妄信故の迷妄
ほんの一瞬だけ、枯れ木に見えた。
あの場所へ歩いている最中、赤の館の前に、黒いスーツを着た執事が悠然と佇んでいた。枯れ木のように細長く、弱々しく見える体である。
シルクハットを深く被っている。顔がそれの影で見えないでいた。
今日も、星々が綺麗に瞬く夜空だ。しかしながら、私と黒い執事の間に流れている空気は、殺伐としていた。
私の制服に付着した血と、冷たい風が運んでくる微かな鉄の臭いが、その証拠だ。
執事は、こちらを警戒しながら、白手袋をした手をはめ直す素振りをする。
「こんばんは。殺人鬼様。名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
手に胸を宛てがい、緊張を与えさせないような優しい口調で放ったそれは、冷たい空気に包まれて、途端に恐ろしいものになった。
「あなたの竿石へ刻む為に必要ですので。」
宛がっていた手を空中に放り投げるように天に翳すと、指を鳴らした。
何かが来る、と雪の積もった地面を踏みしめて体を構えると、辺りの景色が歪んだ。執事や、木、赤の館まで空気に馴染むように消え入ると、とある景色に変わる。
白い壁。白い天井。太陽が差す窓から冷たい風が吹いて、白いレースカーテンが靡く。
病室だった。
隅に置かれたベッドの上に、見覚えのある人が座っていた。その人がこちらに気がつくと、微笑みかけてきた。
「咲夜歌」
優しかった。何もかも。
その言葉も、笑顔も、全部。
後ろから何かが聞こえたが、今はそんな事はどうでもよかった。ポケットに手を入れながら、ゆっくり歩いていく。
私と同じ、白髪。同じ、群青色の瞳。
そこにいる、ということだけで、涙が出そうだった。
目の前まで歩いて、止まる。
美しい。けど、もう、その面影はない。
だって、私のお母さんは、交通事故に遭って死んだもの。
そう思い出した瞬間、母の顔の半分が焼け爛れる。既に柄を持っていたナイフを、爛れた場所に突き刺した。
血は出なかった。代わりに、辺りの空間が母ごと歪み始めた。微かな鉄の臭いや冷たい風が、頬を撫でる。
母に突き刺したナイフは、赤の館の鉄扉を囲う石柱に刺さっていた。思い切って引き抜くと、先程音がした後方へ振り返った。
また、黒い執事が立っていた。依然として、悠然と私に向き合っている。しかし、さっきまでとは違うところがあった。
執事の両隣に、黒く罅割れた巨大な腕が空中からこちらに向かって生えていた。執事自身の腕ではない。そのまま、執事の背後にある空中から生えているのだ。
「咲夜歌に幻影魔法は通用しないようですね。ならば、正々堂々と勝負するしか道はないようです。」
再び張り詰めた空気に投げ出された言葉が、私の衝動に拍車を掛けた。持っていたナイフで手首を切りつける。這い出た黒い液体を空中に振り撒き、静止したそれらを刃に変えた。
執事が何かに気がついたかように、微かに顔を上げる。
「これは……あの時の……。なるほど。」
また、微かに顔を下げる。再び、胸に手を宛てがう。
「私が先程までに申し上げたことを訂正します。……咲夜歌様、只今救出致します。」




