間は無限にあるのだから、焦るだけ無駄だ。

 十年だろうと。

 百年だろうと。

 それこそ千年だろうと待ってみせる。


(必ず……)


 殺し尽くしてみせる。

 人間という有象無象な存在を肯定出来ない。

 憎くて仕方ない。

 ゆえに、殺す。

 この世界から消し去ってみせる。

 それが本願であり、責務なのだから、その意思が揺らぐはずもない。

 だからこそ、待てる。

 結界は完璧なまでに機能しており、内からも外からも打ち破ることは不可能だ。

 そうであろうと問題ない。

 先ほどの部下がいずれ、これを解除するからだ。

 近い将来、必ずや自由を取り戻せる。

 百年後なのか。

 十年後なのか。

 もっと短いのか。

 それは誰にもわからない。

 しかし、確定していることもある。

 彼女が解き放たれた際、人間がこの世界から一人残らず殺されてしまう。この事実は覆せない。

 暗闇の中で。

 静寂の中で。

 それはひっそりと待ち続ける。

 この世の終わりを。

 人間の滅びを。

 大事なことは忘れてしまったが、破壊衝動と殺意だけは今なお色濃く残留している。

 人間達よ、この世界から消え去りなさい。

 愛に抱かれながら、消滅なさい。



 ◆




 玉座のような椅子に腰かけ、その男は眼前の机に拳を乗せる。

 琥珀色のそのデスクは色艶が素晴らしく、煌びやかな室内においてなお遜色ない存在感だ。

 沈黙を破るように男は小さなため息を吐いてしまう。原因は真正面に立つ小柄な訪問者であり、部屋の主は威厳を放ちながら、困り顔で再度口を開く。


「招待も無しに、よくここまでたどり着けたね。四英雄が一つ、ギルバルド家に侵入しようなんて発想、普通は抱けないよ?」


 男の名はプルーシュ・ギルバルド。中性的な顔立ちは二枚目でありながらどこか妖艶だ。両耳がわずかに隠れるショートな黒髪はおさまりの良さも相まって中庸なこの男に似合っている。その髪は真っ黒でありながら美しく、濡羽色という表現が相応しい。

 軍服のような衣服は装飾で彩られており、青色を基調としている理由はこの家のカラーだからだ。

 明らかに平民ではない容姿だが、小柄な訪問者は臆することなく自然体を保つ。


「それほどでも」

「いや、褒めてないから」


 招かれざる客人は飄々としている。悪いことをしているという自覚はあるものの、それよりも大事なことがある以上、そういった事情は一旦棚上げだ。


「プルーシュ様に用事があるって伝えたら、玄関から普通に入れてもらえました」

「そ、そうか……。一年ぶりとは言え、ここには何度も足を運んでもらったから、メイド達にも顔を覚えられたか……。まぁ、いいさ。それで用事とは何のことだい? 傭兵の君が私を尋ねるなんて、よっぽどのことなんだろう」


 傭兵の髪は白にも似た灰色をしており、その長さはさっぱりと短い。童顔ゆえに幼く見えるも、その年齢はどちらかと言えば大人寄りだ。

 魔物狩りで生計を立てていることを証明するように、ありきたりな衣服の上に茶色の革鎧を重ね着しており、腰には小さな短剣を下げている。

 背負っている鞄は年代物なのだろう。本来の色がわからない程度には色あせてはいるものの、その機能までは失っていない。

 ウイル・ヴィエン。パオラが一命を取り留めた翌朝、彼女のことは一旦医者に任せ病院を後にする。その理由は彼女の父親に関する情報を入手するためだ。


「ジレット大森林に何が起きているのか、教えてください」


 この問いかけが、英雄の血を引く男に疑問を抱かせる。

 傭兵にとってその森は大事な食い扶持の一つなのだから、立ち入りの制限など到底受け入れられない。

 それゆえの抗議を兼ねた質問なのだと容易に想像が可能だが、危険を冒してまで英雄の家を訪れた動機としては少々弱い。

 ゆえに、腑に落ちない。プルーシュは背もたれに体を預けながら、牽制するように腹の探り合いを開始する。


「いかに君と言えども、一介の傭兵には無理な話だ」

「そこを何とか」


 拒否されても食い下がる。それがこの少年の性分だ。


「依頼が減って大変だとは思うが、しばらくは辛抱してくれ。ジレット監視哨の封鎖には、それ相応の理由があるのでね。君達の安全のためでもあるんだ」


 ジレット監視哨は軍事拠点でありながら、大森林の入り口も兼ねている。魔物の監視だけでなく、傭兵の足止めもそこで可能だ。

 プルーシュは意地悪でウイルの要望を拒否しているのではない。それなりの事情があるということだ。

 そうであろうとなかろうと、この少年には引き下がれない理由がある。ゆえに、事前に入手した情報を手札の如く披露する。


「巨人族が現れたから……ですか?」

「まぁ、そんなところだ」


 ここまでなら容易に予想可能だ。地理的に巨人族の砦が近いため、稀ではあるがありえないとも言い難い。ギルド会館の職員でさえ、今回の封鎖をそのように予想していた。

 しかし、真実は異なる。ウイルは治維隊の隊長からそれ以上の情報を得ており、ここからはそれをちらつかせて情報を引き出させる。


「でも、巷を賑わせている例の四人がたまたま居合わせて、それでなんとかなったんですよね?」


 その瞬間、男の綺麗な顔立ちがわずかだが強張る。傭兵の発言が真実を言い当てたからだ。


「……どこで、それを?」

「とある人脈からです。これは僕の予想ですが、ネイグリングの四人は偶然大森林にいたわけじゃなくて、軍もしくはウォーウルフ家の依頼で派遣されたと思っています」


 ウォーウルフ家。ギルバルド家同様、四英雄の一つであり、王国軍を束ねる総元締めだ。社会階級としては王族の次に位置する。つまりは、平民程度が謁見出来る相手ではない。


「ウイル君は相変わらず、試すような物言いをするね。君のことは気に入っているけれど、そういうところは好きじゃないな」

「申し訳ありません。変な経歴のせいか、気づいたら斜に構えるような人生観が身に着いちゃって……。話を戻しますが、ネイグリングが駆けつけたのなら、駐在する軍との連携で巨人族ならあしらえると思います。それでも大森林が封鎖され続けている理由は、それ以外にも警戒すべき何かがそこにはある……と」

「ふむ、単刀直入に訊こう。君は何が知りたいのかな?」


 ここからが本題だ。プルーシュも決して暇ではない。そもそもこの話し合いは今日の予定に組み込まれてなどいなかった。時間は有限であり、男は腹の探り合いを止め、一歩踏み込む。


「ネイグリングが今どこにいるのか、それが知りたいです」

「ほう……。それは思いもしなかったな。今までの口ぶりから、ジレット監視哨を越えたいのかと思っていたよ。差し支えなければ、教えてくれないかな、そのわけを。相手は史上初の等級六。君は確か等級三だったかな。会って握手をしたい……なんてことはないんだろ?」


 少年が本心を打ち明けると、この部屋の主もまた、前のめりに食いつく。それほどに興味深い内容だった。


「ロストン・ソーイング。通称、槍使いのロストン。この男を探しています」

「それはなぜ?」


 ウイルの返答は答えになっていない。プルーシュはそれを知りたいのであって、ゆえに問答は続く。


「その前に教えてください。ネイグリングがなぜ、ジレット大森林に向かったのかを。もしかして、本命は巨人族ではなくて、ジレット監視哨を襲撃した謎の魔物、そいつの討伐だったんですか?」


 これにはさしもの英雄も驚きを隠せない。


「軍の中でさえ知る者は少ないというのに……。本当に君は恐ろしい傭兵だ。決して敵にはまわしたくないね。ふむ、隠し事は不可能のようだし、全て話そう。ただし、当然ながら他言無言だよ。いいね」

「はい、もちろんです」


 くだらない駆け引きは終了だ。ここからは同じ王国の民として、意思の疎通を図る。


「先ず、君は一つ思い違いをしている。仕方ないと言えばそれまでだが……」

「あ、あれ? すみません、それはいったい……?」

「ネイグリングの四人組は、確かにジレット大森林へ向かった。だけど、今回の件とは無関係なんだ。女王自らの申し出で、彼らは水の洞窟の調査に向かったんだ」

「水の洞窟? 確か……、大森林の北に存在する地下洞窟ですよね? だけど、入り口は結界で封印されてるはず……。あ、だからか」

「そう。女王の許可があれば侵入は可能。出発は五日前になるのかな。そして、道中、巨人族と遭遇、これを討伐した、と」

「なるほど」


 つまりは、結果的にそうなっただけだ。ネイグリングの四人は巨人討伐のために派遣されたのではなく、その過程で出会ったにすぎない。


「ここからが君の知りたいことにも繋がるのだが……」


 プルーシュはこのタイミングで言い淀む。今更ながら躊躇したわけではなく、それほどまでにデリケートな内容だからだ。迷うように黒髪を指でつまみながら、次の言葉を探し続ける。


「その前に、僕がロストンを探している理由をお伝えしましょうか?」

「ん? あぁ、その方が……、いや、う~ん、まぁ、聞こうか」


 傭兵の発言を受けてもなお、英雄の歯切れは悪い。そうであろうと、この話し合いは継続される。


「ロストンには子供が一人います。そして、その子はとある事情から僕が保護しています」

「保護? 赤の他人の、しかも傭兵の君が?」

「家庭の事情、的なやつです。その子が父親に、ロストンに会いたがっているので、僕が代わりに探すことにしました」


 これをもって、ウイルは手持ちのカードを出し切った。

 治安隊の隊長から教わった手がかりは二つ。

 一つ目は、ネイグリングの四人がジレット大森林で巨人族を撃退したこと。

 二つ目は、謎の魔物が監視哨を襲撃したこと。

 そして、ウイル自身の最大の切り札が、ロストンに娘がいるという事実だ。

 これらを交渉材料とすることで、必要な情報を相手から引き出す算段だった。

 ここまではこの少年の想定通りだ。

 ここからは情に訴えることで、堅物な相手の口を割らせるつもりでいたのだが、思惑通りにはいかない。なぜなら、プルーシュの表情が一層渋くなってしまった。


「そう……なのか。だとしたら、うぅむ。最悪、だな」

「え?」


 その単語がウイルを静かに驚かせる。言い淀む理由は秘密にしたいからではない。言いにくいのだと、この瞬間に理解させられた。


「ジレット監視哨は、巨人族とは別の魔物に襲われた。四日前にな」

「四日前……」


 その数字が、ウイルの目を細めさせる。

 パオラの父親は五日前に出発、当然ながら当日中にジレット大森林に到着している。

 その差は一日しかなく、決して無視は出来ない。


「それは全身が黒く、見た目は我々人間に近いらしい。もっと適切な表現を用いるなら、女性のようだった、と」


 プルーシュが補足説明を終えると、少年の反応を伺うように瞳を覗き込む。

 ウイルは十六歳の若さながら、傭兵としては四年も活動を続けている。イダンリネア王国の周辺だけでなく、用事があれば遠出も辞さない。それでも、そのような魔物は見たことも聞いたこともない。

 強いてあげるなら、絵本の中でなら見覚えがあった。つまりは実在しない、空想の化け物に他ならない。

 ゆえに、驚きだ。うろたえはしないが、心拍数が上がってしまう。


「そんな魔物……」

「あぁ、我々も知らない敵だ。それは突然現れ、常駐する兵達を次々と襲い、最終的には追い払えたものの、その時点で半数近くが殺されてしまった。これが封鎖の真相さ。そして、この話には残念ながら続きがある……」

「続き……?」

「あぁ、君が知りたいことでもあるのだが……。そうだな、その前に現状について話しておくと、その黒い魔物は以降姿を見せてはいないものの、おそらくはどこかでこちらを伺っているはず。そう思える理由だが、ジレット監視哨が連日のように巨人族によって襲撃されているんだ。タイミング的に、黒いのが関係しているとしか思えない」

「確かに……。見た目こそ似てないですけど、黒いのと巨人族に繋がりはありそうですね」


 二人の言う通り、それらは似て非なる存在だ。それでも、とある共通点を無視することも出来ない。

 どちらの姿も、人間に近いということだ。

 二足歩行と自由な両手。

 上半身と下半身に区分可能な胴体。

 そして、頭部。

 魔物の多くは、動物や昆虫のような見た目をしている。仕草に至ってもそれに近い。

 そういった背景から、乱暴な推測ではあるのだが、人間のような見た目をしている二種類の魔物が同時に現れたのなら、その繋がりを疑いたくもなる。


「ここからが君の質問の答えになるのだが……、例の四人は黒い魔物に殺された可能性が非常に高い」

「えっ⁉」


 仰天の余り、ウイルは右足を半歩後退させてしまう。

 ネイグリング。実力だけなら間違いなく最上位の四人組だ。その強さは見せかけでもなければまやかしでもない。

 傭兵が等級四へ昇級するためには、単身で巨人を倒さなければならず、その試験には傭兵組合の職員が立ち会うのだから嘘や捏造は通じず、見事合格したのなら一級の実力者と胸を張れる。

 その上が等級五だ。この百年間、該当者が現れないほどの困難な条件を、彼らは見事達成してみせた。

 そこで足踏みせず、あっという間に等級六という前代未聞の昇級を果たしたのだから、四人はそれぞれが一騎当千の傭兵であることは間違いない。


「死体が見つかったわけではないのだから、断言は時期尚早だろうとは思う。しかし、そうとしか思えない理由が……ある。それは、オデッセニア女王がネイグリングのリーダーに授けた一品物の刀を、その魔物が所持していたからだ」

「それは……、つまり、四人は黒いのとも鉢合わせ、敗北した……と」

「そうとしか考えられない。もちろん、逃げおおせた可能性は捨てきれないがな。だとしても腑に落ちないことはある。なぜ、未だに帰還しない?」

「確かに……、そうですね。本当に、最悪……です」


 断言は出来ない。

 ゆえに、決めつけるしかない。

 それでも、ネイグリングの四人組が無事でないことは容易に想像可能だ。

 むしろ、そうとしか考えられない。

 単身で軍事基地を半壊させる魔物と、傭兵として初めて等級六に至った四人組。どちらが勝るのか、それは当事者にしかわからないものの、今回ばかりは魔物に軍配が上がったと考えるべきだ。


「そういうことだから、君をジレット大森林へ行かせることは許可出来ない。さぁ、話し合いは終了だ。帰る前に紅茶でも飲んでいきなさい」


 プルーシュはこの問答を切り上げる。危険性および封鎖の事情を全て話した以上、客人には帰ってもらうしかない。

 そのはずなのだが、そんな論法はこの少年に通用しない。


「それでも僕は大森林に行きます。行って、死体を見つけてきます。形見を……、ギルドカードを持ち帰ります。あの子のためにも」


 ギルドカード。傭兵が傭兵であることを証明する身分証だ。傭兵試験に合格した者へ傭兵組合が発行する小さなカードなのだが、野垂れ死んだ同胞を見つけた際、彼らはそのカードを回収、儀式のようにギルド会館へ届ける。

 そうすることで誰が死んだかを傭兵組合は把握し、親族への連絡が果たされるのだから、その習慣はとても大事だ。


「相変わらず頑固だな。ネイグリングでさえ敵わない魔物が潜んでいるんだぞ。君の実力は認めるが、どうこう出来る相手じゃない。私はそう言っている」

「そこをなんとか。お願い、します!」


 取り付く島もないが、それでも諦めない。ウイルは背筋を正し、グンと頭を下げる。

 この状況では、ただひたすらにお願いするしかない。引き下がるという選択肢はないのだから、目的のために全身全霊で頼み込む。


「ふぅ。私はね、君を買っているんだ。傭兵でありながら教養があり、誰よりも視野が広い。だから、今回は大人しく手を引いてもらう。あそこは今、それほどに危険なんだ。わかってくれるね?」

「わかりません。お願いします!」

「本当に諦めが悪いな……。言い方を変えよう、君程度だと確実に殺される」

「それなら、多分大丈夫だと思います。その自信だけは、あります」


 この少年は無謀ではない。愚かではあるが、自分の実力をわきまえている。

 だからこそ、問題ないと導き出した。

 黒い魔物がどれほどの強者であろうと、殺されない自信がある。

 それを可能とする手段を、ウイルは持ち合わせている。


「何を根拠に……」


 プルーシュの反応は至極当然だ。この傭兵は等級三ゆえ、その肩書だけで判断するならば、巨人族にすら太刀打ち出来ない。ましてや今回はそれ以上の魔物が潜んでいるのだから、死にに行くようなものだ。


「勝てない相手からは逃げる。それをモットーに四年間、傭兵として活動してきました。だから、今回も大丈夫だと思っています」


 エルディアという無茶な相棒と共に、この大陸を駆けまわった。

 猪突猛進だった彼女。

 未知の魔物に勇み挑む彼女。

 不利かどうか見極められない彼女。

 それでもこの四年間、二人は死ぬことなく傭兵稼業に没頭出来た。

 その理由はひとえにこの少年のおかげだ。

 戦況を見極め、エルディアと魔物の強さを天秤にかけ、危機的状況を回避し続けた。

 勝ち目がない場合は全力で逃げる。敗北は悔しいが、死ぬことだけは避けなければならない。そんな考えのもと、ウイルは時に逃亡を提案し、彼女を説得して生き延びた。

 それを可能とする手段が、この傭兵にはある。奥の手とは呼べないほどにありきたりな手法だが、それを使えるという事実が心に余裕を持たせており、その眼力にも自然と勇気が宿る。


「そうは言っても……な。今のジレット大森林は巨人族も跋扈している。監視哨の周辺は掃討が完了したが、森の奥へ進めばたちまち囲まれるぞ。その時はどうする?」


 この男が首を縦に振らない理由は、ウイルのことを純粋に心配しているからだ。多少、腕が立つことは認めているも、立ち入りの禁止を覆すほどではない。


「この三か月でミッチリ腕を磨いたので、巨人相手に遅れはとらない……と思います。その証拠になるかどうかはわかりませんけど、先月そいつらの新築らしい砦に乗り込んでみましたが、すっごく強い個体を炙りだせる程度には乱獲出来ました。親玉っぽいのからは逃げましたけど。いや、迫力がすごくて……、ほんとに……」


 攫われたエルディアを救い出すため、この少年はひたすらに努力を積み重ねた。その成果を実感したいがために巨人族の砦に殴りこんだのがおおよそ一か月前の出来事だ。

 そこでどれほどの数を討伐したとしても金が稼げるわけではなく、途中で切り上げてしまったが手応えとしては申し分なかった。

 確実に強くなれた。そう実感出来た以上、エルディア探索に集中したいところだが、金欠ゆえに仕事もこなさなければならず、その上今回はパオラと出会ってしまった。

 そういった事情から身動きが取れない状況なのだが、そもそも彼女がどこにいるのかわからない以上、焦っても意味はない。

 もっとも、この場での問答において重要なことは別にある。


「巨人族の……砦? それはもしや、スウェイン水林に建設された、奴らの最前線基地のことか?」

「最前線かどうかはわかりませんが、多分そうだと思います。地図で言うと丁度真ん中の、沼地から少し南下した辺りのです。巨人族の親玉を初めて見ましたけど、あんなにでかいとは思ってもみませんでした」


 目を細める英雄をしり目に、ウイルは自虐的に笑う。

 危険を承知で死地に赴くことは決して賢明ではない。一対一なら必ず逃げ延びられる自信があるからこその発言ではあるのだが、この少年もまた、気づかぬ内に狂ってしまったのかもしれない。


「繰り返しになるが、巨人族を大量に殺した、と。具体的にはどのくらいになる?」

「え……、うーん、自信はありませんが、百くらいかもしれません。正面から殴りこんで、手あたり次第に倒して、見える範囲だとかなり減らせてた……と思います。少なくとも、死体の方がずっと多かったです」

「その話が本当なら……、いや、嘘ではないのだろう。なるほど、そういうことか……」


 説明を受け、プルーシュは一人納得する。

 そして沈黙が訪れるのだが、ウイルはその時間を使って彼女との思い出を振り返る。


(初めて巨人族と遭遇したのは、四年前。あれからそんなに経ったんだ。忘れもしない、エルさんと二人で迷いの森を目指してた時に……)


 懐かしい記憶だ。

 荒野で出会った、片腕の巨人。

 エルディアが鼻息荒く挑むも、彼女でさえ歯が立たなかった強敵。

 当然ながらウイルに戦える力はなく、彼女を背負って逃げ出すことが精一杯だった。

 泣きながら、必死に歩いた。

 歯を食いしばりながら、全力で走った。

 運良く、その巨人を巻くことに成功したが、今でも思い返すだけで背筋が凍ってしまう。


(今の僕なら、あれに勝つことが出来るのかな?)


 巨人族。その強さは魔物の中でも突出している。傭兵でさえ、戦う際は三人で挑むよう心掛けるほどだ。

 丸太のような腕から繰り出される打撃。

 巨体ゆえのリーチの長さ。

 必殺の衝撃波。

 その強さは単純明快でありながら、人間というちっぽけな存在を容易く肉片に変える。

 そういった事情とは別に、もう一点注意すべきことがある。巨人族は人間同様、個体ごとに実力が異なるということだ。

 傭兵が三人がかりで倒せる巨人。

 三人の傭兵をあっさりと殺す巨人。

 エルディアでさえ、手も足もでなかった巨人。


(今となっては確かめようがないけれど……。うん、きっと勝てる……と思う。そう思いたい。だって、伊達に四年もエルさんにしごかれてないし。素振りも毎日欠かさずやってるし……)


 楽しくも苦しい年月を駆け抜けた。それが血肉となり、今では一人前の傭兵だ。少なくとも、本人はそのつもりでいる。

 しみじみと思考を走らせるウイルを他所に、プルーシュもまた、英雄の椅子に腰かけながら自問自答を終えて口を開く。


「……わかった。ジレット監視哨の通行を許可しよう」

「わ、ありがとうございます!」


 その瞬間、ウイルは子供のように歓喜する。場所が場所ゆえ騒ぎはしないが、少なくとも声のトーンは一段上がってしまう。


「傭兵の君には言うまでもないだろうが、決して無理はしないように」

「は、はい」

「それと、必ず帰って来るんだぞ」

「わかりました。それでは失礼しま……」

「いや、待て待て。せっかちだな、君は……。今、許可証を書くから少し待ってなさい。手ぶらで乗り込むつもりかい?」


 交渉成立だ。

 プルーシュが一筆したためれば、それが通行手形となり、ウイルはジレット監視哨の通過を許可される。

 この時点で事前準備はほぼ完了したと言っても過言ではない。

 ジレット大森林が封鎖された理由。

 ネイグリングおよびパオラの父親の所在。

 この二つを知ることが出来たのだから、申し分ない成果だ。

 ロストンが死んでいることを省く必要はあるが、それさえも些末な問題だ。どの道、殺すつもりでいたのだから、手間が省けたと内心では笑い飛ばせば良い。

 パオラが一命をとりとめ、その上父親から解放されたのだから、後は死体を見つけ出し、形見を回収すれば万事解決と言えよう。

 目先の悩み事と言えば、父親の生死を伝えるべきか否か。

 それについては帰路の最中にでも考えればよい。つまりは、結論を先送りにする。

 さぁ、帰ろう。

 医者と少女が待つ、その病院へ。



 ◆



 慌ただしい訪問者が去り、室内は本来の静けさを取り戻す。

 ここは客室ではないものの内装は美しく、色とりどりの調度品はそのどれもが宝石のように煌びやかだ。

 ドシンと居座るその机には、扉と向き合うように椅子が添えてあり、その男はため息にも似た呼吸と共に背もたれへ体を預ける。


「なぜか、疲れた……」

「お疲れ様です」


 男の名は、プルーシュ・ギルバルド。濡羽色の髪をかき上げながら美しい顔を晒すも、その表情は笑顔とは程遠い。

 部屋にはもう一人。白を基調としたメイド服を着こなすその女性は、見た目通りこの家の従者だ。部屋の主よりも一回りは年上ゆえ、この状況でも落ち着きを払っている。


「兄上の代理とは言え、あぁ、しんどい。もう寝てしまいたい……」

「後でお茶のおかわりをお持ち致します」

「デフィアークティーで、よろしく」

「かしこまりました」


 実は、この男は超越者だ。その実力はイダンリネア王国において頂点に近いはずなのだが、今はすっかりやつれている。それほどまでに、ウイルとの問答には神経をすり減らされた。


「彼がジレット大森林に出向くことで、戦況がどう転ぶのか……。見ものではあるが、やはり心配だ」


 若葉色の上着から解放されたいのか、プルーシュは胸元のボタンを一つ、二つと外し始める。

 主のそのような動作を気にも留めず、メイドは長い青髪を垂らしながら頭を下げる。


「私の部下があの少年を招き入れてしまったがために、プルーシュ様にご迷惑をおかけしました。大変申し訳ありません」

「いや、それは構わないんだ。むしろ、良くやったと褒めたいくらいさ。そういえば、あの子のことは余り知らないよね? 君の目から見て、どう映った?」


 この女性はメイド長だ。部下の失態を詫びるも、家長は異なる反応を示すばかりか、摩訶不思議な問いかけを投げかける。


「あんなに小さな子供でありながら傭兵を務めるとは、恐れ入ります。それと、左目のホクロがチャーミングでした」

「そ、そう……。ちなみに、いくつくらいに見えたかな?」

「十二、三といったところでしょうか……」


 メイドの予想は大外れだ。

 そう見えてしまう理由は二つ、顔が幼い上に身長がかなり低い。ゆえに、誰しもがウイルの年齢を当てられない。


「実は十六歳なんだ。つまり、私と二つしか離れていないことになる」

「それは……、大変失礼致しました」


 プルーシュの年齢は十八歳。その若さでギルバルド家を取りまとめているのだから、権力と英才教育の賜物と言えよう。


「彼はね。実は、元々は貴族の人間なんだよ」

「それは存じておりませんでした。どちらの?」

「エヴィ家。僕達の直系ではないからね、メイド長と言えども知らなくて当然さ」


 ウイル・ヴィエン。この名は偽名だ。

 ウイル・エヴィ。こちらこそが本名なのだが、残念ながら今はもう名乗ることが許されない。


「エヴィ家……。確か四年前、一人息子が行方をくらました……」

「お、知ってたのか。そう、その子だよ。アーカム学校を辞めて、家も飛び出して、その果てに傭兵になっていたのさ。すごい話だろ? まぁ、ここまでだったら極稀に耳にする与太話ではあるが……。本当にすごいのは元貴族のボンボンが、最前線で戦えてるってことの方なんだけど」

「才能に恵まれていたのでしょうか?」

「いいや、本人に訊いたことがあるけれど、全くの逆だったらしい。傭兵試験でいきなり死にかけ、その後も何度も何度も魔物に殺されかけたそうな。曰く、凡人以下からちょっとずつ積み上げていった結果、巨人族すら蹴散らせるほどに強くなれたそうな。にわかには信じられないけどね」


 つまりは努力の上に今がある。もっとも、それはひとえにエルディアという傭兵に出会えたからだ。彼女がいなければ、ウイルは最初の一歩で魔物に殺されていただろう。


「プルーシュ様とは異なり、後天的な超越者ということでしょうか?」

「残念ながら、今の彼にそこまでの力は感じなかったな。少なくとも現時点では、人間の範疇に収まっているはずさ。もっとも、私が彼を評価している点は他にあって……。諦めない心、挫けない強さ、そこなんだよね。四年前に起きたとある事件、これを聞いて思い当たる節はないか?」

「四年前、ですか……。ルイ様とイザベラ様が喧嘩をされたことでしょうか?」

「それは……、三年前……。う、思い出すだけで眩暈が……、本当に、兄上は大馬鹿なんだから……」


 プルーシュがよろめくのも無理はない。

 ギルバルド家の本来の当主はこの青年ではなく、兄のルイが該当する。三年前の事件が原因で現在は国外に半ば追放されており、プルーシュは次男としてこの家を支えているに過ぎない。

 戻ってきてくれれば、すぐにでも当主の座を譲るつもりでいるのだが、肝心の長男は外の世界を満喫しており、知らせすら寄越さない。


「四年……前。あ、ライノル医師の……」

「そう。ライノル先生の自宅が火事で全焼、夫婦揃って焼死した件だ。世間的には事故による火事で片づけてあるが、実際は異なる。あれは、放火殺人事件だ」


 ライノル・ドクトゥル。王国一の名医だった老人であり、アンジェ・ドクトゥルの祖父に当たる。

 老体でありながら現役の医師として貴族や英雄、果ては王族でさえ診療し続けるも、彼の最後はあっさりと終わりを告げた。


「放火……ですか。それは確かに、市井には伏せたくもなりますね」

「ああ。しかも、厳密な言い方をするのなら、殺害後、その余波で家が燃え、老夫婦は骨すら残らず家ごと消失したということになる。その容疑者の一人が、ウイル君だったのさ」

「それは、なぜでしょうか?」

「タイミング……かな。運が悪かっただけとも言えるし、治維隊はとりあえず怪しい人間を片っ端から取り調べるしかなかった、とも言える。この事件なんだけど、最終的にはウイル君が自身の無実を証明するため、真犯人を特定してみせたんだ。すごいだろう? 当時はまだ十二歳の子供だったのに……」


 家長の発言が、メイド長を心底驚かせる。嘘を言うような人間でないことは重々承知しており、だからこそ、この女性は今の話を正面から受け止め、冷や汗を浮かべる。


「私には到底……」


 不可能だろう。もし、そのような立場に追い込まれたら、大人であろうと足踏みしてしまう。


「その出来事以降、私は彼のことが気に入ってしまってね。貧困街の件とか、まぁ色々あったが、今ではこうして英雄の僕を便利屋扱いしてくれる程度には仲が深まったよ。あ、ここ笑うところね」


 そうは言ってもメイドは笑わない。おもしろくない上に笑えない内容だからだ。

 イダンリネア王国には、決して覆せない階級制度が存在している。

 王族を頂点に、四英雄が続き、次いで貴族が君臨している。富裕層や軍の上層部がこの下に位置し、ここまでが上層として王国の支配に加担している。

 それ以外の国民が下層に住んでおり、一般市民として歯車の如く働き、その一生を終えることとなる。

 ウイルは十二歳までは貴族だったが、今では単なる庶民だ。

 ゆえに、本来は英雄と会うことはおろか、丘の上に足を踏み入れることさえ許されはしない。


「末恐ろしい少年なのですね……」

「そうだね。傭兵としての高い実力、貴族並の教養、それだけじゃない。計算高さと我の強さ、なにより……、まぁ、これを言うと本人は否定しそうだけど、幼い見た目を利用して子供らしく振る舞って大人を煙に巻くところなんか、もうずるいとしか言いようがない。もしこれを意識してやっているのなら、そこらへんの犯罪者よりも遥かに要注意なんだけど……、そのことに気づけているのは私くらいなんじゃないかな。あ、今日から君もその一人だ」


 言い終えるや否や、プルーシュは楽しそうに笑いだす。

 一方、青髪のメイドはその場から動くことさえ出来ず、反応に困りながらも感想を述べる。


「彼が味方で良かった、と言うべきなのでしょうか?」

「うん、そうだね。ただまぁ、いつの日か、どでかい事件を巻き起こしそうだけども……。その時までに兄上が戻って来てくれることを祈るのみだ。さっさと隠居したい」

「ルイ様をお戻しになられるのなら、女王にそうしてもらうしか……」

「もしくは、兄上が興味を抱くほどの逸材が王国に現れたら、とか……。え? もしかしてここにも彼が絡む可能性があるの?」

「あ……」


 予想ですらない妄想だが、二人はその言葉を否定出来ないまま、当然のように黙り込む。

 何をしでかすかわからない。そういう意味では、プルーシュにとって兄もウイルも悩みの種だ。


「デフィアークティーと、後お菓子も……」

「かしこまりました」


 現実逃避のように当主は書類仕事を再開する。英雄と呼ばれる血筋は四つ存在しており、そのどれもが王国を支える屋台骨だ。当主ともなれば決して暇ではなく、片づけなければならない仕事が目の前に山積している。

 貴族も、メイドも、医者も、農夫も、宿屋も、武器屋も、漁師も、そして王族も自身の役割を果たさなければならない。

 ならば、傭兵もそれは同じだ。

 目指すは、ジレット大森林。飢餓に苦しんだ少女に手を差し伸べた以上、最後まで面倒を見るつもりでいる。

 見捨てたりはしない。少なくとも、彼女の父親とは違うのだから。

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