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押し寄せる恐怖

 

 ざわめくバスの中、私は奥底を覗くように月も見えない闇に染った窓の外を見つめる。しかし、そこから見えるのは、左上から右下へ流れる窓に張り付いた水滴のみだった。

 クラスの話し声が、途切れ途切れに耳に入る。何が起こっているのか?どこに向かっているのか?私は、その答えを知っている気がした。

 デジャブ、というものだろうか。

 定かではなかったが、この光景を見たことがあった気がするのだ。


咲夜歌(さやか)!」


 隣の座席から聞こえた私を呼んだ声に、顔を(さくら)に向けた。不安そうな表情のまま、私に話しかけてくる。


「さっき部屋で、洪水が来るって言ってたよね?それってどういうことなの?」


 部屋で寝ていたばかりであったためポニーテールにする暇もなかったのだろう。茶色の髪を肩の下にまで下ろした桜の姿は、とても新鮮だった。

 そして、洪水が来る、と言った私のこの言葉。記憶の水底から蘇ったように、私の頭を過ぎったのだ。

 私は、感じたことをそのまま言おうと思った。


「あのね、ここからそう遠くないところにダムがあるの。そこから水が溢れたかもしれない。最悪の場合、」





 突如、バスが大きく揺れるほどの地響きが起こる。思わず言葉を切ってしまったが、それよりも考える事がたくさんあった。

 倒れてしまうのではないかと思うほどに揺れるバスに、車内にいる桜も含めた生徒全員が恐怖で叫んでいた。

 車体を打ちつける雨も強くなったような気がする。大きく揺れた拍子に私の腕を掴んでいた桜が、揺れが収まった時にようやく顔を上げた。その表情は、恐怖そのもので染まっていた。


「ホ、ホントになんなの……!修学旅行、もう最悪すぎ……。」


 嘆く桜の言葉が、煩い話し声の中で聞こえた。しかし、今の私はそんな場合ではない!!


 ダムが決壊した音ではないのか!?


 この地面をも揺らす轟音。記録的な大雨で決壊したのではないか。旅館の部屋にあったテレビでは、都市や地方の方で類を見ない程の降水量を記録していると報道していた。

 私は、背筋がゾッとした。こういうふうに、冷静を保っていられるのも今のうちだ。山に近いということもあり、土砂崩れの恐れがあったが、私の記憶によればもうそんなのは関係ない。


 このバスで、ダムから溢れた水から逃げなければならない。ただ逃げるだけではすぐ捕まってしまうだろう。最善策は……



 このままバスで逃げる?



 いいや、いくらバスでも平坦な道路が続けば、たちまち飲み込まれてしまうだろう。では……



 シェルターに隠れる?



 だめね。ダム決壊を想定したシェルターなんてあるわけない。あったとしても、私の記憶には無い。じゃあ……



 山に登る……?



 幸い、まだここまで洪水は迫っていない。バスから降りて、山の頂上に登れば洪水からの被害にあわなくて済むんじゃない……?

 そう思った時、また車内が揺れた。しかし、地響きは起きていない。なにかに衝突したようだ。車内は、また叫び声で包まれた。

 座席から立つと、前の方で先生と運転手がバスから降りたのが確認できた。恐らく……いや、恐らくじゃなくて、前のバスのタイヤがぬかるみに嵌ったのだ。ここの道は整備されていない道だ。山付近の近道を使って、いち早く洪水から逃げようと考えていたのだ。


「大丈夫?咲夜歌!桜!」


「すごいねぇ〜。酷いくらいの雨もね……。」


 前の座席に、背もたれの上から顔を出した渚紗(なぎさ)と、その隣からこちらを心配そうに見つめてくる依音(いお)がいた。


「アタシは大丈夫!」


「私も……。」


 私と桜の返事を聞いた二人は、安堵する顔をした。心配してくれる人がいるのは本当に精神的にも安定する。少しだけ落ち着いた私は、意を決して席から立ちあがった。


「ごめん、桜。」


「あ、ああ、うん……?」


 桜の傍を通り過ぎると、前の方へ歩いていく。みんなの嘆く声が聞こえる真っ直ぐな通路を通り、出口の近くまで着く。そこから、前のバスの様子を伺っている、大雨の中で傘を差す担任の伊賀(いが)先生に大声で話しかけた。


「これからどうするんですか!?」


 私の声に気がついた先生は、こちらに振り向くなり驚いた様子で近づいてきた。


「お、おい!雨で濡れるぞ!早く戻れ!」


「……ダムが決壊したんですよね!?」


 核心を突くと、先生はさらに驚いて少しだけ後ずさった。


「そ、それを……!!どこで聞いたんだ!?」


「それより!!」


 私は、先生より大きな声を出して質問を無視する。


「生徒をどうするんですか!?このままだと、ダムの水がここまで来ますよ!!」


 すると、先生は苦い顔を浮かべた。大丈夫……私は、先生に生徒全員を山に登らせて避難させるという号令を隠しながらもそう後押しするだけ……。生徒の私がそう言っても先生は取り合ってもらえないかもしれないから、そうするしかない!



 お願い!!



 先生は、私の顔を見る。


「……他の先生と今後のことを話す!バスの中で待っててくれ!」


 …………上手くいったのかしら?わからない……わからないけど、もうこれ以上の後押しは無理そう。


「……分かりました!」


 上手くいってくれと願いながら、私は素直に元の座席まで戻った。桜の傍を通る時、桜の口が開いた。


「何してたの?」


「先生と話してきたのよ。上手くいったといいけど……。」


 少しだけ、今の状況を整理しよう……。


 まず、何故か私はこの既視感に陥っている。記憶に残っているほど。

 ……そう、生徒や先生のみんなと山に登ったっていうところまで。その時私は黒い傘を持っていた。その傘は私のバッグにある。

 でも、その先が全く記憶が無い。無事に避難できたのかしら?……それとも、足が滑って濁流に?もしくは……


 洪水から逃れられたものの、雨による低体温症になったり?


 どっちみち、この雨の中生き残れる気がしないわ……。傘は持ってる。でも、傘が折れるほどの風が吹いている。レインコートは、持っていない。当然ながら、カイロなどの温かいものも。


「咲夜歌。」


 突然、桜が私を呼んだ。私は、相当考え込んでいたのか、顎に食い込んでしまっていた親指の爪によって顎が少し痛くなった。


「どうしたの、桜。」


「……私たち、大丈夫なのかな。」


 桜が、ぽつりと、零すように呟いた。桜の顔には、明らかな不安と恐怖が浮かんでいた。眉を顰めたままで、焦げ茶の瞳も恐怖そのもので染まっていた。

 もちろん、私だって、そう。みんなそうだ。もしかしたら、あの先に記憶が無いのは、死んだからなのではないか?そんな思い込みも、現実になってほしくない。



 ……



 それから数分、少しだけ落ち着くことが出来た。そして、記憶のことはできるだけ考えないようにした。そうすることで、あの先はどうなっているのか、と考えてしまうことを防げると思った。


「ちょっとみんなよく聞いてくれ!!」


 バスの出口付近にいる伊賀先生が、私たち全員に呼びかけた。ある程度話し声が収まったが、恐怖に怯えたような声が止むことはなかった。


「最後までちゃんと聞いてくれ!これからこのバスを降りて山に登る!荷物や雨具は絶対忘れないように!!早く用意しろよ!全員降りた事を確認したら、すぐ山に登るからな!」


「なんで山に登るんですかー!?」


「わたし寒いのやなんだけどー!」


 他の生徒達が、先生の提案を冗談混じりに野次を飛ばす。


「早く、早く用意しろよ!」


 先生は野次を無視して、早く準備するようバスの中にいる生徒全員に吐くと、足早にバスを降りていった。

 生徒達は納得できない様子であったが、結局先生の指示に従い、各々荷物を持ち始めた。私も、桜も、前の座席にいる渚紗と依音も荷物を持つ。

 この豪雨の中、山を登ることになる。やっぱり、どうしても不安に駆られてしまう。もっと良い策があったんじゃないか。


「頑張ろう、桜。」


 考えるより先に口にでてきた。多分、こうしないと頑張れない。生きられない。


「……うん。」


 桜が、微笑んで返した。笑顔でいても、どこか恐怖を拭え切れないでいる。

 私たちはバスを降りて、突風も吹く激しい雨の中へ傘をさして入った。



 *



 複数の先生に生徒全員が着いていく形で、獣道でもない急な山道を列になって歩いている。……と思う。私と桜は、列の中で後ろの方だ。

 今の時間は夜だ。あたりは何も見えないが、先生が懐中電灯を持っているのか、前方に光る小さな柱らしきものは見える。

 横殴りの雨には、傘はほとんど意味を成さない。それに加え、今開いているこの傘は今にも折れそうだ。



 !!



 突風に煽られ、傘に連れていかれるように体勢を崩し、後ろを向いてしまった。そこで、聞こえてしまった。勢いよく流れる水の音。ここらへんに川があるとも思えない……もうダムの水が?


「咲夜歌!大丈夫!?」


 前にいた桜が、私の腕を握る。そうして、体勢を直すことが出来た。


「ありがとう……!」


 もう、体や足は雨でびしょ濡れだ。桜も、長い靴下が濡れきっている。桜は、私が体制を直したことを確すると私の腕から手を離した。



「キャーッ!!」



 突然、隣の列から女の叫び声が聞こえた。記憶と同じ声……。無意識に記憶のことを思ってしまう。そして、雨の煩い音に混じり、何かが水に飛び込む音も聞こえた。

 私は、怖くなった。ここから先は、全く記憶に無い。既視感が無い。道が見えない。怖くなって、前にいる桜の腕を握ろうとした。急斜面だったため、足を思いっきり前に出して手を伸ばした。



 !!!!



 が、それはかなわなかった。これまでにないくらいの突風が吹いた。また体勢を崩してしまった。また傘に体を持っていかれ、私は倒れてしまった。そして、急斜面を下るように転がっていく。


「咲夜歌!!」


 転がっている私に気がついた桜が、私の声を呼んだのが聞こえた。もちろん、返事もできない。追ってきているのかわからない。出来れば、来ないでいてほしい。

 こんな状況でも、私は冷静だった。木に体が当たって痛いはずなのに、痛みが感じないでいた。転がって、転がって、そのまま、ダムの水であろう濁流に、私の体が落ちた。


 濁流に流されている。とても冷たくて、体が冷える。呼吸ができない。目も開けられない。出来るだけ口を開けないようにしたが、それでも口の隙間から汚い水が入る。

 勢いよく体が何かにあたる。木なのかわからないが、それは固く、背中が痛くなった。様々な固い物体に当たり続け、体中がじんじんと痛み始めた。呼吸ができなくて、肺に残った空気を思わず吐き出してしまった。

 一瞬、後頭部に鈍い痛みが走り、私は……


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