安心的空間
安堵と心配。
着いた瞬間、最初に二つとも感じたものだった。
疲れきった体に鞭を打つ。今、背負っている少女を確実に救うまでは気を抜けない。
暖炉近くにあるソファに咲夜歌を優しく寝かせる。依然、体温が弱く感じる。これ以上少女の体温を低くしないために火を起こそうと、暖炉へ振り向いた。
煤けた薪が堆く盛り上がっている。暖炉の横にあった新聞紙と卵くらいの大きさの球体を取った。
新聞紙は二つに破って暖炉に放り投げる。次に、握った球を、卵を割るような要領で割る。球の中心で燃えている部分にまで罅が入ったのを確認すると、これも暖炉へ放り込んだ。
咲夜歌に乗り移っていた時に見た、イミラが暖炉で火を起こす時に必ずやっていたことだった。
炎魔法の源となる魔力が籠った代物なのだろう。どうやらここは、魔法を扱えない人が多いようなのだ。扱えても、炎魔法など扱う機会などあまりないが。
……これだけでは、咲夜歌の体温は上がってくれない。毛布を掛けた方がいいだろう。あと、水もやらなければ。
台所へ移動して蛇口を赤に捻って引く。食器棚からコップを取り出して温かい水を少し入れると、咲夜歌へ駆け寄る。
人命救助などしたことなかった。衰弱した人の救助の仕方など身につけていなかった私は、とにかくこれが精一杯だった。
少量の温水を飲ませた後、毛布を取るために二階へ駆け上がる。元の世界で、咲夜歌の部屋である場所に入った。
眼前に広がったのは、散らかりながらも綺麗に積まれている家具や物品。咲夜歌の部屋ではなく、その部屋になる前の物置部屋に変わっていた。
意味が分からず困惑する。目が右往左往に動いたその先に、物に紛れた毛布が視界に入った。
とりあえず畳まれたそれを丁寧に掴むと、埃を払うように煽ぐ。そしてすぐに部屋を出て階段を下り、咲夜歌に毛布をかけた。
最後にもう一度温水を飲ませた。
これで大丈夫だろうか。
これからどうしよう。咲夜歌の様子を見なければならないから、ここから離れるわけにもいかない。かといって、ずっとここにいても何も進展しないだろう。
鋭い破裂音と共に小さな火花を散らす暖炉を見る。それは熱く赤い炎が燃え盛っており、顔全体に温かい熱が伝わる。
とても温かい。気温の低い、雪も降るようなこの場所での暖炉は必須だ。これなら、咲夜歌の体温が低下していく、という事はなくなりそうである。
皆は大丈夫だろうか。
心配が募って、あの場所へ向かいそうになる足を止める。
駄目だわ。行ったとしても何も出来ないだろうし、そもそも咲夜歌を置いていけない。
今やれることをやらなければ。
しかしながら、その今やれることを考える為に、外に出ることにした。
一度に様々なことが起きてしまったのだ。一旦頭を冷やして冷静になれば、やるべきことが見えてくるはずだ。
……本当は外なんて出たくなかったが。
*
腐敗と鉄の臭いが鼻の奥を貫く。積雪の白と乾いた赤が交わったものが辺りに散っている。玄関前の階段に座って、その惨憺たる光景を見ないように俯いて目を瞑った。
暗闇と静寂が支配する。
視界が一切遮断されたからだろうか、鋭利になった聴覚が、静寂の中で雪を踏む音が微かに左耳へ入った。目を開けながら素早く左へ顔を向けると、確かに足跡があった。
もちろん私のではない。
誰かいる?
足跡は都市の方から来ており、ここから死角になっているこの家の壁際へ続いている。その途中の、玄関の横にある窓の前には、雪を人工的に盛ったような小さな山が座っていた。
足跡の先に視線を移す。
私は、何かに攻撃するといった魔法を持っていなかった。剣などの武器を生成するといった魔法も然り。
玄関口の傘入れにあった傘を一本取り出すと、ゆっくりと足跡を辿る。
仲間であるならこんな不可解な行動はしないはず。となると、この世界の生き残りだろうか。
もしかしたら、私のことを大量殺人犯だと思い込んでしまっているかもしれない。
壁際まで行って、壁に背をつける。少しだけ、息を吐いた。
ゆっくりと覗く。
誰もいない。足跡がまだ続いていた。家の裏だ。
たしかそこは、誰かが入れるだろう空間は木によって塞がっている。あまり隙間は無いはずだ。
再び足跡を追いながら、その先を見据える。傘の柄を持った手が徐々に強くなっていった。
静まり返った中、雪を踏む私だけの足音が響いていたが、そこにいつの間にか、心臓の鼓動が鮮明に聴こえるようになっていた。
角まで行って、もう一度壁に背をつける。
ゆっくりと覗こうとして、止める。
どうせあの先は行き止まりだ。あそこにいるのは確実なのだ。ゆっくり覗く必要はない。
握る手に力を込める。
意を決して、一気に身を出した。
誰もいなかった。
おかしい。
目を疑った。
確かに、確かに足跡が残っている。誰かがいた証明がくっきりと落ちている。なのに、目の前は木が一本生えていただけの誰もいない空虚だった。
幻覚かなにか見ているのか。そう思えるほど現実感がない。
困惑したその時、既に持っていたピースでこの謎を解けたかもしれないと思った。
が、それはあまりにも不明瞭なものだった。
転移魔法。私が使用している魔法だった。
ならこの足跡の主は転移魔法を使ったのか?
私の場合、転移魔法というものも、どんな魔法さえも極めて特殊なものだった。あの装置を潜って初めてそれが発現したものだ。あの空間魔法だってそうである。それが所謂、ギャップディメンションというものなのだが。
もし相手が転移したとするなら、もう足取りは掴めない。足跡が途切れてしまった以上、無闇に追う必要もなくなってしまった。
「…………?」
ふと、木のそばに雪に埋もれた長方形の薄い何かが落ちていたのが見えた。手を近づけて、ゆっくりと拾い上げる。雪を払いながら、困惑するようにそれを凝視した。
一枚の写真だった。
写っている人物は、私だった。私の後ろ姿が、この家の窓越しから撮られていた。
玄関横には確かに窓があった。そこから撮っていたのだろう。
一体、どういう意図があってこれを撮影したのだろうか。全く分からない。
大量殺人犯の証拠とでもいうべきだろうか。そうだとするなら、とんだ見当違いだ。
その写真を白衣のポケットにしまうと、足跡を逆に辿って咲夜歌が眠る家に戻る。
咲夜歌は依然、眠ったままだ。しかし、弱々しかった呼吸が先程よりもしっかりと呼吸しているようだった。体温も徐々に上がり始めているように感じる。
状態を確認したあと、ソファを背にして絨毯に座って、咲夜歌が目覚めるまで待ち続けることにした。




