第七話 悔しさの中で 前編
特訓を終えた新入生たちが食堂で夕食を取っている時、直樹は施設の外に設けられたテラスに腰掛け、コーヒーカップを片手に考え事をしていた。
打ち合いの中、冬華が遥上の前に尻餅を着いた。それは有り触れた事故の様にも見えたのだが、その後の特訓に彼女が参加することはなかった。
心配そうにする教員たちに大丈夫だと笑いながら何度も訴えかけるも、冬華の顔色は到底大丈夫といえるものではなかった。相当ショックを受けたのだろう。繰り返し彼女の口から紡がれる大丈夫という言葉はもしかすると自分に言い聞かせていたのかもしれない。
誰の目にも大丈夫に見えないその様子故に、彼女は教員によって医務室で安静にしているよう指示されたのだった。
教員に連れ添われ歩いてくる彼女を直樹は見送った。通りすがり様に目が合うと、彼女は慌てるようにその顔を伏せた。そんな彼女の様子に直樹は何かを察したのだ。
不意に背後で扉の開く音がした。直樹がゆっくりとそちらに視線を向けると、そこには彼と同じようにコーヒーカップを片手にもった秋の姿があった。
「やあ、どうしたのかな、浮かない顔をして」
「顔に出てるのか」
「いや、いつも通りの女の子を寄せ付けない仏頂面だよ」
「そうか」
直樹は砂糖もミルクも入ったコーヒーに口を付ける。
「またいつもの激甘コーヒーかな?」
「どう飲もうが俺の勝手だろう」
隣に腰掛けた秋はそう答える彼に一つため息を返した。
「分かってないなあ。いいかな、苦いものは苦く、甘いものは甘く。それぞれに適した味の楽しみ方って言うのがあるんだよ」
「だから、コーヒーはブラックで飲めというのか」
「そういうことだね」
そう言って彼女は自身のカップを傾ける。そうして味わうブラックコーヒーの苦味に彼女は眉をひそめた。
「んー、苦い!」
「当然だろう」
顔をしかめながら、しかし、彼女はブラックコーヒーを飲み続ける。
「それで、私はコーヒーが苦いから浮かない顔をしているわけだけど、君はどうしてなのかな?」
「……察しは付いているのだろう?」
「まあね」
悪びれもせずにそう答える彼女は彼の口から語られることを望んでいるのだ。
「最近、何者かの視線を度々感じていた。俺に、というよりは俺たちに対しての視線だったのだろう」
「それは、君と」
「ああ、冬華にだ」
二人が放課後に特訓を行っていると必ずと言っていいほどその視線を感じていた。
「その視線がどういう感情が込められているのかは分からん。だが、その視線が誰のものかは分かった」
「まあ、十中八九、春瀬ちゃんだろうね」
昼間の騒動を見れば当然辿り着く答えである。遥上は直樹の弟子である冬華に思う所があった。それ故に、二人が一緒にいるところを何らかの感情を乗せた瞳で見つめていたのだ。
「冬華ちゃんが心配?」
「していないと言えば嘘になる。だが、問題はないとも思っている」
「どういうことかな?」
そう首を傾げる彼女に直樹は広場の方を見る様に促した。
そうして秋が広場を見れば、そこには体操着に着替えた冬華の姿があったのだ。
「なるほどね。意外と君は冬華ちゃんのことを信頼しているんだね」
「意外ではないさ」
そうして直樹は立ち上がる。
「なにせ、俺の一番弟子だからな」
脇に立て掛けていた剣を手に取ると彼はテラスの策を飛び越え、広場へと向かう。残された秋は一人、未だ冷めないコーヒーに口を付け、渋い顔をする。
「やっぱりコーヒーは苦いなぁ」
師匠である直樹を待つ冬華であったが、その表情は浮かない。彼女らしい快活さは鳴りを潜め、ただ夕日に染まる足元を何の気なしに眺めていた。
「待たせたな」
その声に彼女はハッと顔を上げる。正面に立つ声の主は、変わらぬ眼差しで彼女を見つめる。そこには彼女を心配した様子も、彼女を気遣う様子もない。ただいつも通りの凛とした視線が彼女を射抜く。
「始めるぞ」
「は、はい、師匠っ!」
その直樹の変わらぬ対応に釣られるようにして、彼女もいつも通りの振る舞いをする。そうして広場に描かれたトラックを彼女は走り始めた。
いつも通りの特訓メニュー。それが今の彼女をどうにも安心させる。揺らいでいた心が上がっていく心拍数に平静を取り戻していくのを彼女は感じていた。自身の限界が近づくにつれて彼女はどうしてか口元を緩めていく。悩んでいられる程、脳に酸素は供給されず、うじうじしていた自分が馬鹿らしく思えてきたのだ。
「あはは」
「呼吸が荒いぞ。もっと深く吸い込め」
「はいっ!」
そうして走り終える頃にはいつもの快活さが彼女の瞳に戻っていた。斜陽に煌めく瞳が直樹を捉えても、もう後ろめたさを彼女が感じることはなかった。
「師匠、どうでしたか?」
「体力は付いてきたようだな。息切れもさほどしていない。基礎的な体力は付いてきたようだな」
「本当ですかっ!」
冬華は嬉しそうに笑みを浮かべる。その言葉は、特訓が次のステップへ進むことを意味しているのだから、彼女がこうして喜ぶのは当然のことだった。
「受け取れ」
「わわっ!」
冬華は慌てた様子で直樹から放り投げられた物をキャッチした。両手で掴んだその棒状の物体。
「これは……」
「訓練用のロングソードだ。構え方は覚えてるな?」
そうして直樹は自身の腰に携えたロングソードを抜き、彼女と対峙するように構えた。その光景に彼女は少し臆した様子を見せる。
「どうした、早く構えろ」
「は、はいっ!」
昼の一件を思い出し構えることを少し躊躇っていた冬華であったが、直樹に急かされ安全装置の付いた剣を構える。
「これからお前に教えるのは基本ではない」
「え?」
「基本はお前一人でどうにでもなるだろう。根本的な筋力は足りてないが、正しい型を覚えるのは得意だろう?」
「それは……」
直樹は覚えていた。彼女が絶望的な身体能力を見せたあの体力測定の時に見出した才能。それは教科書のような投球フォームに然り、彼女は正しく体の使い方を理解しているのだ。動きに変な癖は付かないだろうと彼は考える。
「だから俺が教えるのは戦術だ」
「戦術ですか?」
「そうだ」
そう言って直樹は彼女が構えたロングソードの剣身に自身の剣を沿える。
「ロングソードの戦い方はこの互いの剣が触れ合ったバインドという状態から始まる」
「つばぜり合いみたいな感じですかね?」
「ああ。そう捉えて相違ない」
直樹が剣の位置を変えると、互いの刃が触れ合う位置が変わる。
「バインドの状態にも優劣がある。こうして剣身で押された時、より圧力がかかるのはどちらだ?」
そう言って直樹は冬華の握る剣の先と根元を交互に押す。すると冬華は明らかに前者の方が手元に加わる力が強いことに気が付いた。
「先の方が辛いです」
「そうだ。それが接触位置によるウィークとストロングだ」
そうして直樹は一旦バインドの形を解く。
「ほら、自分に有利なバインドをして来い」
そう指示されると、冬華はゆっくり先ほどの指導を思い出しながら剣を近づけていく。
「ええと、相手の剣には先の方で受けてもらって、自分の剣は根元で押せばいいんですね!」
そう言って腕を上げながら直樹の構える剣先に自身の剣を沿える。身長差も相まって、その体勢は直樹に上から押されているような格好に見える。
「ウィーク、ストロングだけを考えればこれが最善だろうな」
「ですよね! ……でも、全然有利に見えないんですけど」
事実、彼女の剣は直樹の剣に圧力を掛けられてはいない。
「当然だ。相手のウィークを取れても力が込められないなら意味はない。その判断をするのがハードかソフトかというものだ」
直樹はバインドしている冬華の剣を上から押しこむ。すると、冬華は思う様に力が込められず、そのまま剣を押し下げられてしまった。
「今のバインドでは俺がハードの状態だ。上を取っている、もしくは力が込めやすい状態にある場合をハード、その逆をソフトと言っている」
「ええと、下を取って手も伸びきっていたさっきの私は、ストロングだったけど、ソフトだったということですか?」
「ああ。そういうことだ。どちらを優先するということもなく、基本的にはどちらも有利になる様にバインド後も剣を動かしていけばいい。ウィークならスライドさせストロングに、ソフトなら剣を回してハードにもっていけ」
「なるほど」
その後も二人は特訓を重ねる。昼に感じた不安に意識を向けてる暇も与えず、暮れていく陽は二人の影を長く伸ばしていくのであった。
西洋剣術ちょっとだけ調べてみましたが、面白いですね




