懐疑の炎
まず初めに感じたのは、心の底から湧き上がる感情だった。それがどんなものかは分からなかったが、それはやがて私の全身を燃やしはじめた。
不思議と痛みは無かった。むしろ温かかった。しかしその代わりに、いくつもの拍手の音が聴覚を奪った。
それが本物の拍手に変わった時だった。私自身を包んでいた炎が、父に変身した。私を優しく抱き、褒めたたえてくれていた。
『いつも手間をかけてしまって、悪かったな……』
私も父も骨種族が故に体温など存在しないが、父の温かさは心からだと気づいていた。
『私のせいで勉強も捗らないだろうに、本当によく頑張ったよ……ツェル。』
白い部屋、白いベッドをはみ出しても抱いてくれたその温かさは、今でも残っている。
私の脳裏に焼きついて、残っている。
「……幻影魔法。」
それに気がつくと、部屋やベッドが空気に溶け込んだように歪み、たちまち漆黒の空間を曝け出した。
すっかり踊らされていたみたいだった。漠然とした意識を明瞭にしようと、深呼吸を試みる。
そうして目が覚めた私は、目の前に跪いて祈っているお嬢様が目に入る。
「……いかがなされましたか?」
ゆっくり、お嬢様と同じ視線まで膝を曲げる。お嬢様の耳や尻尾は萎れたように垂れていた。また、目を瞑って熱心に祈りながら、何かを繰り返し呟いている。
「お父様を見つけてくださいお父様を見つけてくださいお父様を見つけてください……」
いったい、どういう事なのだろうか。
お嬢様の様子を不思議に思いつつ、漆黒が広がる空間を見回す。
ふと、ツエルバ様が光る樹木を見つめている様子が見えた。その樹木は一冊の本の頁から生えており、多く分かれた枝の、そのひとつに、黄金の林檎が成熟していた。
それが成っている木の根に腰を据えたエルダート様は、数え切れないほどの本に顔を埋めて倒れていた。
そこから程遠い位置に、ソファに蹲ったキュウイ様がテレビを見ていた。ニュース番組のようで、画面の向こう側のアナウンサーは見知らぬ名前を延々と挙げていっていた。
不意に、視界の隅で仄明るい光を放つ物体が映っていることに気がついた。多少ふらついた足取りでそれに接近すると、剣だった。
質素でありながら神々しく輝く剣は、無意識に私の手が柄を握らせるほどの存在感を醸していた。
その時、金属が高速で擦りあったような鋭い音が鼓膜を打った。
手に剣を持ったまま、曲げた膝を立たせながら音の方へ顔を向ける。すると、思いの外近い距離で戦いを繰り広げている事を理解した。
対峙しているのは、リーロディヴ様と咲夜歌様だった。しかしながら、咲夜歌様の方は生気を感じられない程の冷気を、服装とともに身に纏っていたのが目に見えるほど明らかだった。
それにより、私が擁護するべき相手がリーロディヴ様だと分かる。すると、剣から放たれる理性に似た何かが、私の感情を凝固させた。
これは、意志、だろうか。
何はともあれ、この剣が私のあらゆる力を増長させる要因であることに間違いなかった。
リーロディヴ様は、咲夜歌様の猛攻を軽々しく凌いでいく。その変わらない歪んだ破顔にある深紅の瞳が、不意にこちらを向いた。
あたかも、この展開を待っていたかのようにリーロディヴ様の口角がさらに釣り上がる。影色の顎が、対峙する咲夜歌様を指した。
私に、咲夜歌様を刺せ、という事だろうか。
無茶なことを振るようだが、状況から、私が咲夜歌様に攻撃を仕掛けなければ戦いは終わらないだろう。
私は、咲夜歌様の背後から忍び足で接近していく。
一方、対峙する二方は光と影の刃で攻防を繰り広げている。
しかし、リーロディヴ様が劣勢であった。攻撃を繰り出す咲夜歌様に対して全く防御を崩さないでいるため、一向に攻撃へ転じることが出来ないでいた。
だから、攻撃する役目を私に託した。
「見極めやすいぜ、お前の攻撃。」
余裕があるのだろうか、それとも気を引き寄せるためか、リーロディヴ様は咲夜歌様を煽動した。
そのお陰か、変わらぬ攻防の一歩背後に接近することが出来た私は、剣を逆手に持ち替える。
右にあるそれに目掛け、剣を大きく振りかぶる。私が背後にいることに気がついていない。私は、勝利を確信した。
そうして、心臓へ突き刺した。
「おめッ」
突然、リーロディヴ様の切羽詰まった様子で私に向かって突進する。そのまま胴体に太い腕を回され、力強く後方へ押される。
と同時に、咲夜歌様に刺さった剣がさらに閃光を放ったと思えば、爆発のような耳を劈く音が空間内に響き渡った。
私達はそれに吹き飛ばされ、リーロディヴ様の腕だけが私に覆い被さる形で地面に倒れた。
何が起こったか理解できなかった。ただ、この攻防戦はまだ終わらない、そんな予感が頭の中で響いていた。
上半身だけ起き上がり、その太い腕を退ける。視線を咲夜歌様がいるはずの方へ向けると、私がした失敗が明らかに見えていた。
背中が故に心臓の位置は左にあるはずである。にも関わらず、剣は心臓の正反対に位置する右に突き刺さっていたのだ。
「……サイアクだぜ。」
隣で、その様子を目の前でありありと見ていたリーロディヴ様は、相も変わらず歪んだ破顔で狼狽える咲夜歌様を見据える。
不意にその視線が私の方へと向けられる。
「お前アレだろ。本番になって肝心なミスやらかすタイプだろ。」
「……」
返す言葉も無い。実際、今そうなってしまっているのだから。
「ま、いいぜ。」
声の調子から怒っていないように聞こえ、若干安心してしまう。
共に立ち上がり、咲夜歌様の様子を確認する。
突き刺した剣は弾き飛ばされ、黒い空間の見えない壁に当たり地面に落ちる。両手で顔を埋めたと思えば、急に絶叫を放ちながら顔を晒す。
黒い空間が、若干明るくなった。しかしながら、それで何かが変わったわけではなかった。
咲夜歌様が宙を浮かびはじめると、光沢のある黒い刃が回りに浮遊する。
「まだ遊べそうだな。」
リーロディヴ様の視線を辿ると、私がさきほど握っていた剣に辿り着いた。
「オレがお前さんを出来る限り守るから、今度こそ心臓へ刺そうぜ。なぁ?」
笑いのようなものを含めた言い方で、私の腰を肘で啄いた。
「……」
馬鹿にしているのかどうかはともかく、もう一度与えられたこのチャンスを無駄にしてはいけない。リーロディヴ様が守ってくれるらしいが、だからといって攻撃を避けないわけにもいかないだろう。
「来るぜ。」
その言葉を皮切りに、咲夜歌様が黒い刃を私達に向けて放ち始めた。




