王座の行商 ~昏き森の虚ろなる玉座~
その時その場所で私は、一つため息をついていた。
憂鬱。そう私は憂鬱を感じていた。
刷り込まれた使命に従ってこの森――昏き森と呼ばれている――を訪れる度に、私はこの憂鬱を感じている。
世界の各地に数多ある、エルフのコミュニティ。
その中でもこのコミュニティは特に異質だ。
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは50年ぶりですか」
「毎回言っているけど、あまりその無機質な名前は呼んでほしくないと伝えたよね?」
「我々が始祖様方の名前を諳んじることが何の問題がありましょうや」
顔を合わせる度にしているやり取りに変化はない。
表情をピクリとも動かさない、青白い顔と私と同じように長く鋭い耳を持ったエルフ。
もうかれこれ観測を初めて900年程度にもなるが、全くと言っていいほど変化がない。
私はもう一度、ため息をついた。
「B-e6a19c様、お疲れですか?
我々の寝床を用意しましょうか」
「いや結構。
君たちと違って、私はあの環境で寝れる気はしないからね」
彼らの寝床は生物として異質だ。
彼らは第2世代のエルフで、性別が存在し生殖も可能である。
つまり男女が存在する知生体だ。
その男女が存在する知生体が、100人ごとに男女の区別なく1つ屋根の下で雑魚寝をしている。
無機質に床に横になり身動き一つせずに寝ている姿は、生殖能力を持たない我が身であっても怖気が走る。
ハイエルフと名乗る彼ら第2世代エルフに課せられた勢力拡大という使命。
彼らハイエルフはその使命を『ハイエルフの人口増加』と解釈している。
第2世代エルフは、第1世代エルフである始祖エルフの生命創造魔法でしか発生しえない。
第2世代エルフ同士の交配で生まれ得るのは、当然第3世代。
低い受胎率の中で生まれた第3世代をハイエルフたちは、それをハイエルフでないと定義した。
ならば、ハイエルフはどうやって自身のコミュニティを拡大するのか。
「ちょうど今日はA-e6a190様を起動する日です。
見ていかれますか?」
「……ああ、そうだね」
これも何度も繰り返してきたやり取り。
彼らは、ハイエルフと名乗る第2世代は無機質に同じことを繰り返し続けている。
ハイエルフを生み出して役割を終え、死に限りなく等しい眠りに落ちた自身の親というべき存在。
私の同胞にして第1世代に区分される生命創造担当の始祖エルフ、A-e6a190。
おぞましいことに――本当におぞましいことに――ハイエルフは眠りについたA-e6a190を強制起動し、生命創造魔法を発動するためのデバイスとして運用している。
A-e6a190の手足を切り落として、龍脈とも呼ばれる星の力が重なるレイラインに直結させる。
機能停止中の脳に強制的にレイラインから取り込んだエネルギーを注ぎ込んで強制励起。
始祖エルフにのみ使用できるハイエルフを作り出す生命創造魔法を、外部からの干渉で無理やり発動させる。
そのための装置とされたのが、今私を案内するハイエルフが誇らしげに指さして見せる世界樹だ。
天まで届かんとする――せいぜい40mの高さの――桑の木。
その根はレイラインに到達するほどに深く根を伸ばしており、明るく陽が注ぐ森をより豊かにするためにA-e6a191が自分の作った次世代以降のために残した遺産。
ハイエルフはその遺産をA-e6a191由来の第3世代エルフ――彼らは森エルフと名乗り生物としてたくましく生活していた――から森ごと奪い取った。
挙句の果てに手足を切り落としたA-e6a190を世界樹の幹に直接埋め込み、椅子として加工した。
そして今、私の目の前でハイエルフの1人がその椅子に誇らしげに腰かけて何かをつぶやく。
一瞬世界樹から魔力の奔流が漏れ、そして苦し気に枝の1つが地面まで垂れ下がる。
瞬く間に枝についていたいくつもの蕾が膨らみ、花が咲いて枯れて、青黒い果実が結実する。
たちまち枝は枯れてへし折れ、枝についた果実が地面に叩き落とされた。
地面に落ちた20ほどの果実のうち、およそ半分の果実から赤子の鳴き声が響いた。
悠然と歩きながらハイエルフの男たちが鳴き声を上げた赤子を拾い上げる。
地に残された果実のかけらや鳴き声をあげなかった赤子は足で脇にやられ、箒と水で排水溝に押しやられた。
赤子を拾い上げた男たちは、控えていた女性たちに手渡す。
乳母の役割の――しかし妊娠している兆候の見えない――女性たちは顔色を変えることなく、手慣れた手つきで赤子に授乳を始めた。
相も変わらない醜悪な光景。
何度この光景を記憶に収めてきたことか。
己に課せられたエルフの観測という使命がなければ、こんな第2世代など焼き払ってしまいたい。
しかし、始祖エルフたる私にはそれは許されない。
意識の深いところに刷り込まれたプロトコルが第2世代エルフの行動への干渉を許さない。
私は彼らの行動を観測することしか許されず、記録として出力されることも許されない。
陰鬱な気持ちでため息をついたところで、目の端に引っかかった光景に違和感を感じた。
乳母の役割の女性の中に、お腹の大きな個体がいた。
母乳を出すためには妊娠をしなければならないが、母乳を出せるように身体が変わった時点でハイエルフは堕胎する。
理由は単純、第2世代同士が交配した結果生まれる子供は第3世代として生まれるから。
ハイエルフが欲するのは自身の交配の結果生まれる可能性のある第3世代ではない。
だから彼らはこんな蛮行に至る。
しかし、そのお腹の大きな個体はどう見ても臨月であった。
身動きすることすら苦しそうなお腹で、渡された赤子に授乳を続けている。
私は、彼女のその姿から目を離せなかった。
「……あの我々は、今日にでも処分します。
どうにも堕胎を拒み続けていましてね。
残念なことですが異端分子は排除しなければ」
邪魔はなさらぬようにお願いします。
案内役のハイエルフにそう言われ、私の中の何かがしぼむ。
私はあの個体を助けることはできない。
しかし、目で追い続けていた個体が苦しそうにお腹を押さえる。
抱えていた赤子を控えていた別の乳母役に譲り、大きなお腹を抱えるようにして奥に引っ込んでいった。
やはり非効率だなと鼻をならす隣のハイエルフに、今日はもう立ち去ると伝えてその場を去る。
周囲の目が消えたところで、私は指を鳴らす。
一瞬視界が歪み、私は臨月のハイエルフの個体の前に転移した。
彼女は驚いたように私を見る。
彼女は暗がりでうずくまっていて、その足元には血の混じった体液がまき散らされていた。
破水している。
「私はあなたを助けられない。
あなたは処分されるでしょう」
私の言葉に、臨月のハイエルフは覚悟を決めた目で見つめ返してくる。
「覚悟の上です。
我々は我々によって異端分子として処分されるのはわかっています。
でも、このお腹の中に生命を宿したことで我々は今までにない感情を抱きました。
この感情をもたらしたお腹の子供を殺せるはずがない」
痛みをこらえているのだろう。
彼女は荒い息をつきながら、しかし明確に彼女自身の胸の内を口に出した。
彼女はなおも続ける。
「このお腹を切ってください。
そしてお腹の中の子を連れて行ってください。
この命に、子供に、未来を与えてください。
お願いします、B-e6a19c様。
この身体はどうなっても構いません」
「その願い、聞き届けた」
案内役が処分しなければならないといったのはこの臨月の個体のみ。
お腹の中の子供はそれに含まれない。
私はそうロジックを組み立てて、彼女の前にかがみこむ。、
素早く魔力を周囲に散らし、遮音と治癒の効果がある領域を周囲に展開。
加えて目の前の彼女が一切の身動きがとれぬよう強力な拘束魔法を施す。
そして私は、手刀を彼女の腹部に突き立てた。
彼女の口から悲鳴が迸るが、周囲には届かない。
傷口を広げ、両手を差し込んで彼女のお腹の中から赤子を取り出す。
おぎゃあとなく赤子はずっしりと重い。
手早くへそのを手刀で切り離すときも、痛みで暴れだしたいであろう彼女は拘束魔法で身じろぎすら許されない。
しかしもしかしたら、案外彼女は拘束魔法など使わずとも耐え抜いたのかもしれない。
そんなあり得ない予想が頭をよぎりながら、赤子を取り出し終えた私は拘束魔法を解いた。
彼女は糸の切れた人形のように背中から地面に崩れ落ちた。
赤子を身にまとっていたローブでくるみ、彼女に見せてやる。
痛みで意識が朦朧としている様子の彼女は、それでも笑顔を作った。
「ああ、これが子供。
これが我が子、わたしの子供……。
……B-e6a19c様、あとはよろしくお願いします」
「心得た」
私は死なない程度の治癒魔法を彼女に施すと、遮音領域を解除して立ち上がった。
彼女の破水の痕跡に、ようやくハイエルフたちが気が付いたらしい。
ここに彼らが来るのはすぐだろう。
私は転移魔法を発動し、この昏いハイエルフの森を後にした。
――――。
この子と触れ合っていると、たまにノスタルジックな気持ちになる。
つい思い出してしまうのはちょっと昔の――きっとミカヅキに話せば大昔だと突っ込まれる程度の――記憶。
人生なんて、何が起こるかわからないものだとしみじみと実感する瞬間だ。
「ねえー、ちょっとお姉さんといいとこ行こうよ。
お仕事しなきゃいけないんだけど、お供が欲しくてさあ。
ねえってば、ミカヅキ」
「ねえじゃないです。
見てわかりませんか、ブロッサムさん。
帳簿をつけてる最中なんです。
分かります?
暇じゃないんですよ、僕は」
机に向かってを帳簿をつけるミカヅキの背にしなだれかかりながら、私はミカヅキに声をかけた。
こんなにかっこいい女の子に成長したミカヅキは、こちらに視線を投げることすらしてくれない。
私はむくれて見せながら、ベリーショートの髪の下から見えるミカヅキの耳に指を持っていく。
ミカヅキの耳は、すっかり丸くてかわいい。
食べたくなるくらい可愛くて、私はミカヅキの耳をぺろりと舐め上げた。
ついに耐えかねたか、ミカヅキの肩がぶるぶると震えだす。
ちょっと揶揄いすぎただろうか。
仕方ない、少しだけ帳簿を手伝ってあげることにする。
「ブロッサムさん!」
「怒らない怒らない。
……それ!」
怒ってるミカヅキもかわいいなあと思いながら、私はパチンと指を鳴らす。
大気中の魔力が励起し、帳簿と領収書や払込票といった机の上に広げられていた資料すべてを包み込む。
抽出。分類。計算。転記。精査。
ついで整理整頓をして、ほらあっという間。
唖然としたミカヅキに笑いかける。
「ほら、確認して?
帳簿のお仕事は終わったねえ」
愕然とした様子のミカヅキが震える手で帳簿を手に取り確認する。
終わってるという呟きに、思わず口元がにんまりと弧を描くのを自覚する。
ミカヅキの耳元に口を寄せて、くすぐるように囁いた。
「ほらぁ、戸締りして身支度してねえ?
ミカヅキが2日かけて片付けるつもりだった、大の苦手の帳簿を終わらせてあげたんだからさあ。
まだお昼にもなってないし、日帰りで夜にはここに戻るつもりだよ?」
根負けしたようにため息をついたミカヅキは、椅子から立ち上がりながら渋々と身支度を始めた。
唯一雇っている女中――先々代から仕えてくれている婆や――に夕方までに戻ることを伝えて、戻らないときはカギをかけて帰ってよいと伝える。
婆やはミカヅキの言葉を承諾した後、私に向き直ってやや鋭い視線を向けてくる。
「ブロッサム様、ミカヅキ様がお気に入りなのはわかりますがね。
あんまり振り回されてはかわいそうです。
お仕事のお誘いなら穏便に前もって伝えるとか、先々代のときはそうしていたでしょう?」
「いやあ、申し訳ない。
急にやらなければならないことを思い出したからね。
何よりもミカヅキはかわいいし、構いたくって困っちゃうね」
「まったく、オイタが過ぎるエルフにはこうです」
婆やの腕がすっと伸びて、私の眉間をデコピンで打ち抜く。
思いのほか痛い。
眉間をさする私を置き去りにして婆やが立ち去り、入れ替わるように身支度を整えたミカヅキが近づいてきた。
最近新調した蒼い革のジャケットを着こんでいて、同じ材質のパンツも新調したらしい。
腰には護身用にショートソード――弧を描く刀身を持つワキザシと呼ばれる片手剣――を据えて、まさに臨戦態勢といったところか。
感慨深いものがある。あの時連れ出した赤子の子孫だと思えばなおさら。
そして今から訪れようとする場所が、因縁あるかつて昏き森と呼ばれた土地であれば一層。
「じゃ、行こうか。
危険はないと思うけど、油断しないでね。
ちょっと危ない場所ではあるから。
まあ、その飛龍の革のフル装備なら問題ないと思うけど私から離れないでね」
「……付き合わされるんだから、こっちの身の安全はお任せしますよ」
少し疲れたような、諦めたようなミカヅキの返事。
昔はもっとこう、私にべたべたくっついてきたんだけどなあ。
口の中で呟きながらミカヅキを促し中庭に出る。
胸の前で拍子を打ち、地面に転移用の魔方陣を展開させた。
ミカヅキの手を引いて魔方陣に入って指を鳴らせば、あっという間に目的地に到着する。
ブーツを通じて感じる、砂に足が沈み込む感覚。
風が一つ吹いて、冷たい砂が耳をたたいた。
「……ここは?」
「かつて『昏き森』と呼ばれていた場所だよ」
ミカヅキが怪訝そうにあたりを見渡す。
そこにあるのは一面の荒野と、申し訳なさそうに生えている幾本かの枯れ木。
生命の気配はなく、風の音だけが空に吸い込まれる空虚な大地。
いつまでもきょろきょろしていてもしょうがないので、ミカヅキを促して前に進んでいく。
30mほど歩いたところで、どこからともなく声が響いてきた。
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
その声を無視して歩みを進める。
目には見えないその一線を越えた瞬間、目の前の光景が変化した。
唐突に表れたのは40m程度になろうかという巨大な枯れ木。
周囲には風化した生活の営みの名残が、かろうじて残っていた。
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
地面に倒れ伏していた、枯れ木のような何かが声を発する。
無視して歩みを進める。
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
巨大な枯れ木の前までたどり着く。
枯れ木の幹には半ば木と同化した椅子が据え付けられており、そこに人のように見える何かが鎮座していた。
指を鳴らして風を起こし、椅子の上の何かを吹き飛ばす。
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
「ミカヅキ、ちょっと見てほしいんだけど。
この椅子、木の幹と分離できそうかな?
元は椅子と木は別々の存在だから、分離できるようならしておきたいんだけど」
椅子の上から吹き飛ばした何か放つ声を無視する。
どうせ、ミカヅキには聞こえていないし見えてもいない。
ミカヅキはおっかなびっくり椅子に近づいて、手袋を嵌めて見分を始めた。
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
巨大な大木の、頭上に伸びた枝に同化した何かからいくつもの声が聞こえる。
個我などすでにない彼らを無視する。
彼らの意識は統合されて、均質化し、この地に張られた結界内に魔力として滞留している。
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
「……だめですブロッサムさん、完全に融合してます。
気持ち悪い椅子だな、まるで生きてるみたいに魔力がうごめくんですよ」
せめてあの椅子だけは、A-e6a190であったものだけは別に埋葬してやりたい気持ちもあったが、手遅れだったということだろう。
少し残念な気持ちになりながら、ミカヅキにすぐに戻ってくるように伝えた。
「ブロッサムさん、結局のところこの椅子ってなんですか?
すごく不自然ですけど、玉座か何かですか?」
「そうだねー……。
この森に住んでいたエルフたちの、末路ってとこかな。
コミュニティの象徴という意味では、玉座と言えなくもないかな。
昏き森のエルフの玉座ということで」
ハイエルフの暮らしていた昏き森が、眼前のような見るも無残に変わってしまったのは200年前。
ハイエルフは世界樹を通じてレイラインを酷使しすぎたのだ。
星の魔力とも血管とも呼ばれるレイラインが生物の血管と違うのは、星がレイラインの位置を移動させることができるという点だ。
もしも、星の許容できる範囲を大きく超えてレイラインから魔力を吸い出し続ければ、星はレイラインの位置をずらす。
ちょうど200年前。
定期観測で訪れた際に、ついにハイエルフの所業は星の許容を超えてしまった。
新たなハイエルフ生み出す儀式の最中、レイラインは突如として枯渇をしたのだ。
そもそも世界樹が本来の役割を果たしているだけならば、レイラインの枯渇は発生しえない。
仮に発生しても、始祖エルフが作り出す世界樹は周囲に悪影響が出る前に枯死するように設計されている。
周囲に影響を及ぼすことはあるはずがない。
問題は目の前の世界樹は、ハイエルフの手によるイレギュラーな改造が施されている点だ。
世界樹の多種多様な効果を否定して、儀式の遂行のためのエネルギー源を確保する。
その目的達成のために世界樹に施されるべきいくつかのリミッターが外れていた。
その結果がこれだ。
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
「B-e6a19c様、お久しぶりであります。
我々とお会いするのは200年ぶりですか」
世界樹とは演算装置である。
儀式の最中にエネルギー源を失った世界樹は演算した。
そして不足したエネルギーをレイラインからでなく、周辺から収奪するべきであると結論を出してしまった。
周辺にいたエルフ、森の木々や動物。
それらでは飽き足らず、森を超えた周囲の地形に含まれるあらゆるものすべてから。
魔力や生命力を根こそぎ吸い上げた。
そして、オーバーフローした。
オーバーフローであふれだした魔力は周囲でかろうじて生きていたハイエルフを飲み込み、ハイエルフの意識を統合した魔力の塊を生み出した、
それがいまこの空間で私だけに聞こえている声の正体だ。
意識が統合された魔力が、世界樹にかろうじて残されている演算能力を活用して生前の行動をなぞろうとしている。
何から何まで魔力で構成されているがために、ミカヅキの身にまとう蒼い飛竜の革には全くの無力でミカヅキには何の声も届いていない点は、滑稽さを通り越して憐れみすら感じる。
「じゃあミカヅキ、ここを離れようか。
ここを燃やして更地にして、後片付けしなくちゃならないんだよね」
「ブロッサムさん、もしかして『歌う』んですか?」
「久しぶりに聞きたいでしょ?
贅沢者め、私が歌ったらお金とれちゃうんだぞー。
ただで聞かせてやるんだから感謝するがよいぞ」
ミカヅキにおどけて見せながら、森の出口へと踵を返した。
周囲からかけられる声が変わりはじめる。
「なんで」「どうして」「我々はハイエルフ」
「我々は第2世代」「第1世代は第2世代の生殺与奪に関与しない」
「なんで」「どうして」「あなたは我々を」
『うるさい、黙れ』
小声で少し『歌う』と、一斉に周囲の声がやむ。
すでに個我と肉体を持たないハイエルフは、生物として定義するに値しない。
私は始祖エルフ、この地に播かれた生命を観測するもの。
よって、ハイエルフは観測対象に値する存在ではない。
この結論に至るロジックを持つまでに100年かかってしまった。
脳内に刷り込まれたプロトコルは、私の思考を硬直化させがちでいつも苦労させてくれる。
森の入り口まで戻り、私は森の方へと向き直った。
背後で地面に腰を下ろしたミカヅキが、小さく控えめに拍手をしてくれる。
凛々しい顔してるくせに本当にかわいいぞ、ミカヅキ。
気を取りなおしてひとつ咳払い。
すっと息を吸う。
そして『歌う』。
目の前の光景が青白い炎に包まれていく。
『――――――!』
それは大地を清める浄化の歌。
それは汚泥を焼き尽くす煉獄の歌。
それは残された灰に宿る可能性の歌。
『――――――!』
ハイエルフよ焼けて土になり給え。
我が同胞よ燃えて地に宿り給え。
灰よ、後に続くものの糧となり給え!
ひとしきり歌った後、目の前には灰の山だけが残されていた。
これで、今日のお仕事は終了だ。
背後のミカヅキが目を輝かせて拍手してくれる。照れる。
生憎アンコールは受け付けていないから、最後の余興をしてこの場は立ち去ってしまうことにしよう。
風に乗って流れてきた灰を掴み、改めて風に乗せてまき散らす。
『桜吹雪』
そして、風に乗る全ての灰が薄紅色の花弁に変わる。
ミカヅキ。君はこの花びらの名前を知らない。
人類はあと何年かけて桜の花吹雪という現象を発見するだろうか。
何世代かけて桜の木の群生地に到達するだろうか。
私は寿命のないエルフだ。
その時をじっくりと待たせてもらおうと思う。
だから、急がずゆっくりと世代を重ねておくれ。
興奮したように目を見開いたミカヅキの姿に目を細めながら、私はミカヅキの子孫と桜の木の下で歌う未来を想像して楽しみな気分になった。