画策と純粋の信頼
驚きから口を手で塞ぐ。咲夜歌の見開かれた目は、背の低いそいつのにやけた表情だけが汲み取られる。
明らかな余裕。咲夜歌の気持ちを弄んでいるのではないかと疑うほど口角をあげているリーロディヴは、影のように黒く太い指で、被ったフードの頂点にあたる襟を人差し指と親指で摘む。
「とうの昔に絶滅したはずなんだがなぁ……。」
咲夜歌の心を揺さぶるように、低く響く声で放つ。疑いと脅迫のような感情が含まれる赤い瞳の上目遣いには、可愛さの欠片など微塵も無い。
咲夜歌は、ただ唖然とするしかなかった。自分が人間だと、気付かれたのだから。
気づかれたから何なのだと言われればそれまでだが、重要なのはそこではなく、多種多様な姿をする数え切れないほどのモンスター達に人間の姿で同化し、自分自身もモンスターのひとりであると演じていたが、目の前の黒い団子に人間だと言われ、異世界に来た自分を否定されたことによる怒りから来る唖然こそが重要なのだ。
しばらく咲夜歌は呼吸を整えると、息をゆっくり吸ってリーロディヴの赤い瞳を見据える。
「……なんで、私が……人間だって気づいたの?いつから?」
「さっき言っただろ?前に見たって。それで思い出したんだ。いつからかは……さっきかもな。」
「前って……絶滅って……どういう事なの?人間って……いたの?この異世界に?」
質問ばかりする咲夜歌を、軽蔑するようにリーロディヴは鼻を鳴らす。それと同時に、赤い瞳が大きくなって咲夜歌の群青色の瞳と合わせる。
「ん?異世界だって?」
ボロが出てしまった咲夜歌は、慌てて口を手で塞ぐがもうその行為は意味が無い。すると、リーロディヴも同じく口を抑える。咲夜歌と別の意味で。笑いを堪えるように。
「なんだ?別世界から来たのか??こりゃ……傑作だなァ!ヘヘッ……!」
ついに、咲夜歌は怒りに任せて言葉を吐き出す。
「そ……そうとは言ってないじゃない!証拠はどこにあるの!?」
「その体さ。」
摘んだ指を離し、その指で咲夜歌を指す。
「二足歩行する魔族は結構いるが、言っとくが、その容姿じゃそれらん中でもかなり特異だからな。都会んところじゃかなり浮いたぜ?」
「……。」
咲夜歌の怒りが消えていった。その代わりに、胸に穴が空いていくような感覚が広がっていった。咲夜歌はもう一度呼吸を整えると、リーロディヴの赤い瞳を見た。
夕陽で赤く染まった木々が、風でざわめく。咲夜歌の白い髪も、その風で乱れる。それを、咲夜歌は気にしないで口を開く。
「私を……どうするつもり?」
「どうもしねえよ。」
意外な言葉に、咲夜歌は目を丸くした。
「私を殺したりとかしないの?」
「バカかよ。」
リーロディヴは両手を黒いパーカーのポケットに入れる。
「オレはお前さんの人生や経歴になんて興味ない。人間だというところに興味を持っただけだ。そしたら、別世界から来たんだって?さらに興味が湧いたぜ。」
リーロディヴは、咲夜歌に一歩近づく。重々しいその一歩は、地面にあった木の枝が踏み折れるほど。
「今度はこっちから質問だぜ。この世界について知りたくはねぇか?」
「……。」
咲夜歌は、考えていた。知るか、知らないままにするか。別世界から転移してきた咲夜歌は、もちろんこの世界についての事は一切知らない。自分の都合だけで勝手に解釈してきたものもいくつかある。
こいつの話を聞くべきなのだろうか。
咲夜歌は、答えが決まったのか深呼吸をして、少し俯いてはリーロディヴの顔を見た。口と歯とその赤い瞳しか見えない影の顔に。
「知りたい。……私、この世界の事について無知すぎたわ。」
咲夜歌は微笑む。どこか澄んだような表情で。
「さっきの表情とはまるで別人だな。」
「あなたに人間だって言われて気づいたの。その……もう自分に嘘をつくのは止めようってね。私は人間だわ。」
「そりゃめでたいな。」
丁度その時、遠くから近づくバスが確認できた。咲夜歌はそれに気がつくと、あ、と声を漏らす。リーロディヴもバスが来る方へ体を向ける。
「バスだわ。私乗らなきゃ。」
「都会行きか。オレは乗らねぇな。」
すると、咲夜歌は思い出したようにバス停を見る。名前についてだ。
「そういえば、この世界は名前をつけないのよね?でもこのバス停には、木漏れ日前って名前がついてるわ。」
雨風に長年当たり続けただろう錆びかかったバス停には、微かにそう名前が刻まれている。リーロディヴはそれを見ると、あぁ、と頷く。
「これについても色々あってな。ここら辺、特にこの森は禁忌の領域に近いんだ。」
「きんき……?」
「禁忌の領域。オレが勝手につけた名前だがな。」
禍々しいようなその名前は、この森の近くにあるようだ。リーロディヴは、沈む太陽とは反対側の方向に指さす。
「あっちにある。ま、詳しいことは明日以降だな。バスも来たし。乗るんだろ?」
「あ、はい。これに乗って帰るわ。」
咲夜歌が近づいてくるバスを見る。それを横目に見ているリーロディヴのにやけ顔がさらににやける。
「なあ知ってるか?バスはな、魔法で動いてんだぜ。」
「え、本当!!?」
咲夜歌の驚く姿を見たリーロディヴは、口に黒い手を当てては満足げに、ヘヘッ、と笑う。
「ホントに何も知らねぇんだな。これくらい常識の常識だからな?覚えとけよ。」
「……もちろん。ちゃんと頭に入れたわ。」
咲夜歌は悔しい気持ちで、リーロディヴを視界に入れないでバスを見据える。そろそろ着く。
バスが着くと、両開きの扉が静かに開いた。バスに乗り込んだ咲夜歌は振り向いてその黒い団子を見る。
「じゃ!明日また飲食店で!その時に詳しく話を、ね?……だめかしら?」
「了解だ。」
咲夜歌はリーロディヴの返事を聞いて頷くと、小さく手を振った。すぐリーロディヴも、少しだけぶっきらぼうに手を振ってくれた。
*
「変なやつかと思ったけど、意外とユーモアがあったわね。までも、流石にあの食事量は減らしてほしいけど。」
帰路。バスから降りた後、最南端の半島にある家へ積もった雪に足跡を残しながらさっきの事を思い返す。
リーロディヴとかいうあの黒い男。どことなく不気味さが漂っていたが、むしろそれだけだったようで、逆に咲夜歌は安堵している様子である。もちろん、あいつに疑問があるかと言われれば無いほうがおかしい。
「あんなに沢山食べてるのに、お金とか体とか大丈夫なのかなぁ。」
疑問に思うところはそこではないだろう。問題なのは、人間をなぜ知っているかという点だ。それが絶滅したというのも知っているのだ。不気味だけとはいえ、用心するに変わりないだろう。
咲夜歌は、家の前に着くと深呼吸をする。何やら緊張しているようだ。そして、勢いよく玄関口を開けた。
「ただいま!!」
リビングには誰もいないが、奥の台所には、皿洗いをしている犬獣人のグラスがいた。咲夜歌が帰ってきたことに気がついて振り向くと、途端に尻尾を激しく振っては目を輝かせて、笑顔になる。
「サヤカ!おかえり!」
咲夜歌は荷物を暖炉のそばにあるソファに置いて、グラスに近づいていった。頭を撫でてやれば、グラスは嬉しそうに目を瞑る。もう聞いてやらないが、咲夜歌は相変わらず心の中で叫び転がっている。
「グラスちゃん、聞いてほしいことがあるの!」
「?」
撫でた手を下ろし、その直後に咲夜歌は真面目な顔になる。一瞬の変わりように、グラスは戸惑いながらも話を聞く。
「私、人間なの!!」
「…………??」
長いような静寂の後、グラスは首を傾げた。純粋な明るい緑色の瞳で、咲夜歌に疑問の眼差しを向ける。
「にんげんってなあに?いんげん?」
「え……」
咲夜歌は、不意を突かれたように声を漏らした。咲夜歌も、グラスと同じように、群青色の瞳がグラスに疑問を向ける。
「人間って知らない?に・ん・げ・ん!ほら、昔に絶滅した生物よ!それが私!」
咲夜歌は自分自身に指をさすも、グラスは、うーん、と呻いてさらに首を傾げる。白い眉を顰め、初めて聞いたであろう、人間、という言葉を必死に記憶から少しでも呼び起こそうとしている。
しかし、そんな言葉と無縁に生きてきたのだろう。何かを思い出す素振りも無く、グラスは眉を顰めたまま、傾げた首を戻す。
「ごめん、分からないや。」
「…………。」
思いがけない言葉に、咲夜歌は顎に手を当てる。
まさか、グラスちゃん本当に知らない?こういうのって、学校で教えられたりしない?でももしこの異世界に学校がなかったとしても、図書館の本で知識を得ることだって出来るはず……。私に本を持ってきてくれたグラスちゃんならなおさら。
咲夜歌は考えた末に、結局疑問が晴れることはなかった。グラスに聞けばいいと思うのだが。なぜ咲夜歌はしないのだろう。
咲夜歌が気まずそうにソファに置いた荷物を持ったその時、グラスが咲夜歌の目をじっと見ていた事に咲夜歌は気がついた。
「サヤカは、人間っていう生き物なんだよね?」
「…ええ。」
振っていた尻尾も垂れ下がり、何か迷った様子でいるグラス。そのまま、ゆっくり口を開く。
「僕は……サヤカが嘘をつくとは思えないんだ。変なことばっかり言うけど、それは嘘じゃなくて本心なんだよね?根がとても真面目だっていうのは、とてもよくわかる!」
「……」
咲夜歌は、複雑な心情でそれを聴いては唇を噛んで、無意識に一枚のフィルターを通してグラスを見つめている。
「僕、サヤカが人間だってこと、信じるよ!」
それを聴いた咲夜歌は、ゆっくりと、微笑んだ。
「そ……っか。ありがとうグラス。……ちゃん。信じてくれて。」
「もっちろん!」
咲夜歌のことを信じるグラスを見た咲夜歌は、あることを思いつく。
グラスとともに咲夜歌のバイトをしている飲食店へ行き、あの黒い男、リーロディヴから人間の話を聞き出せば更に信じるのでは、という考えらしい。
「グラスちゃん。明日、一緒に来て欲しいところがあるの。」
「え、僕?それはいいんだけど……。」
煮え切らないでいるグラスの視線は、一階からでも見える二階のあの扉へと向けられている。視線の先は、咲夜歌と同じ同居人である兎獣人のイミラ。
聞こえが悪いかもしれないが、イミラは監視するかのようにグラスにくっついている事がある。部屋は別々であるが、隣同士であるため、隠し事も簡単にできない。
一緒にいない時間があるとするならば、寝る時かイミラの仕事場であるアトリエにイミラがいる時だ。
今の状況を大体把握した咲夜歌は、考えるようにイミラの部屋の扉を見つめる。
「そっか……イミラちゃんとも一緒に行きたい?私は……どっちでもいいわよ。」
「……じゃあ、連れて行ってもいい?イミラ、僕がいないってわかるとどうなるか分からないし。暴走でもしたら…」
「ふっ!!」
咲夜歌が突然吹き出す。
「イミラちゃんが暴走?逆に見てみたいかも!」
「……確かに!」
咲夜歌とグラスは、明日飲食店に行くということを約束した。イミラも忘れずに連れて。




