第七話 悔しさの中で 後編
そうして陽も落ちた夜空の下で、二人はベンチに腰掛ける。
「ゴクゴク、ぷはっ! 生き返りましたよ!」
「そうか」
自分で効果音を付けながらお茶を飲み干す冬華の隣で、汗一つ掻いていない直樹は缶コーヒーを傾ける。もちろん、加糖である。
「ようやく、騎士らしい特訓になりましたね!」
「今までのお前は剣を握るレベルではなかったからな」
「うう、確かに。あ、でも、今はそのレベルに達してるってことですよね、師匠?」
「最低限だがな。もちろん、基礎体力作りはこれからも続けるぞ」
「はい! あ、今度は師匠も一緒に走りませんか? 独りで走るのって、少し寂しいんですよね」
「……お前と走ると、ウォーキングになる」
「そんな遅くないですよ⁉」
そう言って直樹が断る理由は単純で、ランニングを終えた後の彼女は汗に濡れて体操着が張り付いており、あまり近づけない状態であり、そんな彼女と隣り合って走るなんて彼には耐えられるものではないからであった。
「とにかく、ようやくスタートラインに立ったわけだ。励めよ」
「スタートライン……」
その言葉に冬華は感慨に耽ると同時に、押し込めていた不安が雪解けの様に押し寄せる。
急に俯き加減に表情を曇らせる彼女に直樹は気づく。
「昼間のことか」
「やっぱり、分かっちゃいますよね」
そう言って冬華はどこか自虐的な笑みで直樹の方を見る。けれど、それに直樹は首を振る。
「何を言われたかも、何に悩んでいるのかも俺には分からん」
「そうですか……」
そうして二人の間に沈黙が流れる。しばらく冬華は手に持つ空のペットボトルをぼんやりと眺めていた。
「聞かないんですか?」
「言いたければ言えばいい。言いたくなければ無理に聞く気もない」
「そうですか……」
それは無関心ともとれる言葉であった。けれど、直樹の真意は違った。
「どうせ数日もすればお前は立ち直るだろう」
「え?」
「俺が何もしなくても、お前は大丈夫だ。そう思っているが、見当違いだったか?」
そう言って直樹は冬華を見つめる。例え落ち込んだとしても、必ず立ち直るだろうという師の信頼がその瞳から感じ取れて、冬華は嬉しくなるのだ。
「師匠……」
けれど、それでも吹っ切れないのはその師の信頼に一抹の負い目を感じているからであった。
「……私が騎士になろうとするのは、可笑しなことですか?」
「いいや」
「守られる立場の弱者が誰かの助けになりたいと思うのは、可笑しなことですか?」
「いいや」
直樹はそれらに即答する。冬華の喉につっかえていた悩みは彼に一蹴される。
「弱いって言われたんです。師匠の弟子に相応しくないって」
昼に遥上に言われた言葉を思い出す。
「それは良いんです。弱いのは本当のことですし、師匠の弟子だってこれから相応しくなっていくつもりでしたから」
その力強い言葉が彼女らしさであった。けれど、そう言った後に彼女の表情は再び曇り出す。
「でも、その後、私は遥上さんの一撃を受け止められなかったんです。私を師匠の弟子として見ていた遥上さんに負けてしまって」
そうして視線をベンチに立て掛けられた訓練用のロングソードに落とした。
「私なんかを弟子にしてくれた師匠の顔に泥を塗ってしまったような気分になって、申し訳なくて……」
それに直樹は首を傾げた。確かに彼女の感じた彼への申し訳なさというものは幾らか彼女の中にあるだろう。しかし、彼にはそれが今の彼女の悩みの種であるようには思えなかったのだ。
「何かおかしかったですか?」
「お前は倒された時、本当に俺に申し訳ないと思ったのか?」
「えっ?」
思いも寄らない直樹の質問に、冬華は戸惑った様子を見せた。
「俺の顔に泥を塗ったと思ったから、目を逸らしたのか?」
「そ、そうですよ! そうじゃなかったら、あんな気持ちに……」
冬華の様子に直樹は確信した。彼女は自分が感じた気持ちを理解できていないのだと。sの時に感じたのは後ろめたさでもなく、申し訳なさでもない。
「悔しかったんじゃないのか」
それは、自分が一生懸命に目指す騎士への道を共に歩む者に負けたことによる悔しさであったのだ。
「そ、そんなわけないですよ。だって、私が弱いのは分かってますし、遥上さんは体力測定の結果もよかったですし、私より優秀ですし……」
冬華はその言葉を否定するも、次第に言葉は萎んでいく。
「わ、私が負けるなんて、当たり前のことで……それを悔しいと思うなんて……」
「悔しいと感じるのは、真剣にやっている奴だけだ」
その言葉に冬華はハッと目を見開く。
「少なくとも、俺が見ていたお前はいつだって立派な騎士になろうと真剣だった」
自分が弱いことを認め、けれど、一切自分の夢を諦めようとせず、必死で走り続けたあの日の彼女に直樹は心を動かされたのだ。
「真剣だから例えそれが当然の結果だったとしても、悔しかったんだろう」
「……そうなのかもしれません」
そうして彼女は自分の気持ちに気付く。
「私は、遥上さんに負けたことが悔しくて、そんな姿を師匠に見せたのが恥ずかしくて目を逸らしたんですね」
悩みの種を理解した彼女の立ち直りは早かった。直樹が思っていた数日など全く必要としない。原因が分かってしまえば、彼女は秒で立ち直るのだ。
「だったらもっと特訓するしかないですよね、師匠‼」
そう言って立ち上がり、高らかに拳を掲げる冬華の様子に直樹は思わず口元に笑みを浮かべる。
「ふっ。そうだな。お前が強くなればいい。それだけのことだな」
「ですよね! そうなったらもうやりますよ、私は!」
そう言って冬華が訓練用のロングソードを握ろうとするので、直樹は彼女より先に手を伸ばし、それを取り上げた。
「ああ、師匠。なんで取り上げちゃうんですか」
「今日はもう休め」
「まだまだ私は元気ですよ?」
「体は確かに疲労している。やる気は買うが、やり過ぎは逆効果だ」
そう言われると冬華も前腕辺りのダルさに気が付く。剣を振るうという慣れていない行為にはやはり筋疲労が溜まりやすいのだろう。
「それに、明日は何があるか思い出してみろ」
「ええと、午前中に基礎練習があって、午後から……」
そこまで言って冬華はハッとして直樹を見つめる。
「模擬戦ですね!」
「そうだ」
冬華の言葉に直樹が頷く。それはこの合宿で学んだ剣の扱いをどの程度修得できているかを測るための決闘形式の一対一の試合であった。
「対戦相手はまだ決められていない。それに教員側も内容に期待していない、いわゆるお遊びのようなものだからな」
「そうなんですか?」
「ああ。勝ち負けよりも、動きを見るのが目的だからな。だからこそ、ある程度の融通が利く」
その言葉に冬華は瞳を煌めかせる。それはこれまで見せた類の光ではなく、燃えるような闘志に輝く煌めきであった。
「お前は、俺の弟子だ」
「はい」
「戦って、勝ってこい」
「はいっ!」
本気だから負けたくない。真剣だから悔しさを覚える。同じ道に立っているから闘志を燃やす。遥上によって冬華が感じた悔しさが、彼女を一層強くするだろうと、直樹は少し遥上に感謝するのだった。
要約騎士らしい戦闘シーンに辿り着きそうです




