釣り活用法
釣り行為全般を否定するものではありません。
ネットにおける悪質なフィッシングのことではありません。
暑いですねー。
日光浴は大好きなんですが、暑いのは苦手なので正直、体力も気力も0なんです。
毎日、サウナ水風呂日光浴水風呂サウナ水風呂日光浴水風呂扇風機の前で仮眠。こんな風に過ごしたい奴隷です。
さて、ここのところエッセイ界隈では釣りタイトルや釣り的な内容の作品が賑わいを見せていましたね。
私自身は「釣り行為」に関しては特定の誰かを貶めるものでなければ、問題ないと思っているんですが、それでも「目的」とそぐわない作品になってしまっていては勿体無いと思いまして、私的な「釣り活用法」を書いて行こうかなと。
という訳で、今日の奴隷乙劇場は「釣り活用法」となります。(*’ω’ノノ゛☆パチパチ
ネットスラングとしての「釣り」の元ネタは正直わからないのですが(詳しい方教えてください)2ちゃんねる掲示板から頻繁に使われていたので、慣用表現でもある「釣り」をネットで「過激なタイトルやフェイクで閲覧者を釣る」という意味で使ったのは比較的に早くからだったかと思います。
さて、そんな「釣り行為」なんですが、しばしば炎上とセットになったり、そもそも特定個人や団体を貶める目的で嘘の炎上を煽ることにも使われていますよね。
上記のような使い方は論外であると思いますが、そうではなくて、下記のような使い方もあると思います。
1 エンターテイメントとして、兎に角あり得そうであり得ないネタで話題を集める。
2 何か伝えたい主張をより多くの人に見て貰うための集客目的。
3 ミスリードによる叙述トリックを活かして作品の伏線にする。
こんなところでしょうか。
1の場合は兎に角ネタで人を釣って、釣った釣られたと楽しむエンターテイメントとしての謂わばエイプリルフールを楽しむようなものですから、「如何に不快にさせずに釣れるか」が大切で、そこに伝えたいメッセージなんかは無いんですよね。
後書きなので釣りだとばらす訳ですが、2ちゃんのネタで言えば「美容院には自前のシャンプーを持っていかないとバカにされるぞ」みたいな話ですね。
髪質なんかをどんなシャンプー使ってるかとあわせて考える必要があるから、持ってかない奴はわかってないと思われるみたいな感じですかね。
釣られた人がいたら、「そんなわけないじゃーん、プークスクス( *´艸`)」って煽って盛り上がるみたいな感じ。
2の場合なんですが、これは気をつけないといけませんよね。
自身が伝えたいメッセージと、それを敢えて誇張して「釣り」としてギャグにする部分の線引きを間違えると、自身の主張そのものが歪んでしまいますからね。
まずは自分のスタンス、主張の論旨をしっかりと整理しておきましょう。ねじ曲げる訳ですから、しっかりと本線に戻って、ねじ曲げた部分は「集客のための釣り」だったとわかるようにしなければいけませんね。
森山直太朗氏の「いきてることが辛いなら」はとても良くできた釣りの構図だと思います。
冒頭で自殺を奨めるような内容で注目を集めたあと、現実の世知辛さ、やるせなさに死を選ぶことは悪いことではないと説き、全体として死ぬことなんて大したことではないと歌い上げてから、だからこそ、どうせいつかは必ず死ぬのだから、死ぬまでは精一杯生きてみないかと問い掛ける。
「死ぬ」ということを特別視してしまえば、反対にそこに固執してしまう人もいるかも知れない。敢えて死は誰にも訪れる当たり前のこと、だから辛いなら死んだっていいんだと、炎上してもおかしくない文言で初めながら、でも、どうせいつか死ぬんだから、生きているうちは生き抜いてみないか、たまに休んだっていいし、歩いたっていいからゴールまで行ってみないか、という優しい問い掛けは、まさしく「自殺をやめないか」という森山直太朗氏の強いメッセージを感じます。
それでも、どうしても冒頭の文言の強さに誤解されてしまうこともあります。
何か伝えたい主張の伏線としてや集客目的の釣りは「主張そのもの」が釣り針に引っ張られることがあると自覚して、その時のことを意識して書かねばなりませんね。
3の場合は秀逸な作品が多くありますよね。
ただ、ミスリードばかりに気をとられると作品自体が無理やりな展開になりますから、あくまでも作品の構想があって、その構想に対してタイトルをつけることが大切ですね。
釣り針は残っていれば、誰かを傷つけるかも知れません。針を仕掛けたなら、きっちり回収しましょう。
感想くださいm(_ _)m