話し合い
咲夜歌だけがいなくなった空間で、俺らは昼食をとっていた。と言っても、軽いものばかりだが。
いつも兄貴の隣にいた咲夜歌がいない。そんな状態が、四日続いていた。突然の旅に、俺は正直どうも思わなかったが、兄貴はかなり静かになってしまった。
家事はいつも通りやってくれるものの、浮かない表情から変わることは一切なかった。今もそうだ。テーブルに置いた軽い昼食を、一口食べたあとにすぐ俯いて食べなくなってしまった。
耳も、いつも振っている尻尾も垂れてしまっている。咲夜歌のことを、本気で心配しているのが明らかに分かる。
「兄貴、飯冷めるぞ。」
「……うん。わかってるけど……。」
しかし、全く手をつけない。
咲夜歌が心配になる気持ちは分からなくもない。だが、どうして食事に手が付けられないほどにまで咲夜歌の事を気にしてしまうのか?
……ともあれ、帰ってくるのは確実……ん?
待てよ……。
レフゲ遺跡に行くと紙に書いていた。しかし、遺跡の場所は……
ドンドンドン
玄関から、やや強めにノックする音が届いた。
「俺が出る。兄貴は食べててくれ。」
「わかった……。」
明るくない返事が来た。椅子から立ち、真っ直ぐに玄関へ歩いていく。扉を開けると、黒いスーツを来た背の高いひとが立っていた。
なぜ瞬間移動で来なかったのか、と思った瞬間、ここは仕事場ではなく家だということに気がついた。どうりで正面玄関から入ってくるわけだ。
「失礼します。咲夜歌様はいらっしゃいますか?」
「いいや、いねえよ。」
そいつが、首をかしげた。
「おや、家は別々なのですか?」
「……あーっと?」
言葉の意味が分からず、頭を掻いてしまう。それに気づいてくれたツェルが、少し考えるように顎に白い手袋をした細い手を置く。
すると、また口が開かれる。
「咲夜歌様は、この家に住まわれてないのですか?」
「あー、いや、ここには住んでるが……。」
「今は、どこかへ行かれてしまったのですか?」
「そういう事だ。」
俺は、咲夜歌がレフゲ遺跡へ行ったという事を伝えようとするが、突然、ツェルが俺の後方を指さした。振り返ると、昼食をとっていたはずの兄貴が、いつの間にか玄関まで来ていた。
追い払うように……だと聞こえが悪いが、俺は兄貴に昼食に戻るよう言う。
「どうした?兄貴。飯食べなくていいのか?」
「うん……今、お腹減ってないし……。」
なんとなくだったが、兄貴が昼食に戻らない事は薄々わかっていた。
兄貴は、玄関先に立っていた黒いスーツを着たそいつに気づくと、何か威圧的なものを感じたのだろうか、少し驚いて一歩後ずさる。
「だ、誰?」
「おや、これはこれは。」
黒いシルクハットの影に隠れたツェルの顔が、笑ったように見えた。
「私はツェルと申します。以後、お見知り置きを。」
「う、うん。僕はグラス……。」
「グラス様、ですね。」
ふたりの自己紹介が終わると、兄貴が心配そうな顔でこっちを見る。
「イミラ、いつの間に友達出来てたんだ……?」
「え?あぁ……そうだな。」
兄貴から予想外なことを言われた。ツェルと俺が友達?だったらどんなにいいことか。
「いえ、どちらかといえば私とイミラは」
俺はツェルに鋭い視線を向ける。しかし、ツェルは何事もないかのように言葉を吐く。
「仲間でした。友達とは、また少し違うでしょう。」
「……仲間?」
兄貴が、首を傾げて白い眉を顰めた。俺も、ツェルの意外な言葉に少しだけ口を開けてしまった。しかし、今のツェルの言葉に嘘は無かったため、否定することは出来なかった。
ツェルは人差し指を立て、グラスの方を見つめる。
「そうです。仲間、です。」
仲間、という単語を強調するように言うと、立てた人差し指を降ろす。そして今度は、俺の方へ体を向けてきた。
「ところでイミラ、咲夜歌様がここにいないと言いましたが、何か心当たりはありませんか?」
丁度いい話題を振ってくれた。
「咲夜歌はレフゲ遺跡に行ったそうだ。書き置きにそう書いてあった。多分……本当に行った。書き置きをするぐらいだからな。」
「それは……困ったことになりましたね~……。」
俯き気味に、ツェルは顎に手を置く。
ツェルも、レフゲ遺跡の場所を知っているはずだ。なら、咲夜歌が今置かれている状況も、理解出来るはずだ。
あの遺跡へ行くには、必ず通らなければならない境界のようなものがある。俺が読んだ書物によれば、その境界を越えると戻れなくなるのだとか。それも、ここからしか入れない。向こう側からは一切ここへ来ることは出来ない。
つまり、一方通行なのだ。入ったら最後、戻れない。
「どうする?ツェル。このまま待つ訳には行かないと思うが。」
「…………。」
ツェルが、黙っている。こういう時のこいつは、頭の中で冷静に判断を下すことが出来る。喧嘩が勃発した時は、俺みたいに怒りに任せることなく、ツェルが場を静まらせたことが前に何回もあった。
今回は、喧嘩の鎮火という訳ではないが、境界を越えてしまった咲夜歌をツェルが上手く引き戻せられるだろうか。その冷静沈着な頭で。
「イミラはどう思いますか?咲夜歌が境界を超えたことに関して、どう対処すればいいか、イミラはなにか知っていますか?」
……まさか俺に振ってくるとは思わなかったな。そう質問してくるということは、ツェルはその対処法を知らないということだろうか。俺だって知らないんだが。
「残念だが、俺は対処法を知らないな。連れ戻すとして、俺らが境界を超えてしまえば本末転倒だし……結局、何も出来ないように思う。ツェルはどうすれば良いと思ってるんだ?」
「…………。」
また、黙ってしまった。こいつがこんなに黙ることは滅多に無い。ツェルは少しだけ溜め息を吐くと、顎に置いた手を離す。
「あの境界を壊すことができればいいのですが、もちろんそれは至極無理に近いです。世界に遍く魔法の集合体である境界は、現段階の研究でも未だ解明されていないらしいのです。もしも壊せた場合、壊した後にどうなってしまうのか……。皆目見当がつきません。」
どうやらこの状況、ツェルでもお手上げのようだ。
「え~と……。」
俺らが境界について話し合っていると、話についていけてないだろう兄貴が、俺らに頑張って話してきた。
「きょうかい、がどうとか分からないけどサヤカはどこにいるか分かるの……?」
「……。」
わかっていたが、兄貴は今の状況をあまり理解出来ていないようだ。兄貴を巻き込んでまで話を進ませるわけにはいかないだろう。
「いや、なんでもない。ツェル、また明日来てくれ。明日は仕事場にいるから、そこで続きを話そう。わかったか?」
「わかりました。では、明日の昼十二時丁度に行きます。そのときにまた。」
「いや、朝でいい。なるべく早く話したい。」
「では朝の六時でよろしいですか?」
……残念だが朝は苦手なんだった。
「八時にしてくれ。」
「わかりました。」
ツェルは、ゆっくりと玄関の扉を閉めていった。俺と兄貴がそれを見送ると、扉は勝手に鍵を掛けていった。ツェルの魔法だろうな。
俺は変わらず浮かない表情をしている兄貴を連れて、昼食へと戻ろうとした。
「大丈夫だ兄貴。咲夜歌を連れ戻すさ。」
「……うん。」
咲夜歌がいないと、こんなにも兄貴が落ち込むなんて思わなかった。兄貴を元気にさせるためにも、咲夜歌を連れ戻さないといけない。
今後、ツェルとともに行動しなければなさそうだ。




