1話 再会
今日は高等部への進級初日。
俺、新井透矢は学校の最寄り駅に向かう電車の中で物思いに耽っていた。
頭に浮かぶ光景は小学校の教室で……。
葉山瑞希がくしゃくしゃになって泣いている顔。
よくクラスメイトにからかわれている印象しかない男子だった。
* * *
記憶の中の葉山瑞希は肩を縮こませ、廊下の壁際に追い込まれていた。ピンクのハンカチを小さく折りたたみ、手の中に隠している。
「何持ってんだよ」
「葉山、手に持ってるやつ見せろ」
数人の男子がトイレから戻ってきた葉山瑞希の周りを取り囲み、からかった。物静かなせいでいつも標的にされている。
葉山瑞希は口を結び、足元を見たまま、肩を小刻みに震わせていた。小さな体が余計にか細く見えた。
長い業間休みのせいでなかなかチャイムが鳴らない。
「貸せ!」
ひとりがハンカチを奪い去り、頭上に大きく広げた。
「なんだこれー。ピンクのヒラヒラ。母ちゃんのハンカチかぁ?」
「これ、葉山の名前書いてるぞ。葉山のじゃね?」
「ダッセー。男のくせにピンクのハンカチかよー」
葉山瑞希は言い返せない。晒されたハンカチを取り返そうと、手を伸ばす。だが、背が小さい彼には届かない。
頬に伝った一筋の涙を見て、俺はたまらず立ち上がった。椅子が倒れ、けたたましい音が響く。驚いたクラスメイトは談話を止め、教室が静まり返った。
「おい! いい加減にしろ!」
小学生の俺はピンクのハンカチを取り上げて叫んだ。
「何色が好きだっていいだろ!?」
* * *
俺は昔から人が好きなものを否定する人間が許せなかった。男だろうと女だろうと関係ない。ランドセルの色も選べるんだし、男がピンクを好きでも、女が黒を好きでもいい。自由でいいんだ。好みも生き方だって……。
ガタンガタンと電車が揺れる。ポイント通過のせいで車両は大きく傾いた。ドアに肩を打ちつけた痛みで回想から我に返る。
減速していく車窓にはいつもの景色が映っていた。そろそろ駅につく頃だ。
こんな昔のことを、はっきりと思い出したんだろう。
理由はわからない。
葉山瑞希とは仲が良かったわけではないし、小五の時に同じクラスだっただけで、その後どこの中学校に行ったのかも知らない。
確か、親の仕事の関係で海外に行ったんじゃなかったか?
まぁ、いいや。どうでもいい。
電車が止まり、チャイムとともにドアが開く。俺は颯爽と下車した。
学校に着いたら早速、高一の始業式だ。
俺の学校は中高一貫校。高校の入学式はない。
制服もなし。服装自由。良識の範囲内であれば髪型もカラーリングもピアスもOK。
俺は大抵Tシャツやパーカーなどのラフな服装だが、制服風の格好をする生徒もいる。
教師の門番を難なく突破し、昇降口で上履きに履き替えると職員室前で口論が聞こえてきた。
……初日からなんだよ。騒がしい。
「どこが駄目なのかちゃんと説明してください。どうにかしろって、どうすれば良いんですか!?」
男子生徒の声だ。教頭は腕組をしながら睨みつけていた。
「服装自由ですよね。良識の範囲内で、と書いてあるじゃないですか。髪を染めても問題ないんですよね? なぜでしょうか? 説明をお願いします。」
遠目で見ても、足止めされる格好ではない。髪色も服装も学校の中では標準的な方だ。
標準的な女子の……?
俺は目を疑った。明らかに男の声がするのに、後ろ姿は女子生徒そのものだった。
160cm後半、華奢な体型。制服もどきのブレザーにチェックのスカート。スラリと伸びた脚に紺のソックス。毛がない綺麗な脚。ピンクのシュシュに束ねられた栗色のポニーテール。
「これはコスプレだろ!? 学校に着ていくものではない」
「だから、これが自分なりの学校での服装なんです……!」
他の生徒も遠目から様子を見ていたが、厄介事はごめんとばかりに通り過ぎていく。
俺も通り過ぎようとしたが、やつと目が合ってしまう。
「あっ、君! ちょうど良かった。助けて!」
「……えっ!? 何だよ。いきなり」
「この格好どうにかしろって言われて困ってたんだ。先生を説得してよ」
くすみや荒れのない綺麗な肌に整った顔。化粧はしているが、明らかに男の声だった。
なんで俺が……。
「自分じゃ話通じなくて。どこがいけないのか、納得できないんだ。校則は破ってないし……」
俺は爪先から頭のてっぺんまでやつの姿を見回した。
「お前、男か」
「……うん、そうだけど。何か?」
まぁ、その姿なら……言われても……。
心の中で腑に落ちたが、やつの主張は筋が通っている。
「先生、校則には服装自由と書いてあります。男が髪を伸ばしてスカートを履いてはいけない等とは記載がなかったはずです。ならば、個人の嗜好に対して学校が許さないと言う理由を、きちんと説明するべきではないでしょうか。それが説明できないのなら……」
俺は論破し、教頭を黙らせた。
「ありがとう!! 助かったよ。あの先生頭固くてさ」
難局を突破したスカート男は俺の後をついて、階段を登っていた。すれ違う生徒がやつを二度見する。この学校には個性的なファッションをする人間は多いが、スカートを履く男は見たことがない。俺は振り切るように高等部の校舎を目指した。
「……って、待って。早いよ。新井くん!」
……えっ。初対面なのに。
「キミ、新井透矢とうやくんでしょ。すぐわかったよ」
立ち止まった俺を追い越し、スカート男は目の前に立ちはだかった。
「覚えてない? 葉山瑞希だよ。今日からこの学校に入学するんだ」
葉山……瑞希……。あのピンクのハンカチをいじられ泣いていた葉山瑞希!?
華奢で線は細いが、男の骨格をした肩幅と首筋に喉仏。よく見れば生物学的には男の体をしていた。
大きくて鋭い瞳には昔の面影があった。
「久しぶりだね」
彼はリップグロスの唇を艶めかせながら、微笑んだ。
再会したあのピンクハンカチの葉山瑞希は女の格好をしていた……!