胸の中のモヤモヤ
リンのお母さんは、私のお母さんとも付き合いがある。家がまあまあ近所ということもあり、小さい頃にはお互いの家をよく行き来しては遊んでいたからだ。
リンのお母さんは、図書館司書の資格を持っていて、川石市立図書館に勤めている。
「こんにちは。お久し振りです」
「お母さん元気? 最近、会ってないわあ。それにしても美夕ちゃんはこんなところでなにやってるの?」
「夏休みにやるボランティアを探してて……」
「そうなのね。うちのリンもやってるわよ」
流れで夏休みのボランティアについての話になった。けれど、そのリンのお母さんの言葉に、私は耳を疑った。
「え? リンもですか?」
「そうなの。あんな子でも、社会の役に立つことなんてあるのかしら?」
え、え、え? 少しだけイラっとし、胸もモヤる。
リンのお母さんは持っていたカバンから、ごそごそとなにやらチラシのようなものを出してきた。
「ねえ、美夕ちゃん。おばちゃん図書館に勤めてるんだけど、図書館でもボランティアを募集しているのよ。ほらこれ。この前、二人ほどパタパタっと辞めちゃってね。良かったら美夕ちゃんやってくれないかなあ? チラシを置いてもらおうと思って、今日は市役所に来たんだけどね」
差し出されたチラシを受け取りながら、私は言った。
「え? でも、リンがやってるんじゃ?」
「 んーーリンにも勧めたんだけど、お母さんと一緒の職場はイヤ! って言われちゃってねえ」
「じゃあ、どこでボランティアやってるんですか?」
「今ね、商店街の向こうにある介護施設に行ってるの」
「介護施設?」
「そ。そこでお昼ごはんのお手伝いしたり、おばあちゃんたちの話し相手になったりしてるみたい。たまにピアノも弾くって言ってたわ。あの子、小さい頃から習ってたでしょ。昔の童謡とか懐かしい歌とかを弾くと、おばあちゃんたちが喜ぶんだって」
そうなんだ、っていうより、あっそう。
リンの成績は学年での順位も上の上だし、ボランティアをやって内申点を上げる必要は無いはずだ。高校受験になんの心配もないことを、私は知り過ぎているほどに知っている。
どこまで上を狙っていくんだ、そう思って正直、辟易した。黒々しい、得体の知れないなにかが私の胸を染めていく。一気に嫌な気持ちになった。
「そうですか」
「ねえ美夕ちゃん、どう? 図書館にボランティア、来てくれないかなあ?」
私はもう、その頃にはなにもかもがどうでもよくなっていて、「わかりました」とだけ、返事をした。
そう言ってから、ぞんざいな返事だったかと思い、「よろしくお願いします」と付け加えて頭を下げた。
もういい。
ボランティアなんて、一、二回やればいいや。そんな気持ちでチラシをポケットに突っ込んで、市役所を後にした。
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「ボランティアやると、内申点が上がるんだってねえ」
ドキッと胸のどこかが鳴ったような気がした。新井さんが、私用の修理道具を準備してくれている間、手持ち無沙汰で組んだ両手をもぞもぞと動かしながら俯いていると。
私の斜め前に座っている五十代くらいのおばさんが、ニコッと明るい笑顔で、いきなり毒なセリフを寄越してきた。
名札には、藤掛とある。
そういうことをみんなが知ってるんだと思うと、途端に居たたまれない気持ちになって、来たばかりなのにもう帰りたくなってしまった。相手は年配の人ばかりだし、初対面でなにをどう話して良いのかもわからない。リンだったらこんな場面でもきっと、ハキハキと明るく喋るんだろうけど、そういうことが私にはできないのだ。
「は、はい……」
頷くと同時にまた俯いた。
藤掛さんは、手をさっさかさっさか動かしながら、
「うちの娘も同じだったよ。大変だよねえ今の中学生は。学校だけじゃなく塾なんかも行かなくちゃいけないし、勉強勉強また勉強なのに、ボランティアとかやってお行儀も良くしなきゃいけないなんて、本当に窮屈よね!」
その言葉。思っていた反応と少し違っていて、多少はこちらの事情も理解してくれているようだとわかる。そうなんです、高校受験は大変なんです、心の中で言い訳できて、それだけで少し救われた気がした。
新井さんも、揃えた道具を私の前に並べながら、話に入ってくる。
「ふふ、ほんと大変ね。勉強や宿題もあるだろうから、来られる時だけ来てくれればいいし、お休みの連絡も要らないから。本の修理とはいえ、そんな難しいこともないから、気楽にやってちょうだいね」
「……はい」
この図書館で募集していたボランティアは三つだ。
①絵本の読み聞かせボランティア
②蔵書の整理ボランティア
③本の修理ボランティア