ハサミ男
ハサミ男 散歩に出る
そういう題で地元新聞に載っていたのは、少し前まで不審者情報常連だった、あのハサミ男である。記事を読むに、不審者情報に乗りすぎると、むしろ珍しい人物として社会に歓迎されるらしかった。記事の内容からはそういうムードがみてとれて、まるで小さな動物の小さな事件でも読んでいるみたいな、ハサミ男の無邪気さが伝わってくるのだった。
実際ハサミ男は、不審者時代のころから悪さなど一つも起こしていない。ハサミを一つ持ち歩いているだけであり、危険物の所持という点は、人に手渡すときのように、刃の全身をおおう持ち方によってカバーされていた。加えて彼のハサミは小学生が使うようなタイプのものであったから、明るい黄色の施された丸っこいフォルムであるのも彼のイメージアップに加担していたのだと思う。
ここで一つ疑問なのは、やはりハサミ男の目的だろう。結論からいえば目的については分かっていないのが現状で、ただハサミ男の目撃例であればいくつもある。曰く、彼は自分のハサミの柄の部分を顔の前まで持ち上げ、しばらくの間、柄の指を通す穴のところからある方面をじっと覗いていたらしい。ある方面というのは目撃された場所によって異なり、公園、駅前、コンビニ駐車場、遊歩道の信号そば、商店街のベンチなど様々である。そして持ち手の両穴から覗く彼の両目は、見ている方向がバラバラになっていることもあるし、またときにはよだれが垂れていることもあるそうだ。
以下、ハサミ男の追体験を行った人物の話。
Aは自室からハサミ男の追体験を試みる(社会的体裁のため)。使用したのは、買いに行った店で一番ハサミ男のデザインに似ていたハサミ。そのハサミの持ち手部分から窓の外を覗くといういたってシンプルな実験だ。
一回目、黄色い持ち手のせいでとても見づらく、少なくとも景色を楽しむのには向かない。
二回目、少しハサミを顔から離して使用。一回目では視界に持ち手しか映らなかったが、今回は刃を持つ自分の手も途中まで見切れている。この状態からハサミの穴の中へ視線を向けると、焦点の関係か目がチカチカした。
三回目、休憩のあと、もう一度さっきのを試みる。やはりまたチカチカした。次はハサミを近づけたり離したりを繰り返しながら穴の中を覗く。チカチカする頻度は上昇、これ以上は目が悪くなりそうなので終了。ハサミ男の目的はわからないままだった。
私はハサミ男である。といっても、新聞に取り上げられていた彼とは別の、専らインドア派のハサミ男だ。彼の記事や目撃例、それに感化されたレポなんかをいくつも読んでみたが、中々ハサミ男への理解は得られていないようだ。しかしそれもそのはずで、他人のことを世間に発表してやろうとか、流行りの人物の真似をしてやろうとか、そういうタイプの人間にこのハサミの快楽が発見できるはずないのだ。ハサミの快楽は不幸な、不幸であると嘆くことすら許されない人間にのみに与えられる、まったく古典的な幸福追求の最終手段なのである。まったく浅ましい奴らだ。
私はこれをネット上にあげることで、ハサミ男の条件から外れ、自身の境遇脱却を試みる。分かっている。不幸だからハサミ男なのであって、ハサミ男だから不幸ではない。分かっているが、一度だけ試しておきたい。そういう甘さが不幸を呼び、甘さこそがハサミ男の素質で、甘さはその甘さ自身によって完治することはない。分かっているが、私は一生治らないのだろうか。




