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線上のウルフィエナ  作者: ノリト ネギ
すべての始まり
4/37

第四章 すがるように己を責めて

 テーブルを挟んで見つめ合う、二人の男。

 室内の雰囲気は最悪だ。重苦しい空気がまとわりつくように漂っており、壁際に立つもう一人の隊員もばつが悪そうに顔をしかめる。

 窓すらないこの部屋は、取調室。容疑者を連行し、質疑応答を行うための場所だ。

 その男は緑色の帽子を脱ぎ去る。現れた黄色い髪ごしに頭をかくも、決して痒いからではない。

 はぁ、とため息が一つこぼれるも、それもまた、その隊員が発した雑音だ。


「帰ってよし」

「そこをなんとか」


 珍妙な状況だ。

 取り調べる側の治維隊が釈放を言い渡したのだから、容疑者は嬉々として帰路に就くはず。この少年がそうしない理由は、手ぶらでは帰りたくないからだ。


「あの人に気づかれる前に帰ってくれ」


 そう言い渡す男の名はビンセント。治維隊の隊長を務めるエリートであり、本来ならば取調室に足を運ぶことは滅多にない。

 そのレアケースが今回だ。連行されてきた少年がある意味で要注意人物だったため、渋々その椅子に腰かけている。

 軍服のような緑色の制服はそれだけでも見る者に圧迫感を与えるものだが、対面の傭兵は慣れた様子で背筋を正している。それどころか、前のめりだ。


「もう少しだけ取り調べをお願いします。そして色々教えてください」

「死ね。誰だー、こんな奴しょっ引いて来た奴はー。 ストレスで俺のこと禿させたいのかー?」


 この二人は知り合いでも何でもないのだが、顔見知りではある。そういう意味では数年来の間柄だが、ビンセントのテンションは急降下中だ。


「同じ派閥のよしみと言うことで、なんとか」

「治維隊と傭兵を一緒にするな。で、何で上層に上がりやがった?」

「病院に行こうと思いまして……」

「下にもあるだろうが……。まぁ、理由はわかった。さっさと帰れ」


 取り調べは終了だ。逮捕するほどの罪状ではなく、隊長は素っ気ない態度でウイルを追い出そうとする。


「そんなこと言うと、また上に行きますよ?」


 ある意味で脅迫だ。自ら罪を犯すと言っているのだから、壁際の隊員も混乱し始めている。


「知らん。好きにしろ」

「あの人の家の前で、ビンセントさんに逮捕されたーって叫んじゃいますよ」

「ちょっおま……。ろ、牢屋にぶち込むぞ、このガキ……」


 揺さぶりをかける十六歳。

 あっさりと動揺する二十九歳。

 容疑者と治維隊の間柄ながら、立場は完全に逆転だ。


「ご存じでしたら教えて欲しいことがありまして……」

「そんなことのためにわざわざ捕まったのか?」

「い、いえ、それは偶然と言いますか、うっかりしてたと言いますか……」

「さてはおまえ、なにかと上層に……。呆れて物も言えん」


 二枚目な顔立ちがグニャリと歪む。

 ビンセントの言う通り、ウイルの行為は決して褒められたものではない。身分の違いは絶対であり、区別であり差別でもあるのだが、この国はそういう手法で千年もの歴史を築いてきた。


「極稀にですよ、本当に。今回だって小さな女の子を病院に連れていくためで。あ、実はその子とも関係があるんですが、最近、等級六になった傭兵について調べてる最中なんです」

「ほう……」


 取調室から追い出されるよりも先に、ウイルは本題を持ち出す。そうする理由は、眼前の男が何かしらの情報を知りえている可能性が高いためだ。

 治維隊は王国の治安を守るため、日夜目を光らせている組織だ。軍属ではないのだが精鋭揃いであり、彼らが悪人に負けることは決してない。組織の構造上、庶民が知りえない情報が上から降って来ることも珍しくはなく、この少年はまさにそれを狙っている。


「その内の一人、ロストン・ソーイングを探しています。だけど、ここ一か月はギルド会館に来てないっぽくて……。タイミング的に昇級と関係がありそうですが、そこで行き詰っています」

「なんでそんな奴を探してやがる。今じゃ貴族よりも立ち位置は上かもしれねーぞ、そいつら」


 貴族。特権階級に位置する、特殊な家柄だ。王族がこの国を正しい道へ導く存在だとしたら、貴族はそれ以外を受け持っていると言っても過言ではない。

 裕福な財産を保持しており、それが彼らを強者として君臨させ続けている。

 坂の上に住むことを許されている、数少ない上流階級の一つだ。


「さっき言った女の子の父親なんです。今朝、ギルド会館にやって来たんですが、餓死寸前だったからとりあえず僕が保護しました」

「ちっ、そういうことか。で、王国一のお医者様に診てもらった、と。その子の症状は?」

「栄養失調と飢えの両方で、今夜にも死ぬかもしれないそうです……」


 その瞬間、室内の空気が凍り付く。

 待機中の若い隊員はよごめき、背後の壁にもたれかかってしまう。

 ビンセントは無念そうに天を仰ぐも、心中は複雑だ。


「そいつは……、ロストンは娘をほっぽりだして、国事やらなんやらに出ずっぱりってことか? 母親は?」

「片親のようです」

「畜生過ぎるだろうが!」


 我慢の限界だ。隊長は怒り狂うように右腕を振り上げ、眼下のテーブルを粉みじんに叩き割る。


(こ、こわ……。あ、僕もさっきはこんな感じだったのかな? 気を付けないと……)


 病室で医者を驚かせてしまったことを振り返り、ウイルは静かに反省するも、今はそれよりもすべきことがある。


「その子は父親に会いたがっています。だから、僕が代わりに探しています。四人の居所を知りませんか?」


 少年の問いかけは独り言に終わる。正面の男は未だに怒りを抑えきれておらず、その呼吸は乱れたままだ。


「女王様に呼ばれて、連日連夜祝ってもらったんだろうなぁ、と思うんですけど、だとしても一か月は長する気がしていて。今日もお城で豪遊しててくれてるのなら、それならそれでやりようはありそうですけど……」


 ウイルの予想通り、彼らが城にいるのなら、探りを入れることですぐにでも見つけらえるだろう。この少年にはそれを可能とする縁があり、出来れば使いたくはないのだが最終手段として行使することも辞さない。


「悪いが俺もそいつが今どこにいるか、までは知らん。見つけたら絶対にここへ連れて来い。いいな?」

「え、なぜですか?」

「牢屋にぶち込んでやる」


 ビンセントも見抜く。これは虐待であり、育児放棄ということを。

 しかし、その命令には従えない。ウイルはゆっくりと口を開く。


「嫌です。僕がそいつを殺します」

「逮捕ー。容疑者確保ー」

「た、助けてー!」


 迂闊だったと気づかされた時には手遅れだ。殺人犯は二人の大人に取り押さえられるも、未遂だったためすぐに解放される。

 本音と建て前を使い分けることの重要さを身をもって学習しつつ、ウイルはその後も隊長から情報を引き出す。

 ついに収穫ありだ。

 ゆえに、追い出されたその足で再度病院を目指す。

 気づけば日が傾いており、外はわずかに薄暗い。

 昼食を抜いたため空腹を感じ始めるも、朝食を食べ過ぎたことから耐えられる範疇だ。


(薬、完成したのかな?)


 素材は届けた。

 ならば、そこから先は任せる他ない。

 それをわかっているからこそ、少年の足は普段より早まってしまう。

 大通りを歩く、多数の王国民。その流れに逆らいながら、ウイルは寡黙に歩き続ける。

 その先で待つ、医者と少女に思いを馳せながら。



 ◆



 無音の病室にはベッドが一つ。

 小窓から差し込む陽射しは薄暗く、夜の足音はすぐそばまで迫っている。

 ベッドで眠る少女は、痛々しいほどにやせ細っている。その外見は死体よりも直視に耐えない。

 痛いほどの静寂は、太陽が沈みきるよりも先に破られる。ノックも無しに、扉が開かれたからだ。


「お邪魔します。アンジェさん? いないのか……」


 ウイル・ヴィエン。医者でもなければ、保護者でもない。一介の傭兵でしかないのだが、今では誰よりもこの子のことを案じている。

 入室後、小さなキャビネットに向かった理由は、その上のマジックランプに触れるためだ。そうすることで室内に光があふれ、二人の顔の輪郭がハッキリと描かれる。

 マジックランプ。魔道具の一つであり、炎とは異なる原理で光り輝く。見た目こそランタンと大差ないが、その仕組みは似て非なる。


(い、生きてる……よね?)


 眠るパオラの顔を視認してもなお心配してしまう理由は、彼女の見た目がそうさせるからだ。極限以上に肉が削げ落ちており、頭蓋骨に皮膚が張り付いている状態だ。

 つまりは、死人そのもの。生きていることがありえない。

 それでもこの少女は呼吸をしている。

 奇跡なのか。

 悲劇なのか。

 その問いかけに対し、答えを持ちうる者はこの世にいないのかもしれない。


(どうしよう。診療室にもいなかったし、ここにもいないとなると、薬を作ってる最中なのかな? なら、ここで待ってるしかないか)


 病院を訪れた理由はパオラの容態を見守るためでもあるのだが、アンジェがいなければそれもままならない。素人が患者の顔を眺めたところで何もわからず、つまりは手持ち無沙汰な状態だ。

 ならば、二人で静かに待つしかない。

 ここは病室。狭いなりにもベッド以外に椅子や棚など、最低限の家具が用意してある。医者の登場を待つしかないのだから、今は大人しく椅子に腰かける。


(あぁ、こうしてると母様の時を思い出す。状況は全然違うけど……。もう、四年も前になるのか)


 懐かしい記憶だ。

 そして、ウイルが傭兵という世界に足を踏み入れるきっかけでもある。


(呪恨病の薬を手に入れるために傭兵になって、エルさんと二人で旅立って、そして、二人して死にかけて……)


 楽しくも危険な日々は、同時に忘れがたい思い出となって少年の記憶に焼き付いている。


(ハクアさんに薬を作ってもらって、一人で届けて、そして……)


 戦いの日々だ。それは今も変わらないが、あの頃は遠くから眺めるだけの毎日だった。

 短剣もまともに扱えず、半人前ですらなかった。当時は十二歳の子供ゆえ、当然と言えば当然だ。

 しかし、今は違う。

 気づけば等級は三に上がり、その実力はエルディアを越えてみせた。

 それでもなお、あの日の惨劇は避けられなかった。

 正気を失った彼女と戦い、相打ちに近いかたちで敗れてしまう。

 その結果、謎の二人組によってエルディアは連れ去られ、今に至る。

 悲しみ、落ち込みもしたが、この三か月を無為に過ごしたわけではない。

 準備は整った。

 後は見つけ出し、連れ帰るだけだ。

 この少女との出会いは、そんな矢先のことだった。


(何はともあれ、エルさん探しは一旦後回し。ロストンを探さないと……。例え、この子が明日を迎えられなかったとしても……)


 そう決意した以上、その信念は曲げない。

 パオラとロストンを再会させるため。

 もしくは、娘を虐げた父親を殺すため。

 どちらに転ぶかは、まだわからない。

 どうであれ、探すことに変わりはなく、ウイルは先ほど得た情報を精査しつつ、そっと瞳を閉じる。

 実は、まだわからないことだらけだ。進展はあったが、正解には至っていない。

 ゆえに、考える。

 眠るように考える。

 二人っきりの病室は無音のままだ。そうであろうとなかろうと、時間は淡々と過ぎ去っていく。

 無人のような静寂は、彼女が現れる一時間もの間、続くこととなった。


「あら、来てたの」


 白衣をたなびかせながら、アンジェが意気揚々と帰還を果たす。

 右手にはガラス瓶。中は緑色の液体で満たされており、持ち主が歩く度にゆらゆらと揺れている。


「お邪魔しています。もしかして、それが?」

「ええ。おかげで完成したわ。エリクシルよりもさらに上位の薬がね。名前は……、ハイエリクシル、かしら」


 わずかにずれた眼鏡を気にも留めず、女医は豊満な胸を見せびらかすように勝ち誇る。


「お~、さすがです」

「服用のためにも一旦起きてもらいましょう」

「あれ、ふりかけるんじゃなくて?」

「外傷ならそれでも良いのだけど、こういう時は経口摂取がベストなの」


 寝ているパオラの口に突っ込むわけにもいかず、アンジェは慎重に彼女を起こす。


「おはよう。しんどいと思うけど一度起きてちょうだい。これ、お薬を飲んで欲しいの」

「……ん」

(なんか……、やばい気がする……)


 医者に背中を支えられながら、パオラがゆっくりと体を起こすも、その動作がウイルの不安を煽る。

 寝起きということを加味したとしても、少女は非常に弱々しい。寝たきりの老人よりもぎこちなく、触れただけで折れてしまいそうなのだから、そう思ってしまっても無理はない。

 自力では上半身を起こすことすらままならず、アンジェの手が彼女の背中に寄り添っていなければ、後方か左右のどちらかへ倒れてしまいそうだ。


「量が多いけど大丈夫だからね。少しずつ、ちょっとずつでいいから」

「……うん」


 女医の仕草に迷いはない。左手は患者を支え、右手は器用にハイエリクシルを服用させる。

 トク、トクと喉を鳴らしながら、パオラは緑色の液体を飲み進めるも、遅々として容器の中は空にならず、ウイルとしても心配せずにはいられない。


「この子、胃が弱ってるから飲み干せないんじゃ……」

「大丈夫。体の中ですぐに治療効果へ変換されていくから、決して満腹にはならないの」

「あ、振りかけた時と同様、蒸発する的な……」

「そういうこと。さすがにアーカム学校では習わない範疇よね」

「ど、どうでしょう……。なにぶん僕は中退なもので……」


 そんなやり取りを他所に、少女は傾けられた小瓶に口をつけ、すがるように飲み続ける。

 それでも液体の残量はなかなか減らない。

 一口が少ないのか。

 飲むという行為すら、つらいのか。

 どちらにせよ、二人は最後まで見守るしかない。


(赤ん坊に哺乳瓶でミルクを与えてるみたい……。とか言うと、お医者さんって怒るのかな? わかんないから黙っていよう)


 一歩引いた位置から眺めているウイルには、アンジェとパオラが母親と乳飲み子のように映る。実際には医者と患者であり、おちょくるつもりはないのだが、波風を立てないためにも今回は沈黙を選ぶ。

 その後も二人の様子を眺めていた少年だが、だからこそ異変に気付くことが出来た。


(あれ? さっきから全然減ってないような。さらにペースが落ちちゃっただけ? いや、もしかして……)


 透明な小瓶は傾けられ、先端が少女の口に触れている。それゆえにゆっくりと飲み進めることが可能なはずだが、緑色の液体はいっこうにその体積を減らさない。


「少し疲れちゃったのかな? それとも、もうお腹いっぱい?」

「……うん」


 ウイルに問いかけと共に薬から解放されると、パオラは力なく頷く。


「満腹にはならないはずだけど……。それに、まだ半分も飲めてないのよ」


 女医が首を傾げるのも無理はない。手元のハイエリクシルはまだまだたっぷりと残っている。減った量はせいぜいコップ半分程度か。


(朝はチビチビと飲み食い出来てたのに。もう、それすらも……)

(衰弱しきってるようね。だとしたら、いかにこれが生命力そのものに作用するとしても……)


 手遅れだ。医者の目から見ても絶望に近い。

 それでも諦めるにはまだ早く、一旦パオラを寝かせ、儀式のように薬品を振りかける。

 液体は一瞬で気化し、呼応するように少女は淡く輝くも、それ以上の変化は見受けられない。


「今出来ることはここまで。後は信じて待つしかない」

「は、はい……」


 瑠璃色の髪を撫でながら、アンジェは淡々と言い切る。少女の髪はカサカサに痛んでおり、今にも朽ちてしまいそうだ。

 ウイルはその様子を眺めるも、パオラが早々に寝息を立て始めたことに驚きを隠せずにいる。


(もう眠った? ずっと寝てたのに、また……? 起きていることさえ辛いのか。ギルド会館にたどり着けたのも、最後の命を振り絞ったから出来た……ってこと? だとしたら、ここから盛り返すなんて……)


 不安な気持ちが思考を悪い方向へ誘導する。

 しかし、それを否定出来ないのも事実であり、ウイルは悔しそうに見守り続ける。

 死体のように動かぬ少女。当人から話が聞けていない以上、断言は出来ないが、パオラが生死を彷徨っている理由は父親からの虐待である可能性が高い。

 理不尽だ。人の生き死にに関わるアンジェでさえ、そう思わずにはいられない。


「繰り返しになるけど、可能性は極めて低いからね」


 つまりは、助からない命だ。

 九歳の子供が一歳児相当の体重しか持ち合わせていないのだから、それでもなお心臓が機能している方がありえない。


「わかって……ます。伊達に貧困街で何年も暮らしてません。こういう子は何人も見て来ましたから……。ここまで痩せてる子は初めてでしたけど……」

「聞いたよ。あなたがそこで暮らし始めてから、餓死の報告件数がゼロになったって。かなり無茶してない?」

「稼ぎの半分を分け与えているだけです。あと、貴族からの支援も少し増やしてもらいました。それでも、病死や魔物に殺される子は後を絶たなくて……」


 貧困街。帰る場所を失った人間の終着点だ。イダンリネア王国の港付近にひっそりと存在しており、その区画の子供や大人は飢えに苦しみながら雨水をすすって命を繋いでいる。

 ウイルもそこの住人だ。住む場所がなければ宿に泊まれば良いのだが、残念ながらそこまで裕福ではなく、ゆえに雨風がしのげるという理由から朽ちかけた小屋に寝泊まりしている。


「傭兵になれば稼げる、そう思っちゃったらもう止まらないのでしょうね。現実は甘くないのに」

「はい。僕もここまで稼げないとは夢にも思いませんでした。エルさんもよく言ってましたよ、傭兵の日常は金策だ、って。実際その通りで、お金を稼ぐためにもお金がかかるから、武器を買い替えるのもままならないです」


 貧困は金欠がもたらす。食べ物、衣服、住む場所は全て金で解決可能なのだが、裏を返せば金がなければ何も手に入らない。

 ゆえに、働く。

 金を稼ぐ。

 傭兵はそのための手段の一つであり、ウイルは四年前から魔物を狩って生計を立てている。


「あなたは良くやってると思うわよ? どんな風に稼いでるのかは知らないけどさ」

「普通ですよ。朝、依頼を選んで、エルさんと出発して、魔物を倒したら帰る。その繰り返しです。二人で活動出来ててる利点はすごく大きいんですけど。それでも、貧乏から脱却出来ないのは稼ぎ方が下手なんでしょうね。あ、もしかして……、この子がこんなことになったのは、お金がなかったから?」

「それはない。それだけは絶対にありえないの」


 パオラが餓死しかけている理由を貧困に結びつけるも、アンジェによって即座に否定されてしまう。

 ウイルの推理は的外れではないはずだ。虐待なのだろうと理解した上で、それ以外の可能性に目を向けただけなのだが、この医者は間を置かずに断言してみせる。


「ネイグリングの四人が金策よりも冒険に比重を置いているかもしれませんし……」

「仮にそうであっても、今回は間違いなく育児放棄と虐待の合わせ技よ。私はそいつらのことを見かけたことないけど、あなたはどうなの?」

「もちろん、何度もあります。狭い世界ですし。ギルド会館でご飯を食べてれば、なおさら……。あ……」


 そして、ウイルは思い出す。

 等級六へ上り詰めた、四人組のことを。

 眼前で寝込む少女の、父親を。

 この少年とは比較にならないほどの良質な軽鎧をまとっており、背中の槍も銀色に輝いていた。


「彼らの装備品の総額は?」

「家が建つほど……です。僕じゃ一生かかっても手が届かない、超高級品でした……」

「でしょうね。成金ってわけじゃなくて、実力相応に稼いだ結果なのでしょうけど」

「僕のアイアンダガーは八万イールですけど……、これだって決して安くはない」


 イールはこの国の通貨の単位だ。

 平均的な世帯における一月の収入は、およそ二十万から三十万イール。

 ならば、ウイルが携帯している短剣は安物と呼ぶには少々高額だ。


「あいつのは……、槍だけでも七百万イール。鎧だってそれくらいしたはず。そんなの……!」


 一般的な年収が三百万イール前後と仮定した場合、槍の購入費だけでも二年分を上回る。

 金持ちでなければ到底不可能な買い物だ。残念ながら、今のウイルには絶対に手が出ない。


「つまり……、この子の父親は、欲しい物を買うために自分の子供を飢えさせた、と。まぁ、憶測の域を出ないから、この話はここまでにしましょう」


 医者が話を切り上げる。つまらないだけでなく予想が外れている可能性もあり、その上、追及すら不可能なのだから、あまりに非生産的な時間だ。

 確定していることは二つ。

 父親は傭兵として誰よりも稼げている。

 娘のパオラは食事を与えられず、飢え死ぬ。

 ここから導かれる結論は、アンジェの言う通りなのかもしれない。


「は、はい。ここでするような内容じゃなかったです」


 眠っているとは言え、被害者は目の前にいる。彼女の父親について悪態をつくわけにはいかず、ウイルは悔しそうに口をつぐむ。

 窓の外は黒く塗り替わっており、三人を包み込む静寂はここが病室であることを差し引いても重苦しい。


「私は朝までいるつもりだけど、あなたは?」

「あ、僕もそのつもりです」

「そう。最後が一人ぼっちじゃ、かわいそうだものね」

(そういうつもりじゃなかったんだけど、アンジェさんにそこまで言わせるってことは、やっぱり望みはないの?)


 ハイエリクシルの投与は決定打にならなかった。彼女の発言が少年にその事実を再認識させる。


「今更なんだけど一つ教えて。今朝あったばかりのこの子に、なぜこうも肩入れするの?」


 当然の疑問だ。

 ウイルとパオラはギルド会館で今日出会った。赤の他人でしかなく、朝食をおごるまではわかるが、そこから先は医者である彼女には理解不能だ。


「助けたい、見過ごせない。そう思ったから……、本当にそれだけで……」


 少年はそう告げるも、事実そうなのだから仕方ない。

 そう願ってしまった。

 そうしたいと思ってしまった。

 実は、これこそがウイルという人間の原動力そのものだ。

 己の欲望に忠実であり、欲した物は意地でも手に入れたい。

 その一つが、母を助けたいという願望だった。

 その一つが、エルディアを救いたいという希望だった。

 その一つが、復讐心だった。

 様々な欲望を一つずつ叶えた結果が、ウイルという傭兵をこの強さまで引き上げた。


「そう。傭兵らしくて好きよ、そういうの。私は……、ジジイの後継者として医者らしいことをしているけれど、本当のところはどうなのかしらね? 名医だの天才だのっておだてられて気持ちよくなってるだけの、単なる若造なのかも」

「若造……、若い?」

「おい、そこに突っかかるんじゃあないよ。仮にそうだとしても華麗にスルーしときなさい。と言うか二十五歳は若いわよね? うん、若い。まだまだ」


 自分に言い聞かせてる時点で怪しいが、アンジェはずり落ちた眼鏡を持ち上げながら一人で納得する。


(エルさんっていくつだったかな? 僕より六つ上だから……、二十二歳か。四年も一緒にいたけど、全然変わってない気がする。あ、脚がさらに太くなったくらい? 僕は……、ちょっとは背が伸びたし、強くもなれた……はず。守れなかったから、なんの意味ないけれど。そして今は、この子に対して何もしてあげられない……。僕はいくつになっても無力なままなんだな)


 少年は自分を責める。死体のように眠る少女を眼前にすると、どうしても負の感情を抱いてしまう。


「勘違いをしているようだけど、あなたはもう十分役目を果たしたの。この子をここへ連れてきてくれたし、ハイエリクシルの材料も提供してくれた。悪いのは……、この子を殺すのは父親。それだけは間違えないで。あなたに非は一切ないの。自己を貶すなんてことは辞めなさい」


 アンジェは慰めるように、気づかせるように事実を陳列する。

 ウイルは傭兵としてすべきことを果たした。

 ここからは医者の管轄だ。もっとも、手を尽くしたのだから、その瞬間を見届ける以外に出来ることは残っていない。

 静まり返る室内に、三つの呼吸音だけが繰り返される。

 傭兵と医者に見守られながら、眠る少女。

 彼女の名前はパオラ・ソーイング。飢えるためだけに生まれてしまった、九歳の女の子。

 手を差し伸べたところで、死を見届けることしか出来ないのか?

 灯りに照らされた室内とは対照的に、窓の外は夜らしく真っ暗だ。

 運命の一日目は、間もなく幕を閉じる。

 今日が全てのはじまりだったと、知る者はまだいない。

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