第3話 灰と白
『相棒ー! 朝だよー!! 起きてー!!!』
───朝。
俺の一日はこれ以上ないほどに不快な目覚めから始まる。
ある教会の使徒は精霊の言葉で目覚めることは幸せの兆しなどと宣っているが、もう十年の付き合いになる俺の実体験では心から幸せだと感じた一日は少なくともコイツを朝一番に見てからは一度たりともなかった……何なら殆どがそれとは真逆の一日だった記憶しかない。
だから折角の休日なのに今日も碌な一日にならないんだろうな、と朝から気分が憂鬱になってしまうのも仕方ない話だろう。
そもそも今日は昼過ぎまでぐっすり寝る予定だったってのに……。
『相棒、お腹空いたよー、ご飯ちょうだいよー!』
早起きは三文の徳とか言ったヤツを俺はぶん殴りたい。
早起きしても徳をするのは俺ではなくて、俺に朝飯を催促するこのアホ精霊ぐらいのものだろう。
二度寝してもいいのだが、一度催促モードになったこのアホはとにかくまぁうるさいので二度寝にかかる負担を考えたらさっさと飯を作ってコイツを満足させてから寝た方がはるかに効率的だ。
『えっとねー今日はぶどうの気分かなー!』
加えてこのアホ精霊は基本的に果物しか食わないから俺も飯を食いたい時以外は時間は取られないしな。
勝手に食ってろ、とは絶対に言わない。
いやそもそも言えないけど、一度俺のそんな態度を察したのかコイツに家の食料全部食われたことがあったから、それ以来食料はコイツが手出しできない様に厳重に保管しているのだ。
その所為でこうして朝から叩き起こされてる訳だが、家の食料が全部なくなるか朝の時間をちょっとだけコイツに取られるのどちらがいいか問われれば断然後者なので致し方ない。
さっさと済ませようと布団から這い出てリビングに置いてあるぶどうを魔法で呼び出しアホに放る。
『あー! ちゃんと手洗ってから取ってよ相棒ー! もう汚いなー』
……コイツ本当に潰してやろうかな。
いや平常心平常心、ただでさえ最悪な目覚めなのに朝っぱらから怒ってたら更に気分悪くなるわ。
このアホに従う訳じゃないが、トイレとか洗顔とか諸々済ませるために一度部屋を出よう。
『うまうま』
アホを連れながら階段を下りていくと、ふと思い返す。
この家には俺一人しか住んでいないがこうして見回すと改めて一人暮らしには大きすぎる屋敷だなと内心感嘆の息が漏れる。
元々は騎士団本部に設置された寮の一室で暮らしていたんだが、シオンちゃんとか王様とかまぁ色んな人たちに面子が立たないとか俺がいたら気楽に休めないとかなんとかで、この屋敷をほぼ無理やり押し付けられて暮らすことになった。
俺としては多少窮屈だったけどその窮屈さが何処か落ち着けて住み心地が良かった場所だったのだが……流石に俺がいたら他の団員たちが休めないと言われたら引っ越さざるを得ない。
ていうか俺がいたら満足に休めないってどういう意味? 皆が俺のこと嫌いだからとかだったら泣くよ? 泣き喚くからな。
ただ食堂の料理は味付けが好みだから今も利用させて貰っているが、流石にそこは許してほしい。
ていうか偶に食堂にシオンちゃんがお手伝い? みたいな感じで働いてるけどもしかして給料足りないぞっていう俺への当て付けだろうか……結構上げてると思うんだけどな。
まぁシオンちゃんも年頃の女の子だし、装備の更新とか修復以外にもオシャレとか色々考えたら足りないのかもしれない。
『相棒、相棒ー』
何だよ、今ちょっとシオンちゃん以外にも他の団員たちの給料見直してて忙しいんだけど。
『くらえータネマシンガンー』
ぷぷぷぷっ、とブドウの種を吹き出すアホ。
あまりに唐突で虚を突かれたこともあってか、呆然とそれを見送ることしか出来なかった俺の顔にアホが吹き出した種がペシペシと直撃していく。
唾液塗れの種が汚れ一つない床に広がっていき、それが俺の顔にも付着していることを考えたら沸々と怒りが湧き上がってきたが……コイツの悪行はそれだけでは終わらない。
『ぷぷぷぷ、ぶふぅ!? ……あ、ごめん中身出ちゃった』
ベチョ、とアホが口内で転がしていたぶどうがそのまま俺の顔に吐き出される。
ぶちっと俺の中で何かが切れたのは言うまでもない。
『わー!? ごめんなさーい!!』
取りあえず掃除用のスライムにゴミとして食わせておいた。
▽
『うー、体がべちゃべちゃだよー、お風呂入りたいよー』
二度寝という気分じゃなくなったので適当に朝飯を作って食べていると、ようやくスライムから解放されたのかゴミが体をベタベタにしてやってきた。
そのまま抱き着かれでもしたら最悪なので、準備しておいたタオルをふらふらとやってくるゴミに投げつけておく。
『相棒に穢されちゃったよー、もうお嫁にいけないよー、ぐすん』
だから人聞き悪いこと言うなよ。
ていうかお前メスだったのかよ、十年一緒にいたけど今日初めて知ったわ。
『これはもう相棒に貰ってもらうしかないなー、チラ』
誰がお前みたいな性悪精霊なんぞ貰うか。
俺は健気で儚くて尽くしてくれる女の子が好きなんだ、もうそんなこと言ってられる歳じゃなくなって来てるけどもうここまで来たら最後まで貫き通すからな俺。
『もう照れ屋さんだなー相棒はー』
お前目ん玉ついてる?
どうしたら今の俺が照れてるように見えたの?
というか無表情なのにそんなこと分かるのかよ、いや分かってないけどさ。
『相棒は子供何人欲しいー? 僕はねー十人くらい欲しいなー、でもでも相棒がもっとって言うなら僕頑張って相棒との子供産むから──』
なんか勝手に妄想の世界にトリップし始めたんだけど……こわ、関わらんとこ。
取りあえず適当にテレビでもつけとこうかなー、今の時間だと特に面白いものやってないだろうけどこのアホの妄想聞いてるよりは断然いい。
ふんふむ。
今日の運勢は八位か、二十の中の八番目って考えればまぁ悪くはないな。
ただ突風に注意しましょうって言われても、今日は別段風が強い日じゃないし外出するつもりもないから問題なさそうだな。
まぁ運勢なんてそこら辺の魔導士拾って適当にやってるだけのものだろうし、そもそも国の宮廷魔導士たちですら予言だ何だ言って結構外すことあるし信じるだけ無駄なんだろうけどさ……ようは気持ちの問題よ。
適当にチャンネルを変えていけばやってるのは今月の一押し魔導士だの、強盗を捕まえた勇気ある学生だの、王国の現状をぐだぐだと語り合うオッサンたちと、本当に碌なものがない。
もっと可愛い子が出てる番組とかないんですかねー、もしくは知り合いが出てるヤツとか。
『七耀の騎士、レナ・フレスヴェルグの実態に迫る』
と、お目当てを見つけたので止める。
レナ・フレスヴェルグ──この王国では知らぬ者なしと断言できるほどの知名度を誇る、精霊研究の第一人者にして『白の騎士』の称号を持つ七耀が一柱。
そんな彼女の特集ともなればこの国でも結構人気のある彼女だ、テレビをつけてる大半の人たちはこの番組を見てるんじゃなかろうか。実際俺もその一人だしな。
にしてもレナちゃんかー……シオンちゃんの幼馴染みだから必然的に護衛任務受けてた俺とは小さい頃から面識あるけど、まさかあの子が今じゃこんな凄い人になってるなんて当時の俺に伝えてもまったく信じないだろうな。
人見知りでいつもシオンちゃんの後ろに隠れてた頃がひどく懐かしい。
昔はお兄さんって呼んでくれてたけど、今となっちゃお兄さんって歳でもないからか普通にさん付けで呼ばれててちょっと悲しい。
画面の向こうでは精霊研究に努めるレナちゃんにああだこうだ色々言ってるが、俺から言わせて貰うならスイーツが好きで研究者気質な優しい女の子の一言で終わる。
え、一言じゃない? そこは気にしないでくださいよ。
ていうか七耀って一応王様直属なんだけど、レナちゃん本人は当然として王様とかの許可って取ってんのかな。
あの人優しいからなー、部下でも知人が少しでも悪く言われてたら普通に局に殴り込みに行きそうなもんだけど。
『ん? ねぇねぇ相棒ー、誰か来たみたいだよー』
妄想世界から帰ってきたのか、アホ精霊の言葉に耳を傾けてみれば直後に屋敷に響く来客だぞと言わんばかりの鐘の音。
今日って誰かと何か約束してたっけと思考を巡らせながら玄関を開くと、一瞬の突風の後にふわっと空から見覚えのある少女が降り立った。
「おはようございます、アークライトさん!」
その少女は、先ほどまでテレビで見ていたレナ・フレスヴェルグその人だった。
……もしかして、突風注意ってこれのことですか??
▽
色素が抜け落ちたかのような自分とは異なる白髪──その異名に例えて灰髪とでも言えばいいだろうか──を揺らし、ハイライトのない碧眼が私の姿を射抜く。
私の来訪を予期していたのかその佇まいに驚愕の色は見受けられず、玄関の先からの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
もしかして朝ごはんの最中だったかな、そうだとしたら悪いことをしてしまった。
「おはようございます、アークライトさん!」
頭を下げれば軽い会釈が返される。
表情に変化はなく言葉もないが、昔の彼を思い返せば優しい笑顔でおはようと返されたような気がした。
「今日ってお休みですよね? 随分早起きみたいですけど、何か用事でもあるんですか?」
まだ朝日が昇って間もない時間だ。
私なら休日は昼過ぎくらいまで寝て精霊たちにそろそろ起きて下さいと声を掛けられてようやく一日が始まる訳だが、休日だろうと今も昔もアークライトさんの朝は早い。
精霊研究のせいで不規則な生活を送る私だが、その多忙さはアークライトさんも同じだ。
それなのにこうしてしっかりした生活習慣を送れているのは素直に凄いと思うし、それを見てると私ももっと頑張らないとなって思う。
ふと、ジッと此方を見る視線に気づく。
視線の主は当然アークライトさんで、その視線は私の方こそ何かあるのかと言わんばかりに揺れている。
「あ、そうですそうです。これを届けに来たんです」
そう言って手渡したのは精霊術を用いて作り出した指輪。
自然治癒力の活性化を促す効果を施したその指輪は、アークライトさんの右手に嵌められているものと同種のものでどちらも私が作った魔導具だ。
そろそろ効果が切れる頃かと思い新しい指輪を届けに来たが、宝石部分の色素が大分抜けてきているところを見るにタイミングはバッチリだった様子。
もし不在だったり起きてなかったりしたら手紙と一緒にポストにでも入れて置こうかなと思ってたけど、こうして直に会えたのだからその必要はない。
「古いの貰いますね……うーん、もう少し容量空けられればいいんだけどなー」
普通なら二、三年は持つ代物だけど、焔の剣で日々火傷が絶えないアークライトさんが使えば一月と持たず指輪は効力を失う。
酷い時なんて二週間持たなかった時とかあったし……その時はシオンちゃんの治癒術で賄ってたけど、精霊術を多用するシオンちゃんには出来るだけそっちに魔力を回してほしいもんね。
そのためにももう少し私の魔力を込められればいいんだろうけど、中々うまくいかないのが現状だったり。
「ところで、その……今日って何か予定とかってありますか?」
用事は済ませたので本題に入る。
そもそも指輪を送るだけなら使い魔にでも頼めばいい話だ。
わざわざこうして出向いたのは、休暇のアークライトさんと一緒に過ごせたらいいなという下心があったからというのは否定しない。
しかし休暇と言っても方々と関係のあるアークライトさんなので、誰かに先を越されていたらまぁしょうがないかなと諦めていたが……様子を伺う感じでは別段そういったことはなさそうだ。
「……」
淡い期待を込めながら返答を待っていると、何処か申し訳なさそうに何度か後方へ視線を向けるアークライトさん。
もしかして何か用事があるのだろうか、不安に揺れる心情を押し殺して視線の先を追ってみれば……玄関前に立てかけられている儀礼剣が視界に映る。
……あ、なるほど。
「もしかしてこれから鍛錬ですか?」
日頃から鍛錬を怠らないアークライトさんだ、例え休日でも日課と化したそれは変わらないのだろう。
シオンちゃんも毎日やってるって言ってたしそれもアークライトさんの影響かな。
「お邪魔じゃなければ私も付き合っていいですか?」
どうせ今日はアークライトさんと過ごすつもりだったし、例えそれが鍛錬であったとしても私は無問題だ。
まぁ私がよくてもアークライトさんが嫌だって言ったらそれまでだけど……
「……」
「よろしくお願いします!」
僅かに逡巡する素振りを見せたがそれも束の間、私の言葉に快く頷いてくれたアークライトさんに精一杯の笑顔を返す。
今日は精霊さんたちが起こしてくれただけに、良い一日になりそうだ。