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漂う、時間

 

 咲夜歌(さやか)は、亜空間へと飲み込まれた。気を失っているのだろう。目を瞑った咲夜歌は、水中を漂うかのように浮き、少しだけ苦に満ちた表情を浮かべている。

 しばらく観察をした後、咲夜歌はゆっくりと目を開けはじめた。



 *



「おーい!着いたよ!」


 懐かしい声が聞こえてくる。重い瞼を開ければ、見覚えのある車内が視界に入ってきた。


「あ、やっと起きた!びっくりした……。咲夜歌ちゃん、最近疲れてるの?ずっと寝てばっかだよ?」


 明るい声に混じり、激しい雨音がくぐもって聞こえる。頭を預けていたのは、多くの水滴が上から下へ流れている冷たい窓。

 まだ消えない眠気に誘われながらも、私は懐かしい声の方に顔を向けた。ポニーテールの艶やかな茶髪に、こげ茶色の瞳。


「……桜ちゃん?」


「もうみんなバスから出てったよ!私たちも早く行こ!」


「……う、うん。」


 理解が追いついかない。桜という友達がいたのは確かなのに、この懐かしい声は桜のはずなのに、何故だか桜に似た何かだと思った。そう思ったのは、ただの勘違い……だといいのに。

 桜は、眠気を堪えている私をゆっくり介抱する。


「もしかして、動けない?そんなに疲れてたの?」


「多分……ね……。」


 私は桜の肩を借りて、座席から立った。少し意識が覚醒しだし、次第に立てるようになる。私の耳に近い白い髪が頬にかかり、それを手で直す。

 重い荷物を取り出して背負うと、桜の手に淡い赤色の折り畳み傘を持っていることに気がついた。

 そうだったわ。外は雨が降ってる。……リュックに傘あったかしら?

 前に背負うようにして、リュックを自信無く開けると、綺麗に畳まれた衣服やタオルが覗く。その奥をまさぐると、柔らかい衣類に紛れて硬いものに触った。手に取ってリュックから取り出すと、黒い折りたたみ傘が出てきた。

 よかった……。これで雨に濡れずに済むわね。

 私の手が、桜の手に取られる。そのまま、明るいバスから降りることにした。



 *



 激しい雨が、開いた傘の表面を打つ。桜と私は並んで、雨で歩きにくいぬかるんだ地面を歩く。程なくして、舗装された地面と明るい光が見える旅館が目に入った。

 桜が、歩く方向は旅館から変えずに、私の方へ顔を振り向く。


「もう私たちの班は部屋についてるみたいだよ。」


 つまり、先生や他の生徒はもう旅館にいるということだ。強い眠気に負けた私が情けないし、責任を感じてしまう。


「なんだか……迷惑かけちゃったみたいね。」


 すると桜が、驚いた様子で私を見る。


「え?いやいや全然!大丈夫だよ!気にしないでって!」


 桜はそう言っても、私は気にしない事が出来ない。重い足取りのまま旅館に入れば、担任の伊賀先生が玄関の広いスペースの椅子に腰を下ろしていた。こちらに気がつくと、心配した様子で椅子から立って駆け寄ってきた。


月代(つきしろ)、大丈夫か?うなされていたみたいだし、全く起きなかったから、とりあえず他の生徒達を部屋に移動させたんだ。すまないな、君だけ残してしまって。」


「いえ、全然……。大丈夫です。」


「そうか……良かった。」


 私が起きたことで、とりあえず先生は安心してくれた。


四方原(よもはら)もありがとう。月代を連れてきてくれて。君たちの部屋は三〇五号室だったな。戻ってゆっくり休みなさい。雨の調子は、相変わらず強いようだから、外には出ないようにな。」


「はい。」


「分かりました……。」


 私と桜は、一緒に頷いた。伊賀先生がこの場を離れると、私達は三〇五号室に向かった。



 *



 部屋に入ると、四人の女子生徒が楽しんでいた。畳の部屋で、中央のテーブルを囲うように話し合っている。私は、一人ずつ確認する。

 明るい茶色の髪を下げた落ち着きのある(あや)。この班のリーダーで、図書委員でもあるのよね。

 淡いピンク色の短い髪で、周りの盛り上げ役の小夜(さよ)。いつも話題を作ってくれる欠けちゃいけない存在かしら。

 長い黒髪で、ちょっと口が悪いけどどんな事にも正直な渚紗(なぎさ)。本当に正直だから、嘘をほとんど言わない。

 薄い金髪で、おっとりしてるけどしっかり者の依音(いお)。彩ちゃんと並ぶくらい勉強もよく出来る。

 小夜が私たちに気づくと、パッと明るい表情を浮かべた。


「あ、咲夜歌!」


 小夜の声で、ほかの三人もこちらに振り向いてきた。彩がこちらに向かってきたが、小夜の次に口を開いたのは依音だ。


「大丈夫〜?すごい寝てたよねぇ。」


「大丈夫!ごめんね、みんなに迷惑かけちゃって!」


 私は無理して笑顔を浮かべた。小夜と渚紗は安堵しているが、依音は顎を手で支えながらこちらを見ていた。こういう時は、だいたい心の内を読まれている。

 私の前に来た彩が、私に何かが書かれた白い紙を渡す。意図がわからず、私は紙から彩へ視線を移した。


咲良(さきら)先生から貰ったの。」


「咲良先生?保健室にいる先生だっけ?」


「そう。」


 彩は、不器用に小さく笑って説明する。


「バスの車内にいたあなたの様子が変だったから、来てほしいらしいの。咲良先生の場所はわかるかしら?」


「えっと……一階だっけ?」


「そう。東階段から一階に降りてすぐ左にある部屋よ。早く行ったほうがいいわ。」


 彩は淡々と言うが、それでも心配してくれているというのが分かるのは、きっと長い付き合いがあるからだろう。幼馴染みという訳では無いが、小学校低学年から知り合っている。


「わかった。東階段から一階に降りて、すぐ左ね。」


「私も一緒に行こっか?」


 隣にいた桜が、心配そうな目で言った。正直、一人で行くのは心細かった。私は、うん、と頷いて、それを了承した。



 *



 そのあと私は、咲良先生からちょっとしたカウンセリングを受けた。

 確かに最近の私は、自分自身でも分かるほど元気を感じられないし、すぐ眠くなる。軽度の倦怠感っていうのかしら。行動するにも、あまり早く移すことが出来ないでいた。

 カウンセリングを受け部屋に戻った後、すぐに夕食が運ばれてきた。美味しかったのは事実だけど、就寝前の今ではどんな料理を食べたのかさえ忘れてしまっていた。

 温泉にも入り、六人の中で一番早く歯磨きをした。そうして、すぐ私は壁の部屋に凭れながらゆっくりと座った。暗闇に降る雨と窓についた水滴を眺めながら、ただ何も考えなかった。今、洗面台には渚紗が歯磨きをしている。


「次依音が歯磨きするからね〜?」


「わーったからこっちに来んなよ!真面目に歯ぁ磨けねぇだろ!」


 そんな楽しげな声が耳に届く。ぼー、としていても、私の耳は周りの音を細かく拾い尽くす。


「何読んでんのー?」


「……あなたには理解し難い内容の小説よ。」


 この声は、桜と彩だ。部屋の隅に座った彩の隣で、本を覗くように桜は見ている。その光景をなんとなく見ていると、私の隣から足音がした。顔を向けると、小夜がまた心配そうにこっちへ来ていた。


「体調はどう?」


「……まあまあかしら……でも、さっきよりかは良くなった。」


「良かった!」


 笑顔になった小夜に、私も笑顔で返す。もちろん、精一杯込めて。

 だけど、小夜からは無理して笑ってると思ってるだろうなぁ。

 小夜は、微妙に空いた襖の隙間へ振り向く。中に入っているのは、折り畳まれた布団だ。その方向を向いたまま、小夜は私に話しかける。


「ちょっと早いけど、もう寝たら?私がすぐ用意するね!」


 立ち上がった小夜は、私の返事も聞かずに襖を開け、布団を出した。


「私も手伝うわ。」


「あ、じゃあアタシもー!」


 そこに彩と桜が加わり、あっという間に私の前に一つの布団が敷かれた。


「どうせだから全員分出そっか!」


「おっけい!」


 桜と小夜が、続けて布団を出していく。一方、彩は私の方を見ながら桜と小夜の手伝いをする。


「咲夜歌はもう寝たら?布団も敷いたし……それとも、眠くないのかしら?」


「あ、ううん。ちょっとまだ眠いかな。ごめんなさい。先に寝るね。」


 彩達の気遣いに甘えた私は、ゆっくりと白いふかふかの布団に滑り込む。その時、一瞬窓から閃光が発せられた。雷だ。

 ゴロゴロと空を唸らし、やがて聞こえなくなる。心なしか雨が強くなった気がした。

 その光景を見たのは、洗面所にいた渚紗以外の全員のようだ。洗面所の前で待機していた依音も、私も含めて五人がその雷に驚かされた。


「うわ!今の雷近くない!?」


「すごかったね〜!」


「やばいよ!」


「今のは流石に驚いたわ。」


「まじでー!?見たかったー!!」


 誰もがこの光景を笑ってやり過ごした。恐怖の対象であろう雷で、こんなにも盛り上がるとは思わなかった。

 和んだ空気の中、私はまた強い眠気に襲われる。大きな話し声を耳が拾って煩いはずなのに、私は重いまぶたを閉じる事しかできなかった。



 *



 地の底から聞こえる大きな地鳴りのような音に覚醒させられた。ゆっくり目を開けると、黒が目に入ってきた。上半身だけを起こし、辺りを見てみるが何も見えない。くぐもって聞こえる雨音に、また眠気に誘われる。が、まだ小さく聞こえる地鳴りの正体が気になり、眠気を背負う重い体で立ち上がった。

 その時、部屋の扉が勢いよく開かれた。そこにいたのは、かなり慌てた様子の伊賀先生だった。後ろから漏れる電気の光に目が眩みそうになる。


「おい!起きろ!!……あぁ、月代!」


 暗い部屋に電気をつけた先生は、布団に立っていた私を見つけた。今の私の顔は、かなり荒んでるだろうな……。


「すまない月代!全員起こしてくれないか?」


「……何かあったんですか?」


 私がそう聞いた瞬間、外から雷が落ちる。後ろからの光で見えなかった先生の切羽詰まった顔が、一瞬だけ映しだされた。

 こんなに先生は慌てているのに、私は意外と冷静だった。だから、何があったのかを聞いた。


「それは……」


 先生は、言葉で喉が詰まる。おそらく、生徒を恐怖にさせたくないのだろう。


「とにかく頼む!全員起こしたら玄関のほうへ来てくれ!」


 そう言い残して、先生は部屋から走り去っていった。私は、早速みんなを起こそうとする。



 !!?



 頭に、ほんの少しだけ痛みが走った。……何かを思い出せそうだったが、思い出せなかったかもしれない。片手で頭を押さえる。



 濁流。流れる木々。暗い雨の中聞こえる叫び声。誰かが落ちた音。



 頭に途切れ途切れに流れてきた。私は、怖くなって、それでも怖気づくことなくゆっくり深呼吸する。今のは一体なんなの……?

 深呼吸は無意味だったかのように、私の鼓動が早くなる。これから、いやなことが起こる……!……早くみんなを起こさなきゃ!!





 洪水が来る!!!


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