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線上のウルフィエナ  作者: ノリト ネギ
すべての始まり
1/37

第一章 瑠璃色の君

 寒空の下、雑草を踏みしめながら二人は必死の形相でにらみ合う。


「エルさん!」


 少年の悲痛な叫び声が草原に響くも、応答はない。

 眼前の女は本能と破壊衝動に突き動かされており、その表情は普段の彼女とは別人だ。

 両者は痛ましいほどの傷を負っている。流れ出る血液は髪や衣服だけでなく、大地すらも塗り替えてしまう。

 それでもなお、闘気でロングスカートと茶髪を揺らしながら、その女は唸るように威嚇する。

 その目は誰も見ていない。

 そもそもその瞳は普通ではなく、黒い虹彩の内側には、赤い線で円が描かれている。


「な、なんで魔眼が……? エルさん! くそっ、あいつら何を⁉」


 折れた短剣を捨て、少年は視線をわずかにずらす。

 その方角には見知らぬ女が二人、肩を並べて観客のように二人の死闘を眺めている。巻き込まれないよう離れた位置に陣取っており、その様子はまるで高みの見物だ。


「ぐうぅ、ううぅ……、ガアァッ!」


 殺し合いは続く。片方がそれを望む以上、対戦相手もまた、受けて立つしかない。

 突進と共に振り下ろされる灰色の大剣。その刃はこの戦いの最中で折られるも、女はお構いなしに振り下ろす。


「くぅ!」


 少年は知っている。

 この女性とは既に四年の付き合いだ。命を救われ、それ以降、様々な土地を駆け巡り、行く先々で魔物という外敵を葬ってきた。

 それだけではない。

 互いに切磋琢磨するため、模擬戦のようなものも日常的に行い、この半年だけを切り取れば、少年が勝ち越している。

 だからこそ、この一閃には困惑せざるをえない。

 その鋭さ。

 速さ。

 破壊力。

 何もかもがあり得ないほど上昇している。

 ゆえに、ここまで追い込まれた。

 脇腹を斬られ、小麦色の衣服は真っ赤に染まり、左腕に至っては骨折。もはや五体満足とは言い難い。

 それでもなお殺されていない理由は、積み上げてきた努力の賜物か。

 頭上から迫る、殺意の刃。それを右後方へ跳ねるように避け、一旦間合いを開く。

 その結果、不完全な刃は空振りに終わるも、その際に生じた突風は空気を切り裂き、その先々で雑草達を無残に散らしていく。


(操られてるの⁉ だとしても……!)


 今は迎え撃つしかない。

 正気を失い、暴れる姿は狂人そのものだ。

 話しかけようとも返事はなく、ならば選択肢は二つ。

 死なない程度に傷を負わせるか、気絶させるか。

 どちらも困難だが、この少年は諦めることを知らない。


「ごめん!」


 女が態勢を立て直すよりも早く、急発進と共にその左足を蹴り飛ばす。

 スカート越しの脚部は少年のそれよりも二回り以上は太く、まさしく筋肉の塊だ。

 そうであろうと、その負荷には耐えられない。


「ギャッ!」


 よろめくという段階すら省き、女は地面を擦りながら吹き飛んでいく。


(こ、これで終わってくれれば……。僕の方はとっくに限界……。はぁ、何でこんなことに……)


 かろうじて立てているが、この少年も疲労困憊だ。状況が好転しないとわかってはいても、心の中で愚痴ってしまう。


(エルさんを気絶させられたとしても、まだ魔女が二人も……。厄介だな)


 この戦いは一対一ではない。三対一だ。残りの二人は遠目から見ているだけだが、警戒は欠かせない。


(く、うぅ、本当に痛い……。武器も砕かれて……、まぁ、それはお互い様か。エルさん、お願いだから、もう立たないでよ)


 頭頂部からつま先に至るまで、あちこちが悲鳴をあげている。

 これほどの負傷は久方ぶりだ。こういった稼業に身を投じている以上、日常的に生傷は絶えないが、ここまで痛めつけられたケースも珍しい。

 景色の左半分は赤く染まる理由は、頭部からの出血が泣きほくろを汚しつつも左目に入り込んだからだ。少年はかろうじて動く右腕を使い、額の汗と血液を拭う。

 その隙を、彼女が見逃すはずはなかった。


「なっ⁉」


 右腕を眼球の前を素通りした瞬間、当然だが視界は覆われる。

 一瞬の出来事だ。この行為を悪手だと笑う者はいないだろう。

 それでも、この死闘においては油断でしかなかった。

 細い腕が視界を覆い隠し、そして素通りした瞬間、彼女は既に移動を終え、そこに立っていた。

 茶色の髪は顎の下で切り揃えられ、終端はカーブを描くように内側へ。

 黒い衣服の上から灰色の胸部アーマーを身に着け打たれ強さを高めるも、下半身はオレンジ色のロングスカートだけで済ます。

 全身、傷だらけだ。先ほど蹴られた左足はスカートの内側で大きく腫れており、つまりは骨折している。

 本来ならば立って歩くことも困難なはずだが、この女は瞬きほどの時間で距離を詰め、今は対戦相手の目の前に立っている。

 本来は朗らかな表情の彼女だが、今は完全に別人だ。

 赤い円を宿した、鋭い眼光。

 怒りに狂った形相。

 たぎらせる殺意に偽りはなく、その証拠に次の一手で終わらせるつもりだ。

 素手となった右手が、黒いもやをまとって少年の首を絞めつける。

 絞殺するつもりでいるのだろう。その怪力に手加減など微塵も感じられない。


「ウウゥ、グウゥゥ……」

「がはっ! エ、エルさ……ん」


 両者の身長差が少年の体をゆっくりと持ち上げる。

 その差は頭一つ分以上。年齢通りではあるのだが、二人は大人と子供にしか見えない。


(殺される⁉)


 そんな予感が脳裏をかすめるも、その認識は正しい。この握力ならば、次の瞬間にも首がへし折られも不思議ではない。

 それでも諦めるにはまだ早く、意識が途絶えるよりも先に反撃を開始する。

 首を掴まれ宙に浮いているのだから、そういう意味では都合が良かった。自重を支える必要がないのだから、攻撃に専念させることが可能だ。

 最後の力を振り絞り、右足で彼女の顎を蹴り上げる。

 その瞬間、首の鈍痛が高まるも、同時に女は握力を手放し、少年は倒れ込む相手を朦朧と眺めながらその場に落下、そのまま崩れ落ちる。

 もはや、自分が生きているのか死んでいるのか、それすらもわからない。

 前のめりに倒れ込んだ結果、顔は雑草に埋もれてしまう。

 もはや立つことなど不可能だ。指先すら、満足に動かせない。

 呼吸すらも困難な中、土の匂いを静かに吸い込む。呼吸すらも辛く、肺が新鮮な空気を欲するも、送り込むことは難しい。


「相打ちですか、手間が省けましたね」

「だなー。ラッキーラッキー。まぁ、エルディア様は生きてるし、こいつは死んじまったし、勝負ありって感じもするけど」


 知らない声だ。それが二つ、近くで意気揚々と言葉を交わしている。


「エルディア様が目覚める前に戻りますよ。また暴走されても困りますし」

「おう。ガキの死体はどうすんだ?」


 待て。そう言い放ちたいが、言葉が出ない。落ちかけるまぶたに抗うことすら難しく、意識は消え去る寸前だ。


「捨て置きます。傭兵らしい最後と言えましょう」

「ふーん、そういうもんか。よっと、エルディア様のおんぶ完了。じゃあ、帰ろうぜ」


 このやり取りが、覚えている最後の記憶だ。

 負けたのか。

 相打ちなのか。

 勝敗は重要ではない。

 連れ去られてしまった。

 ならば、やるべきことは一つ。

 否、二つ。

 少年は静かに立ち上がる。

 諦めたりはしない。

 今までも、そしてこれからも、舞台の上であがき続ける。

 少年の名はウイル・ヴィエン。

 己の無力さに涙しながらも、心だけは決して折れない。



 ◆



 喧騒の中で、その瞳は開かれる。

 立ち込める匂いは香ばしく、満腹でなければ涎が溢れていただろう。

 空気の粘度が高い理由は、食事中の人間が周囲に大勢いるためだ。

 ここは巨大な建物の一画。建材には褐色の木材が用いられており、多数の椅子とテーブルが綺麗に並べられている。

 利用者は腹を満たすために訪れているのだが、彼らは皆、剣や斧、杖と言った武器を携帯している。そればかりか鎧やローブをまとっており、その身なりは少々重苦しい。

 この少年もその内の一人だ。朝食を終え、期待を込めながら無意味に待ち続けていた。


(今日も空振り……。待ち人来ず、か)


 ウイル・ヴィエン。小柄ゆえに十歳前後の子供に見えるも、実年齢はもう少し上だ。

 グレーの髪は短く、以前は伸ばしつつもおかっぱのように整いていたが、今となっては過去の思い出でしかない。

 背丈と共に童顔な顔立ちもまた、若く見られる要因だ。

 左目の下には泣きボクロが一つあり、くりっとした茶色い瞳とそれがトレードマークのように目立つ。

 白茶色の服とその上に革鎧を着こむ一方、ズボンは黒いハーフパンツだけ。質素な服装だが、金銭的に余裕がないため仕方ない。


(あれから、ぼちぼち三か月……。どこで何してるんだろう?)


 待ち人の名は、エルディア・リンゼー。この少年に手を差し伸べ、導いてくれた彼女だが、出会いと同様、別れも突然だった。

 あれから既に三か月が経過している。

 現実に打ちひしがれ、涙すら流した日々は過去のこと。金を稼ぐため、なにより強くなるため、魔物という脅威をひたすらに狩り続けている。

 魔物。人間に仇名す、尋常ならざる存在。姿かたちは多種多様だが、その多くは動物や昆虫に似ている。

 一方でその大きさは人間と同程度かそれ以上だ。標的を殺すにはそれに匹敵する、もしくは上回る方が都合が良いのだろう。

 魔物は人間を殺す。そういう意味では野生動物も同じだが、両者は完全に別種の存在だ。

 動物は身を守るために、もしくは生きるために他者を攻撃し、食す。

 魔物は人間を襲うも口にはせず、死体はその場に放置する。

 魔物の凶暴性については未だに解明されていない。

 自己防衛の意識が極めて高いのか。

 人間に対し何らかの理由で敵意を抱いているか。

 学者や研究者が日夜調べてはいるのだが、真相は謎のままだ。

 なんにせよ、人間は生存のために外敵を狩らなければならない。

 そのための職業が、軍人であり傭兵だ。

 ウイルも魔物狩りで生計を立てている一人であり、その経歴は四年と決して短くはない。

 駆け出しの頃はあまりに無力だった。単なる子供が魔物に立ち向かえるはずもなく、死にかけたところを救ってくれた傭兵がエルディアだった。

 思い返すだけでも懐かしい。痛々しいだけの思い出だが、そういう意味では三か月前の出来事もまた、目に焼き付いている。


(さらわれた……。初めから狙いはエルさんだった……。なぜ? いや、あの暴走からすると、そういうことなの?)


 予想は出来ている。確信はないが、あの時の事実を総括すると答えは自ずと見えてくる。

 つまりは、エルディアは生きている。

 ならば、やるべきことは明白だ。


(なんにせよ、エルさんを見つけ出して連れ帰る。それと、もう負けない)


 仮に彼女との再会が果たされたとしても、再度戦闘へ発展する可能性は捨てきれない。

 またも負けてしまっては無意味だ。相打ちすらご法度と言えよう。

 次は勝つ。

 完膚なきまでに倒す。

 エルディアはかけがえのない相棒だが、殴り合うことに抵抗はなく、ゆえに再戦は望むところだ。


(待っててもきりがないし、意味もないし……。そろそろ、出発しよう)


 コップに手を伸ばし、いっきに飲み干せば準備完了だ。

 待ち続けたところで少年の望みは叶わない。

 ゆえに、立ち上がる。

 毅然と歩き出す。

 食事中の同業者達に背を向け、その扉を目指す。仰々しい建物に負けじと出入口も大きく、そのサイズゆえ同時に二人が出入り可能だ。

 両開きのそこを目指し、少年は歩き続ける。

 色褪せた鞄を背負い、腰に短剣をぶら下げる姿は誰の目からも傭兵のそれだ。

 若かろうと、背が低くとも、その実力に偽りはない。ましてや意志の強さは一級品だ。

 そんなウイルでさえ、その光景には言葉を詰まらせてしまう。


「なっ……」


 開かれた扉。

 そして、そこに現れた何か。

 弱々しい足取りで入館を果たしたそれの四肢はありえないほどに細く、他の部位に関しても同様だ。

 着ているワンピースは本来は白地だったのだろう。今では使い古した雑巾よりも汚れている。

 瑠璃色の髪には艶など一切なく、顔や唇に至ってはカサカサに乾燥しており、生気すら感じられない。


「キャー! 何で!」

「ま、魔物!」

「こんなところに?」

「うわ、本当にいるぞ!」


 居合わせた傭兵達もまた、異物の侵入に困惑する。

 魔物だ。そう思えてしまうほどには、眼前のそれは異形に映った。


「ほ、骨骨だニャー!」

「あん、スケルトンだと? そんなはず……、げ、ほんとだ」


 青髪のそれは歩く死体だ。死後、長年放置されるも腐敗を免れ、悪霊か何かが宿ったとしか思えない。

 骨の上にかろうじて皮膚が張り付いているようなその姿は、シルエットだけを見れば骨だけの魔物、スケルトンと見間違えられても無理もない。

 手足だけではない。首も極限まで細く、顔に至っても頭蓋骨の輪郭がそのまま現れている。

 つまりは魔物だ。歩いていることがその証拠と言えよう。

 ゆえに、ある者は剣に手を伸ばし、ある者は仲間と共に狼狽する。

 ここは彼らにとっての拠点であり、城下町のど真ん中だ。魔物が忍び込めるはずもなく、新人から猛者まで例外なく、慌てふためいてしまう。

 しかし、そうでない者も少なからず居合わせる。


「彼が動じていないのだから、違うのだろう」


 白金の鎧を着た男が言う通り、騒音を物ともせず、ゆっくりと歩み寄る少年が一人。


「どうしたの? 困りごとかな?」


 目線を合わせるため、腰をわずかに落とし、虚ろな瞳をやさしく見つめる。

 女の子だ。

 魔物ではなく、人間の子供だ。

 本来ならば生きてはいられないほどに痩せこけている。ワンピースに袖を通したミイラでしかないのだから、事情を知らぬ者からすれば魔物だと決めつけても不思議ではない。

 それでも、そうしない。この少年は人間と魔物を区別することが出来る稀有な存在だからだ。

 周囲の喧騒が落ち着き始めた頃、その女の子はゆっくりと口を動かす。


「……おとうさん、さがしてる」


 今にも消え去りそうな声だ。そうであろうとなかろうと、この少年は決して聞き逃さない。


「わかった。一緒に探してあげる」


 二人の物語はここから始まる。


「僕の名前はウイル・ヴィエン。君の名前は?」

「……パオラ・ソーイング」


 別れがあれば出会いもある。その一つがこれだ。

 相棒を連れ去られた少年。

 父親を探す少女。

 彼らはゆっくりと歩み出す。

 長い長い旅が、今始まる。

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