第十三話 恩讐の元に 後編
「冬華っ!」
「へ?」
そう直樹が叫ぶ。次の瞬間、冬華は首筋にチクリと何かに刺されたような痛みを感じた。虫に刺されたような痛み。しかし、それはしばらくしてじわじわと熱を帯びていく。焼けるような痛みが首筋に感じた時、ようやくその痛みが異常であることに気付いた。
「あ、あれ?」
首筋に当てた手が真っ赤に染まる。生暖かく、指の隙間から滴るそれが自分の血であることを理解するまでには幾らか時間がかかった。そして、それがなんであるかを理解したとき、彼女はその足で立っていられなくなった。
「冬華っ!」
その場に崩れる様に倒れた彼女の元へと駆け寄る。ロングソードを置き去りにやって来た彼を辻は少し離れ、抑えられない高揚に笑みを浮かべていた。
「冬華、しっかりしろ」
冬華を抱え、傷のある首を心臓より高い位置に保つ。
「……傷は浅い。ショックで気を失ったのか」
それに少しほっとするも、依然として出血は止まらない。直樹は右手に巻いたハンカチを解き、彼女の首に巻き付け圧力をかけ止血を行う。
「貴方は沢山の命を救ってきたようですが、それと同時に沢山の命を奪ってきた」
「そんなことは知っているっ!」
「その報いが今、貴方が味わっている痛みなんですよ」
「黙れっ!」
ハンカチが真っ赤に染まる頃に、彼女の出血はようやく止まる。それに安堵のため息を吐く間もなく、直樹は湧きあがる激情に辻を睨みつけた。
「所詮貴方は紛い物の騎士なんですよ。弱者のため剣を握り、弱者のために身を削る。忠誠を誓った騎士道はこの国に宿る大和魂に根付いた思想ではない。貴方の信念なんてものは、紛い物でしかないんですよ」
「……」
「貴方は目指したかもしれません。物語に登場する立派な騎士を。けれど、私からしてみれば、そんな西洋の剣に振るわれる貴方たちは滑稽でしかないんです」
直樹は辻から視線を冬華に戻す。そして、血の止まった彼女を優しく抱き上げ、扉の近くの壁にそっと下ろした。
「異国の猿まね。そんな紛い物集団にこの国が守れるはずないでしょう」
そう言い、辻は三日月宗近の峰を撫でる。
「だから、私たちが守ろうとしているんです。勘違いした騎士の格好をした愚者、まるでドン・キホーテのような貴方たちに代わってね。この刀はその御旗なんです」
「ドン・キホーテ……か」
冬華を下ろした直樹はゆっくりと歩き出した。辻は彼と突き立てられたロングソードの間に立ちはだかり、彼の行く手を阻む。
刀を持った辻の優位性は揺るぎのないものだ。しかし、丸腰であるはずの直樹はそれに臆することなく、辻との距離を詰めていく。その彼の行動に辻は怪訝そうな顔をする。
「確かにお前の言う通りだ。俺はこの国で生まれ、この国で育ち、そして、この国のために戦っている。そんな奴が西洋の剣を握り、西洋の剣術を扱う。ああ、偽物だ。そこに本物は居ないだろう」
迫る直樹に辻は困惑する。相手は丸腰である。なのにこの威圧感は何であろうか。
その疑念を切り伏せる様に彼は直樹の脳天に向けて、らしくもない大振りの攻撃を仕掛けた。
そして、次の瞬間、辻の視界は天を仰いでいた。
「は?」
辻は理解できずに声を漏らした。なぜ自分は今空を仰いでいるのか。なぜ自分は背中を地面に打ち付けているのか。けれど、その答えを出す前に辻は素早く立ち上がり、直樹の行方を探した。
コンクリートの床からロングソードが引き抜かれた音がして、辻はハッとする。刀を構えてその音の方へ向き直れば、そこには片手でロングソードを握る直樹の姿があった。
「俺はドン・キホーテだ。自らを騎士だと錯覚し、背負った無念に取りつかれた騎士と呼ぶには誇れる信念のない紛い物。だが、それでも一つだけ、誰にも否定されない本物を持っている」
その構えは西洋剣術の型にない構えであった。左手で剣の根元を持ち、だらりと垂れた腕の延長で、剣先は地を指す。そんな無防備な構えであるにもかかわらず、刀を持たない右半身を前に出し、右手を構えるのだ。
「騎士は強くなければならない。それだけが、俺を本物にする」
両手持ちの剣を片手で持ち、剣先を地面に向け、直樹は堂々とする。
「は、はは」
無防備に手首を晒す直樹の構え。辻はそれに奥歯を強く噛みしめる。
「私を馬鹿にしているのか! 本物だと? 笑わせるなっ!」
先ほどの打ち合いで辻という男の戦い方を直樹は理解しているはずだ。手首や脇、そういった目立ちはしないが致命的になり得る急所を辻は狙う。それに彼は少なからず苦戦を強いられていた。それなのに、今になって手首を隠すことなく晒すのだ。辻は呆れを通り越して怒りを覚えていた。
「私を侮っているのか! そんな隙だらけの構えで、何が強さだ!」
辻の激昂に、直樹は応じない。ただ辻を見据え構えるばかり。それがどうにも我慢ならず、辻は彼の懐へと飛び込んでいく。
「後悔させてやるぞ、千宮!」
そうして彼の手首に切っ先が届こうとした瞬間、彼の手刀が辻の刀を側面から叩き、受け流されてしまう。
「……は?」
信じられないと、一瞬止まった辻の思考の隙をついて、直樹は辻のわき腹を思い切り蹴りつける。
「っ!」
辻は一瞬息が詰まる。目を見開き、その痛みに耐えれば、次の瞬間には体の回転に任せた大振りな横薙ぎが迫る。
「くそっ!」
それに対応し、辛うじて刀で受け止めるも先程までの軽い振りとは違い、勢いの付いたロングソードの重たい振りはふらついた辻の体を横に吹き飛ばした。
「ぐっ」
床に叩きつけられ、辻は苦悶の表情を浮かべる。立ち上がろうとするも、既に追撃に迫っていた直樹にその腹部を蹴り上げられる。加減のされていない蹴りに辻は悲鳴すら出なかった。詰まる喉の隙間を呼気が通りすぎ、笛のような音が鳴れば辻の体はボールの様に転がる。
何とか体勢を立て直そうと膝を立てるも、顔を上げた視界の先にはすでに追撃に迫る直樹の姿があった。
「ひっ」
剣先を地面に向けながら迫るその姿を辻の目は処刑人の様に捉えていた。
「くそぉお!」
恐怖心を振り払う様に雄叫びを上げ、辻は剣を振るう。それは確かに鋭い振りであった。あったのだが、その鋭さは無造作に振り上げられたロングソードによって弾き返されてしまう。
「あっ」
そうして刀と共に腕が上がれば、胴ががら空きになる。隙だらけなのは、どうやら今この瞬間は辻の方であった。
「終わりだ」
体を回し、振り上げたロングソードの軌道を横薙ぎに修正する。勢いのままにロングソードは辻のわき腹へと叩きこまれ、辻の体は吹き飛ばされ、金網へと叩きつけられる。
騎士学園のドン・キホーテは紛い物の構えを脱ぎ捨て、真なる強さを露わにする。確かに彼は騎士ではないかもしれない。けれど、誰がその強さを否定できるだろうか。辻は朦朧とする意識の中、自分がまだ生きていることを不思議に思った。
「峰打ち……ですか」
「ロングソードに峰はない。ただ剣の側面で叩いただけだ」
あの勢いで切り付けられたのに繋がっていた胴に辻は納得する。彼は生かされたのだ。
「今更……情けですか」
「違う。お前に掛ける情けなんてない」
「では、何故……」
その問いかけに、直樹は横たわる冬華の方にチラリと視線を向けた。
「あいつの騎士道をお前の血で汚したくなかった。それだけだ」
そう言い残し、直樹は辻に背を向ける。すでに鞘に納められたロングソードが、戦いの終幕を確かに物語っている。
「ははっ。なんですか……それは。本当に……年相応じゃないですか」
ドン・キホーテと罵った彼の背中は、確かに年相応に小さく、しかし、確かに背負った想い相応には逞しかった。




