受難同士
私は走りながら懐に手を入れて兎にナイフを振り下ろした。
兎は、驚きながらも間一髪、腕を翳してできた青白いバリアのようなもので受け止めた。その影響で、バリアが罅割れる。そこで兎は何を思ったのか、薄ら笑いを浮かべる。
「人の話は最後まで聞くって、人に習わなかったのか?」
罅の入ったバリアが光った。そして、完全に割れたそこから白い光線が私のナイフを持っている手に向かって放たれる。
不意の出来事だったが、瞬時にナイフの刃で光線を打ち返そうとした。しかし、光線は跳ね返される事無くそれを貫通させた。手に残ったのは、丸く蝕まれて役割を失った刃と柄だけだった。
兎は翳した腕をパーカーのポケットにしまうと、数歩退く。
「わかった。お前がその気なら付き合ってやる。」
そう言い放ったと同時に、秒針の刻む音が聞こえてきたと思えば、兎の後方の何も無い空中に多くの人参が鋭い根をこちらに向けて出現された。
兎は鋭い半目で私を見ながら、一瞬何か考えるように赤い瞳を動かす。
私は後ずさりながら、残った刃で手首を切りつけて黒い液体を出す。黒を操ろうとしながら前に目を向けると、既に高速でこちらへ迫る人参が見えた。
蜂の巣にされてしまうのが容易に想像できた。
素早く腕を振り、黒を薄い大きい膜を前方に創る。と同時に膜に人参が突き刺さる。膜は刺さる度に罅が入っていくが、最後まで割れることは無かった。
もう一度腕を振って膜を破壊する。突き刺さっていた人参は忽ち、雪の地面に音もなく落ちた。
次はこちらの番だ。
膜としての役割を終えた黒を空中に浮かせ、無数の刃に形を変えさせる。そのうちの一つを手に取りナイフに変える。
刃先を兎に向かせ、飛ばそうと手を前に翳した時、兎はまた空中に多くの人参を創り出した。
そして、それはどれも黒の刃から守るように刃の軌道上に鋭い根を向けている。このまま刃を飛ばせば、兎に届く前に人参が邪魔してしまうだろう。
しかし、それで構わなかった。
今の目的は兎に近づくこと。無数の刃は、目的を達成するための駒として活躍する。そして、このナイフで兎を切りつけるのだ。
だが、一つ問題がある。
あのバリアはどうすればいいのか。
腕を翳した時に発動するのだろうか。それとも、無条件で発動するのか。……考えても仕方がなかった。どちらにしても、バリアを破壊してしまったら光線で反撃されてしまう。それはどうしても避けたい。
私は速やかに走り、黒の刃を発射させる。案の定、人参も飛ばされて刃を塞いでいく。多くの人参が刃を撃墜させ、地面に落とされていった。
その間を縫って兎に突進する思いで走ると、手に持ったナイフを振り下ろす。
が、直後に止めた。
兎には腕を翳していたが、ナイフの刃はバリアを壊されなかった。それがわかった瞬間、私は背を低くして兎の腹を服ごと横に切ろうとした。
聞き覚えのある破砕音がした。
刃先を見ると、あの青白いバリアが張っていた。刃をぶつけた影響で、既に罅割れている。バリアの内側には、もう一本の腕が腹を守るようにして塞いでいた。
光線が飛ぶ前に急いで一歩退く。
「ッ!!」
兎が広げていた手を握った途端、バリアから光線がこちらへ走る。しかし、退いていたが故にそれを容易く回避することができた。
これなら行けるだろうか?
ひたすらに攻撃を続ける。最終的にバリアを完全に破壊する。もちろん光線を避けながら。
このような戦法でこいつを殺せるだろうか。……他に選択肢はないようだから、これしか無い。
攻撃しては避け、攻撃しては避けるを繰り返す。兎は人参は出すものの、攻撃には使わず身を守る為だけに使っていた。
永遠に終わらないような攻防戦だが、それを終わらせるかのように、不意に兎は後ろへ退きながら高く飛び上がる。宙に浮いたかと思えば、兎の上空に橙色の円盤を出現させる。
大地が唸るような音が辺りに轟いた。
その瞬間私の足は地面から離れ、まるで空を飛ぶかのように宙に浮いた。真っ直ぐ、罅割れた夜空に落ちていく。
わけの分からない状況に慌てふためきながらも、頭上に黒で正方形の薄い床を作る。当然受け身は取れず、頭に鈍い痛みが走った。
やがて足が床に着いた頃、頭を上げて兎の様子を見る。
先程浮かせていたあの円盤は、この現象を予期して浮かせていたのだろう。兎はパーカーのポケットに手をしまいながら、毅然とした態度で円盤に乗っていた。
「面白いだろ?これ。汎用性は低いがな。」
地面が天に。天が地面に。ひっくり返ったのは私と兎だけで、それ以外は引力に従って、天に落ちてこないでいる。
二つに割れた三日月が、下に見えている。
どういう事なのか、これも魔法なのか。
考えている暇はない。とりあえず、空に落ちなければいいだろう。手に固く握りしめていた黒いナイフで両足を切りつける。
黒も私と同じように天に流れ落ちるようだ。足から体へ這い上がるなどといったことはならないようで、多少安心する。
流れ出した黒が靴裏に付着したことを確認すると、兎を見据えながら立ち上がった。靴裏から床の端に黒が流れると、新たな道が兎に向かってまっすぐと伸びていく。
恐れてはならない。立ち止まっていても、体に人参が突き刺されていくだけだ。
兎は再び多くの人参を空中に生成し、こちらに飛ばす。道を走りながら、それらをナイフで防いでいく。
やっと傍まで来て、再び攻防戦が開かれる。攻撃、避ける、攻撃、避ける。これらを何回か繰り返したが、兎は一向に自身が攻撃する気配が無い。更に言えば、バリアが壊れる気配も無かった。
兎はまた後方へ飛び上がり、ひらりと体を後転させた。
また、あの音が轟いた。
黒い道から足が離れ、頭上に白い地面が迫る。唐突だったが、一回経験したことにより素早く頭を守ることができた。
立ち上がりながら赤く染まった制服に着いた雪をナイフを持ってない方の手で振り払うと、兎へ視線を移した。
兎は依然として私を見据えている。ただ、やはりそこに殺意は感じない。
私は再びナイフを強く握りしめ、相手との間隔を詰めた。兎は一歩後ろに下がり、攻撃に備えている。またあのバリアを張るつもりだろう。
私の攻撃に備えているならそれで結構。私は罠になるから、むしろ好都合だ。
一つの茶番を演じるように、兎にナイフを振り下ろす。予定通り、兎はバリアを張ってくれた。
まだ残っていた靴裏の黒を、兎の後方へ回り込むように命令する。音はしないものの、白い地面に黒が動いているのだから、私は兎の気を逸らさなければならない。
私は攻防戦を再開させる。足元の黒に気づかれないように。
兎の背後に、大きな刃を創る。切っ先をそいつの背に向けて、突き刺そうとした。
しかし、背中へ辿り着く前に止まった。兎は驚きに息を呑みながら振り向いた。
バリアが張られていた。突き刺した影響で、罅割れていた。
腕を翳す翳さないに関わらず、バリアは創られるようだった。……何故、兎はわざわざ腕を翳していたのだろう。
予想だにしない展開に狼狽した私は、二歩後ずさる。兎は、罅割れた箇所を私に当たるようにして背を向けた。
やがて、光線が打ち出される。
私は、それを避けることはできなかった。




