第十二話 弱さと共に 後編
瓦礫の散乱する玄関ホールに立ち、直樹は苦い表情を浮かべた。そこは酷い有り様であった。天井が崩れたのだろう瓦礫の山がいくつも築かれており、奥のカフェテリアの方から黒煙が流れ込む。
「あの時と同じ……」
爆発、それに付随する火災、そしてこの玄関ホールの様相はまさしく彼の初任務のあの惨状と類似する。思い出されるのは最悪の結末。あの少女の死が脳裏にチラつき直樹は鼓動を早めていく。
「冬華っ!」
焦りに満ちた叫び声は轟々と音をたて燃える炎に掻き消される。黒煙の立ち込める視界の中、辺りを見回してみるも冬華らしき姿は見当たらない。
「忘れ物を取りに戻ったということは、二階か」
焦燥に荒くなる呼吸を咎め、煙を吸い込まないように口元を抑えながら浅く息をする。
これはあの日の惨劇の再現ではない。そう自分に言い聞かせながら、彼は階段の方へ進んでいく。頭上、幾らか二階の廊下が崩れてはいるが、そこまで酷い状態ではなかった。少なくとも進行不能なほどの大きな穴は目視できる範囲には存在しない。
そうして階段までたどり着く。しかし、階段は途中の踊り場が完全に崩れており、どうやらここで爆発が起きたであろうことが分かった。
「踊り場で爆発……」
その既視感はもはや考えすぎだと一蹴できるレベルではなかった。あの時、博物館で起きたテロと酷似しすぎているのだ。
「まさか、あの時の奴が?」
あの時のテロリストは無事に捉えたと公的には報道されている。しかし、その実、犯人グループが何人いたかは把握できていなかったのだ。
その生き残りがここに居ると考えるのは早計かもしれない。けれど、頭の片隅に置いていた方がいいと彼は考える。踊り場で爆発が起きる。それはもう事故であるはずがない。間違いなく実行犯が存在する。そして、そいつはあの時の博物館のテロリストの仲間かもしれない。
もしそうなのだとすれば、この事件は冬華を助けただけでは終わらないだろう。
「急ぐべきだな」
崩壊した踊り場で立ち止まっていた直樹は一つ息を吐き、体勢を整えた。本来なら安全策を取り、回り道を探す所だろう。けれど、そうも言っていられない。このタイミングの起爆にどういう意図があるのか。それを考えれば、一刻も早く冬華を見つけるべきだと彼は結論付けるのだった
「はっ!」
彼は飛び上がり階段の壁を蹴る。垂直とびでは上階のフロアには届かない。しかし、壁を蹴りさらに高さを稼ぐ三角跳びによって彼は上階の手すりに届く十分な高さを跳ぶことができた。
「ぐっ」
しかし、金属製の手すりはこの火災によって熱を帯びており、掴んだ右手が痛みに痙攣する。反射的に緩んだ手を彼は歯を食いしばり握りしめる。そして、渾身の力を込めて乗り越え、二階の廊下へと躍り出た。
「っはぁ」
痛みに堪え、止めていた息を吐きだす。額を伝う脂汗を拭い、彼は廊下の先に目を凝らす。そこに身を小さく丸め頭を抱える人影が一つ。
「冬華っ!」
それを視界に入れた瞬間、直樹は叫んでいた。彼の声に反応し、冬華は彼の方に顔を向ける。
「……ししょう?」
彼女の目が彼の存在を認めると、その恐怖に強張る頬で彼女は弱々しく笑みを浮かべた。
「ししょう」
「大丈夫か、冬華」
直樹はすぐさま彼女の元へ駆け寄ると、彼女は嬉しそうに彼を呼ぶ。
「怪我はないか」
「はい、大丈夫ですよ、この私は」
それが強がりであることは明らかであった。キャンプファイヤーでさえ怖いのだ。その身を焦がし、その生を脅かさんと迫る炎に囲まれた今の彼女が大丈夫であるはずがないのだ。
それが分かるから彼は彼女の手を握り締めた。その震える手に幾らかの安らぎを与えるために。
「し、師匠?」
「安心しろ」
穏やかな声で彼は彼女に語り掛ける。
「絶対にお前を助ける。だから、安心しろ」
それは彼女を安心させるためのその場しのぎの嘘ではない。真に迫る声色に乗せられるのは彼に刻まれた騎士としての矜持。例え自身の命を投げ出してでも誰かを救わなければならない。それが、あの時少女を助けられなかった彼に彼が課した宿命なのであった。
そんな彼の内に秘めた呪縛のような矜持を知る由もない彼女は安堵の表情を浮かべた。
「そうですよね。だって、師匠が来てくれたんですから、大丈夫に決まってますよね!」
「ああ、そうだ」
いつもの調子を取り戻す彼女に彼も安堵する。
「よし、行くぞ。立てるか」
「はいっ!」
直樹が先に立ちあがり彼女の手を引き上げ、立ち上がる補助をしようとする。
「あ、あれ?」
しかし、景気よく返事をしたはずの冬華の脚は、彼女の意志に反して立ち上がることを拒んでいた。思ったように力が入らず、彼女の脚はただただ震えるだけであった。
「……立てないのか」
「えへへ、ごめんなさい、そうみたいです」
「謝らなくていい」
冬華は直樹が来てくれたにも関わらず恐怖に動けない自分を恥ずかしそうに笑う。それを彼女の過去を知る彼が咎めるはずもなく、彼は彼女を宥める。
しかし、内心彼は焦っていた。彼女が立てるようになるまで待ってもいられない。火の手は刻一刻と強まっており、既に彼がやって来た階段の方は炎によって塞がれており、脱出には回り道は必然であった。
だが、それも今動き出せばの話であり、その回り道すら時間が立てば塞がってしまう可能性がある。彼女が動けないのであれば待つしかないのだが、そうすれば逃げ道はなくなってしまうのだ。
「……」
「どうしたんですか、師匠?」
直樹は冬華の顔を見つめる。舞い上がった煤に少し汚れているが、その顔つきには女性的な魅力が確かにある。けれど、その程度なら騎士としてこの場に立つ彼の心を乱すことはない。女性であることを意識する以前に彼女は騎士が助けるべき弱者である。ならば、意識するのは可笑しいと割り切ることができるだろう。
彼は自分がすべきことを理解していた。動けない彼女を連れてこの場から脱出しなければならない。そうなれば、自分は彼女を背負って逃げるべきなのだ、と。
「鞄は貴重品だけ取り出して置いていけ。邪魔になる」
「分かりました」
だが、そうなると懸念材料が一つだけあった。それは彼にとって一度負けた感触であり、それによって状況が悪化することだけは避けたかったのだ。
「冬華。これから俺のすることは助かるために必要なことだ」
「? はい」
彼の言い回しに冬華は首を傾げる。
「だが、許されることではない。もちろん許してもらう気はない。だが、怒るのは助かってからにして欲しい」
「師匠の言ってることが難しすぎて、よくわかりませんよ、この私は」
「すまない」
そう言って首を傾げる冬華の胸元に彼は手を伸ばし、彼女の豊満な胸を鷲掴みにした。
「はうっ。あっ、やっ、し、師匠?」
そうして幾度かその感触を確かめる様に揉めば、彼は真面目な顔で頷いた。
「いけるな」
「はあはあ。何がですか、師匠⁉」
動揺する冬華を余所に彼は彼女の鞄からはみ出ていたハンカチを掴み火傷を負っていた右手に巻き付ける。そして、彼女に背を向ける。
「乗れ」
「え、でも、師匠……あ、ああ!」
冬華は彼の奇怪な行動の理由を理解した。
「早くしろ。もうそこまで火の手が来ている」
「は、はい!」
そうして彼女は両手を彼の首に回し、這うように彼の背中に抱きついた。背中に感じる二つの柔らかな感触に彼は確かに鼓動を早めた。けれど、そこにあの模擬戦の日に感じた恐怖はなかった。
安堵に大きく息を吐いた。これなら救える。これなら、彼女をこの場から助け出すことができると、安心するのだ。
「行くぞ」
そうして背負う彼女の体勢を固定するために足に手を回した時、彼は直感的に歯を食いしばった。
「ぐっ」
「ど、どうしたんですか、師匠。苦しそうな声が聞こえてきましたけど……」
「なんでもない」
そう言うも、彼の呼吸は荒い。そう、彼は失念していたのだ。この指先に触れる彼女の太腿の柔らかさを。
「なんでもないが……」
「師匠?」
「少し、心の準備をさせてくれ」
「師匠……」
冬華の心配そうな声に胸を痛める直樹であった。
最後の数行がやりたかった




