第九話 弱さを背負い、進む道 前編
後半戦始まります(作者にとっての)
「……ここは」
薄暗い部屋の中で直樹は目を覚ました。少し痛む頭を押さえながら上体を起こす。部屋を見回してみれば見覚えのある旅行鞄があり、どうやら誰かが彼を自室に運んでくれたようだ。
「そうか、確か俺は冬華に……」
思い出して直樹は身を震わせる。嬉しさ余って抱きついて来た冬華の女性的な感触に気を失った彼であったが、落ち着いてくると次第に彼女に対して申し訳ない気持ちが湧いてくる。師匠である自分には、気を失う前に書けるべき言葉があったはずだと。
「あいつは……外か」
窓から外を覗き、そう呟く。街灯の少ない暗闇の中で、広場からは眩しいほどの明るさに包まれていた。
広場の中央に組まれた丸太の中で大きな炎が燃えている。合宿最後の夜、新入生はキャンプファイヤーを囲み、各々の親睦を深めているのだ。
立ち上がり、直樹は人気のない廊下を歩きだす。合宿所から外へ出ると、広場の端、中央のキャンプファイヤーから少し離れた所でちょこんと座る冬華の姿を見つけた。
石段を下り広場へと降りて行くと足音に気付いた冬華が顔を上げる。そうして、直樹の顔を認めるとパッとその表情を明るくし、立ち上がった。
「師匠っ!」
駆け寄ってくる冬華を手で制し、直樹は彼女の方へと歩いていく。
「師匠、目が覚めたんですね」
「ああ、心配をかけたな」
「いえ、そんな。私が勢い余ったせいですし。私の方こそ、ごめんなさいです」
そんな風に頭を下げる冬華の後ろから、能面のような笑みを張り付けた辻が両手に串を持ちながら現れた。
「おや、会長さんではないですか。具合はどうですか?」
「もう何ともない」
「あ、辻さん」
冬華が振り向くと、辻はその手に持つ串を彼女に手渡す。
「はい、マシュマロですよ」
「ありがとうございます。私の代わりに取ってきてもらって」
「いえいえ。あ、よかったら会長さんも食べますか、マシュマロ。中央の火で焼いて来たんですけど、美味しいですよ」
「ああ、頂こう」
そうして直樹も串を受け取り、三人は広場の端にあるベンチに腰掛けた。中央の火の周りでは新入生たちが楽し気に談笑する姿が見える。
「マシュマロ美味しいですね!」
「それはよかったです。皆さんのために用意した甲斐があったというものですね」
けれど、冬華はそれに混ざろうとしない。それどころか、中央へ顔を向けようともしないのだ。今でさえ俯きながらマシュマロを食べる彼女の意図的に逸らされた視線に、直樹は疑問を抱かざるを得ないのだ。
「……冬華」
「はい、なんですか師匠」
「どうしてお前は他の奴らに混ざらないんだ」
「……やっぱり変ですよね」
「少なくともお前らしくはないな」
冬華はどこか恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
「実は私、炎が怖いんです」
それは普通の感性のようにも聞こえるのだが、冬華の声色からそれが深刻なものなのであろうと直樹は理解した。
「前に、騎士に助けられたって言ったじゃないですか」
「ああ」
それは彼女が騎士になりたいと思わせた時の話であった。
「それは私が小さい頃でした。家族で訪れた博物館でテロリストが仕掛けた爆弾が爆発したんです」
「博物館で爆発……ああ、十年前のテロ事件ですね」
辻はどうやら冬華が巻き込まれたテロに覚えがあるようだった。
「詳しいな」
「騎士になろうとしていた口ですから。関連情報だけは色々知っていますよ。確か、テロリストは爆破に乗じて刀剣の強奪を謀った事件だったと思います。複数箇所での爆発によって警備の分散、展示物への引火からの火災などが発生しましたが、駆け付けた騎士団によって無事テロリストは確保されたようですね」
辻はその凄惨な事件を思い出し、どこか悔しげな表情を浮かべた。
「私が気づいた時には辺りは火の海でした。視界は赤色に染められていて、立ち込める熱気が私の肌を焼いていました。瓦礫に埋もれた体は身動きが取れなくて、炎が迫ってくるのを私はただ見つめることしかできませんでした」
その無力さは生死をかけた状況で、彼女の心底に恐怖と共に刻まれたことだろう。
「助けを求めたくても張り付く喉は私の救援を声にしてくれませんでした。涙も乾いてしまう、そんな中で諦めかけていた私の前に大きな手が差し出されたんです」
「それが騎士だったというわけか」
「はい」
そうして彼女は騎士に助けられ、騎士になることを志したのだ。彼女にとって博物館でのテロ事件は良くも悪くも忘れられない出来事なのだろう。
「ああ、思い出しました!」
辻はそうして大きな声を上げる。
「確か、その事件での生存者は犯人を除けば一人だけだったと報じられてたんですよ。もしかし、その一人の生存者というのは」
「……はい、私ですね」
「ですよね!」
それが分かり、辻はどうしてか嬉しそうにする。それは有名人に出会った時のような感情なのだろう。けれど、冬華の答えを聞いた直樹は彼女の心中を察する。
「家族は亡くなったのか」
「はい」
そう答えた時の彼女の表情は暗がりの中で見えなかった。けれど、そこに何の悲哀も込められていないはずもなく、彼女の声はどこか震えていた。
「炎の中では分からなかったんです。自分のことで精一杯で、霞む視界は誰かを想うことさえ阻むようで。でも、私だけ助かって、私だけ歩けるようになって。普通に生活していてもいつも感じるんです」
そうして冬華は自身の震える肩を抱きしめる。
「背中に、焼け付くような視線を。あの時、助けられなかった人たちの声にならない救援が背中に張り付いて、私を咎めているような感覚に襲われるんです」
「冬華……」
それはいつもの快活な彼女の振る舞いからは想像も付かないものであった。その小さな背中に暗い過去を背負い、それでも明るく振る舞う彼女の心中を直樹は推し量ることはできない。
けれど、ただ一つ、彼は確信している。それは、彼女がその過去に囚われた生き方をしてはいないということである。
「だから、私はその人たちの分まで頑張るんです。私がそこで生き残ったことに意味があったと言って貰えるように、今度は私が誰かを救えるように、私は立派な騎士になろうと心に誓ったんです」
そう言って勢いよく顔を上げた冬華であったが、視界に入ったキャンプファイヤーの大きな炎に慌てて俯いた。
「えへへ、まだ炎は克服できていませんけど、それでもいつかはあの火の中の誰かを救えるようになりますよ!」
冬華は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながら直樹の方を見る。そんな彼女の前向きな姿勢に彼は感心した様子を見せた。
「良い話ですねえ」
そう呟く辻はその細い目のどこから漏れているのかと首を傾げてしまうほどに号泣していた。
「亡くなった人の無念を背負って高い志の元に恩人の背中を追って騎士になろうとするなんて、とてもできることではありませんよ。いやあ、感動しました」
「そ、そんな大げさですよ」
「いえ、大げさではないですよ。死者の想いを忘れず、彼らに恥じぬ生き方を心掛ける様はまさに武士の魂に相応しいではないですか」
「も、武士ですか? 私は騎士になろうとしているんですけど……」
「まあまあ、どちらも同じようなものですよ。日本人の魂には武士の生き様が刻まれているものですから」
「そういうものなんですか」
「そういうものなんです」
そう言って、辻は立ち上がる。
「では、明日の仕込みもありますので、私はこれで失礼しますね」
合宿所へと消えていく辻の背中を見送ると、広場の端で直樹と冬華は二人きりになる。中央の喧騒と対照的な静寂が占めるベンチで二人は沈黙に身を預けていた。
何を話すべきなのか。直樹には見当もつかなかった。家族を失うという暗い過去を背負い、それでもなお歪むことなくまっすぐ前を見据えてここまで来た彼女に対し、今更自分が掛けなければならない言葉などないように思えたのだ。
「お前になら、言っても良いかもしれないな」
「えっ?」
故に彼は彼女の過去に、これまで歩んできた彼女の生き方に、何か口を出すことはしない。けれど、それならば一つ、彼女と共有しようと思ったのだ。彼女にも弱さがある様に、自分にも弱さがあるのだということを。
「俺は女性恐怖症なんだ」




