第1話 プロローグ
───龍種
それは言わずと知れたこの星の最強種。
その体は細胞一つに至るまで膨大な魔力が巡っており、その心臓は無限に等しい魔力を産み出す炉心としての機能を果たしている。
龍種の代名詞ともされる炎の息吹は王国の宮廷魔導士でも総出で対処してようやく防ぐことが出来ると言えば、龍種がどれだけ人と隔絶した力を宿しているか理解出来るだろう。
本来であれば、龍種と対峙した時点で死を覚悟しなければならない。
人類と龍種とでは余りに力に差があり過ぎるからだ、捕食者と被捕食者という関係にすらならない。
龍たちからしてみれば気づかぬ内に人を踏んでいた、その程度なのだ。
人類が未だに絶滅していないのは、単に龍たちにとって滅ぼすに値しない、そもそも気に掛ける必要すらない種族だからだろう。
結界を張ったりその軌道を予測し遭遇しないようにしたりと、人類が相応の手段を取っているからというのも確かにあるのだろうが、それでも彼の龍たちが本気で人類を絶滅させようと行動を起こせばそんな古の時代から続いてきた努力など一夜を以って無意味と化すのは明白だ。
そう。
人は決して龍には勝てない。
そもそも勝負の土俵にすら立つことを許されない。
人は生態系の頂点などと王国の研究者たちは宣っているがそんなことは決してない。
どれだけ知恵を尽くそうとも、どれだけ力を束ねても、どれだけ人が結束したところで羽ばたき一つで全てが終わる。
人は弱い。
龍種に限らず、勝てない相手なんて両手じゃ数えきれないほどにこの世界に存在している。
だから人は人の身にあった相応の生き方をしなければならない。
慎ましく、静かに、結界の中でいつ来るか分からない死の恐怖に怯えながら暮らせばいいのだ。
……そう思っていた。
あの日───たった一人で最強種たる龍を打倒した人間が現れるまでは。
「副団長! 総員、配置に付きました!」
「合図が出るまで待機だ。いいか、決して先走るなよ」
「ハッ」
部下に指示を飛ばしながら、眼前に映るその光景に思いを馳せる。
十年、たった十年前だ。
突如として王国に襲来した名もなき黒龍。
此れまでの歴史で一度たりとも観測されなかったその黒龍が、結界を破って王国の人間たちを喰い尽くさんとその牙を剥いた。
誰もが死を覚悟した、千年に渡り繁栄を続けてきた王国の終末を幻視した。
当然だろう、当時は龍種に対抗する兵器も人材もなく加えて一切の情報がない謎の龍種が相手だったのだから。
逃げ惑い泣き喚く民たちを思い出す。
地獄、とは正しくあの時の光景を言うのだろうなと過ぎた記憶に歯噛みする。
緑豊かだった土地は見るも無残に焼き尽くされ、笑顔に溢れていた民たちが暮らす住居や施設は軒並み崩れ落ち、王族の暮らす中心部すら火の海に包まれていた。
当時の私は今の地位になくそれどころかそもそも騎士ですらなかった。
むしろ貴族の令嬢として、騎士に守られながら劫火の中を必死に走り続けていた。
「(本当に、あの人には迷惑をかけた)」
今すぐにでも王国を蹂躙する黒龍の下へ向かいたかっただろう彼の騎士に、私はただ自分が死にたくないというためだけに自らの傍に縛り続けた。
その無駄な時間の所為でどれだけの人々が犠牲になっただろうか、考えただけで過去の自分への憤怒で体を引き裂きそうになる。
「団長……」
眼前には『焔の剣』で龍の翼を焼き尽くした心より尊敬する彼の騎士の姿がある。
その姿が、過去の黒龍相手に一人で立ち向かった姿と寸分の狂いもなく重なり合う。
皆が絶望に打ちひしがれる中、貴方は赫怒の炎をその眼に宿し剣を握った。
行かないでと涙を流す私に、貴方は優しい手付きでその涙を拭ってくれて安心させるように頭を撫でてくれた。
ああ、貴方はあの日から何一つ変わっていない。
弱き者のために剣を握り、誰かの明日を願ってその力を振るう……それは正しく英雄の在り方だ。
翼を焼かれた龍が苦悶の咆哮を上げながら地へと堕ちる。
そして、団長から合図が送られた。
「───総員、討てぇえええ!」
堕ちた龍へ、予めその巨体を取り囲むように配置された団員たちが各々の直剣を媒介に魔法を放つ。
それはこの騎士団を象徴する火属性の魔法。
王国最強の七耀の騎士の一角にして『灰の騎士』と称される我らが団長と比べればその威力はお粗末の一言だが、それでも死に絶えの龍を灰と化すには充分だろう。
25の騎士より放たれた全霊の一撃が、内側からその身を焦がす焔に悶え動けない龍へ殺到する。
全霊とは文字通り魂に至るまで全ての魔力を絞り出して放った一撃だ、寿命を削るに等しいその魔法は全てが集束すれば龍の全身を呑み込むほどの劫火となる。
その威力を示すように、着弾した劫火は特大の火柱となって天へと昇っていく。
しかしこれで終わりなどと慢心はしない。
この戦いにおける勝利とは、目の前の龍が灰となってこの世界から消え去った時に他ならないのだから。
「ッ……!」
そして、未だ火柱の中で息づく龍の鼓動を感じ取った。
流石、というべきだろうか。
団長によってその双翼を焼き尽くされ、団員たちの決死の一撃を以ってしても未だその姿を保てているのは何度見ても驚嘆に値する。
ならばこそ、この時のために待機していた私の出番だ。
契約する精霊の力を引き出し詠唱を開始する。
私の足元に展開された魔法陣を見て気づいたのだろう、他の団員たちが息を切らしながらも体に鞭打って持ち場を離れていく。
「『燃え盛る炎の渦よ──』
体の内で膨れ上がる魔力を、詠唱という名の言霊に乗せて契約する精霊へ譲渡する。
直後、私の背後に顕現するのは高位の精霊として名を連ねる炎の巨人。
精霊は契約者の譲渡した魔力に応じて精霊術と呼ばれる彼らの世界で扱う術を、譲渡した魔力で再現することが出来る。
私が譲渡した魔力は私の持ち得る全ての魔力、王国でも上から数えた方が早い魔力量の私の全魔力ともなればそれがどういう結果になるか……それは退避した団員たちが物語っている。
「『全てを呑み込み灰燼と為せ』」
火柱をも呑み込んで爆炎が世界を包み込んだ。
▽
玉座の前で膝をつく。
もう何度繰り返したか分からないその動作に内心嘆息しながら、今日も長い話を聞かされるのかなと全身を巡る疲労を考え鬱になる。
目の前には王様と王女様がいて周りを伺えば見知った顔が幾つもある。
誰か助けてくれないかなと願っても王の言葉に口を挟む不敬な人間なんてこの場所にいる訳もなく、当然というか話は進んでいく。
今更だけど、何でこんなことになってるんだろう。
「『灰の騎士』アークライトよ。此度の龍種討伐の任、よくぞ成し遂げてくれたな」
大儀であった、と言う王様に一段と頭を垂れて返答とする。
俺みたいな王族どころか貴族でもないただの平民が王様から労って貰うなんて昔は考えられなかったのにな。
「其方には此れまで幾度も龍種の討伐を任せているが、その度に私は十年前のあの日を思い出す」
そう、全ての始まりは十年前の黒龍襲来の日だ。
あの日から俺の幸せ人生計画はそれはもう跡形もなく粉々に砕け散ってしまった。
「思えば魔法の才を持たぬ平民から其方のような存在が見出されたのも運命だったのだろう」
俺はこの国で平民として生を受けた。
平民として生まれたことを恨んだことはない、そりゃ貴族に生まれたかったが世の中には平民以下の人間なんて山ほどいるし、スラムの人間たちを見れば自分がどれだけ恵まれた人間なのかは誰にだって理解出来るだろう。
だから、それなりに頑張ってそれなりに稼いでそれなりの人生を送ろうと思ってた。
何事も普通が一番、そんなことを考えながら俺は生きてきた。
転機が訪れたのは商人の父と共に騎士団の巡礼に出くわした時だ。
聖地を巡る騎士団と商売のために王国の外に出ていた父と俺。
俺はその時、初めて魔法というものをその目で見て素直に凄いなと思った。
俺もあんな風に指先一つで火を灯せるようになりたいと思い、子供心から騎士の人を真似て火の灯ってない木に見様見真似でやってみたのだ。
そしたらついた。
そう、ついてしまったんだ火が。
もうビックリしたね、本当に俺魔法使えちゃったよって。
そしたらそれに気づいた父と騎士団の人が駆けつけてきて、俺が平民だと知るやあれよあれよと色んな施設へ連行され最終的には騎士団に騎士見習いとして入隊することになっていた。
「平民の身で騎士になった其方を快く思わない輩は数多くいただろう。それでも其方は腐らず騎士の責務を全うしてきた、当時は七耀の制度もなく今より遥かに規模の小さかった騎士団だったが……それでも当時の騎士団長は其方のことを誇りだと申していた」
騎士団長? 騎士団長ねぇ……多分あの人が俺を一番快く思ってなかったと思うんですけど、その辺どういう風に伝わってるんですかね。
毎日毎日アホみたいな量の訓練させられたし、魔物の群れにぶん投げられたこともあったし、酷い時なんて憂さ晴らしのために俺のこと木刀でボコボコにしてきたからなあのオッサン。
うん、今考えても子供にすることじゃないよほぼ虐待じゃんあんなの。
まぁ騎士になれば可愛い貴族の子とお近づきになれるかもしれないし、そうなれば俺も貴族になってウハウハな毎日送れると思ってたから我慢してたけど。
「時を経て皆が其方を騎士として認め、その証として其方は部隊長の席を与えられた」
そうだね。
ただ与えられたっていうか、厄介事を押し付けられたって感じだけどね。
まぁその時の俺は部隊長になったら嫁さん選び放題じゃんやったーとかバカみたいに喜んでたけど。
「そして其方はオルテシア家の護衛を任され、其方の騎士団で副団長を務める彼女と出会った」
オルテシア家。
貴族でも有数の、それこそ王族を除けば一番権威のある家だ。
王様が言った様に、今や俺が担当する騎士団の副団長にまで上り詰めたシオン・オルテシア……燃えるような赤髪が特徴的な彼女こそが、当時護衛の任を受けた俺の護衛対象その人だ。
あの頃は騎士様、騎士様って笑顔の花を咲き誇らせていて可愛かったのになぁ……今じゃ部下にガンガン檄を飛ばす鬼教官だよ。
一応上官だからか俺にはそういうことはないけど正直怖いです。
何があったら俺の唯一の癒やしだったシオンちゃんがあんな風になっちゃうの……? 変わり過ぎだよ泣くぞ。
「それから一年が経ち……黒龍が現れた」
忘れもしないと悲痛な表情を浮かべる王様。
当然、俺だって忘れはしない。
アイツの所為で俺はこんないつ死んでもおかしくないようなブラックな環境に身を置くことになって、更に長年かけて考えた人生計画までメチャクチャにされたんだ。
許さねぇからなあのクソトカゲ……もう死んでるけど。
「千年、千年だ……。それほどまで長くこの地に君臨していながら、我らは結界の上に胡坐をかいて龍種への対策を進めてこなかった。その結果が大勢の民を失い、古来より守り続けてきた多くの物を失うことになった」
まぁ、ぶっちゃけしょうがないと思いますけどね。
俺たちのご先祖様が作った結界が千年も維持されてきたらそりゃ誰だって慢心の一つや二つ……もう安心だって胡坐かきますよ。
「其方が黒龍に立ち向かわなければ間違いなくこの王国は滅んでいたことだろう──改めて、感謝する」
あの止めてください、平民如きに王様が頭下げないでください。
感謝してくれるのは本当に嬉しいんですけど、あの……周りの視線がとっても痛いです。
何王様に頭下げさせてんの? みたいな視線が本当に痛いんで止めてくださいお願いします。
「……まだ『呪縛』は解けないか?」
頭を上げた王様が悲痛な面持ちで言った。
僅かにざわつく所から考えるに、俺の事情を知らない人もそれなりにいるようだ。
別に隠してた訳じゃないけど公に言うようなことでもないし、この話題自体も結構久しぶりだから知らない人がいても不思議ではない。
そんな人たちのためか、それとも俺への確認のためか……王様は俺に掛けられた『呪縛』を語っていく。
「彼の騎士が用いる『焔の剣』は……担い手に膨大な火属性の魔力を授ける代わりに『呪縛』を与える霊界の宝剣だ」
その言葉に一部の宮廷魔導士が声を上げる。
まぁ霊界って言ったら精霊たちが暮らす三界の一つだし、そこの宝剣なんて聞いたら驚くのも無理はない。
俺も初めて聞いた時はめちゃくちゃびびった。
ただ使えば使うだけ浮かび上がってくる問題点に、俺は最早これは宝剣ではなく魔剣とか呪いの剣の類なんだと思ってる。
正直売れるもんなら売りたい。
「『呪縛』とは一体……?」
不敬にも王様の話に横やりを入れる宮廷魔導士がいたが、寛大な王様はその質問に答えるように言葉を続ける。
「『灰の騎士』アークライトは『焔の剣』の担い手となることで黒龍を打倒したが……『呪縛』によって声と表情を失った」
悪徳商人かって思うくらい売り込みの上手かった精霊に騙され、宝剣とかいう名の呪いの武器を持たされガチの無口無表情になってしまった俺。
うん、字面にすると最悪だなマジで。
俺の人生計画が粉々になったのは紛れもなくあの黒龍のせいだけど、あの悪徳精霊もその原因の一端であることは語るまでもない。
「『呪縛』を解く方法は『焔の剣』の持ち主たる精霊にしか分からぬと聞いたが……」
残念だがあの悪徳精霊は『焔の剣』の持ち主じゃないから『呪縛』を解く方法は未だに判明していない。
そんな意を込めて王様の言葉に首を振る。
王様はそれを見て心底残念だと嘆息するが、正直俺はこの『呪縛』と一生付き合う覚悟は出来てるのでそんな自分のことのように落ち込まなくてもいいのよ。
「我々が力になれることがあれば何時でも頼れ。国を救った英雄の頼みとあらば助力は惜しまぬことを約束しよう」
じゃあ休暇をたくさんください!
あと大量のお酒と健気で儚い感じのお嫁さんが欲しいです!!
え、休暇は上げられない?
昼間からの飲酒も許されないし、健気で儚い女性なんて男の妄想の中だけ??
ソンナー!