風景画を描くのは難しい
「それじゃ、行ってくるから。」
朝食をとり終えた兎の獣人イミラは、そう言って玄関へと向かっていった。
「行ってらっしゃい!」
「行ってらっしゃい、イミラちゃごげぶッ!!」
柴犬の獣人のグラスは、変わらずそう言ってくれたが、その横の残念な美少女、咲夜歌がイミラに"ちゃん"をつけようとし、本人に腹を殴られた。そのあとは、何事も無かったかのように家を出て行った。…咲夜歌を少し睨んでいたが。
ここで咲夜歌は、疑問に思った。
「そういえば、イミラちゃんはどこに行くの?こんな朝から。」
「あぁ…まあ、いつものところかな?ええと、仕事みたいなものだよ!それをするために行くみたい!」
「仕事?イミラちゃんの仕事って?」
咲夜歌は聞き返した。
咲夜歌はこの家に住んでから数日が経っていた。それなのに、住まわせてくれているふたりの事を知らないのは失礼だと思い、少しでもいいからふたりの事を知りたいと思っていた。…追加で、この街のことも。今日のような冷静な思考の時などは、積極的に聞いていきたいところだ。
そして今、知ろうとしている。イミラは、どういう仕事をしているのか?
「…わかんない!」
「わ、わからない?」
「わかんない!」
どうやら、お互いの事をよく知っている訳でもないようだ。それとも、単に興味が無いだけか。定かではなかった。
それでも、咲夜歌は諦めなかった。玄関の方へ見る。どうやらもう外へ出たみたいだ。咲夜歌はそこを見ながら、つぶやく。
「なら、ついて行ってまで知ってみせるわ!」
「えぇ?」
戸惑うグラスをおき、咲夜歌は、自室である二階の物置に駆け寄る。颯爽と転移した時と同じ制服に着替えた。もちろん、既に洗濯済みだ。本当、人間みたいな生活をするモンスター達ね。と、咲夜歌は靴を履いて、勢いよく玄関を開けながらそう思った。
さあ、イミラちゃん。どこにいるかしら?
*
「あ、いたわ。」
雪の積もった道を歩いてから、そう経たないうちにイミラを見つけた。どうやら、周りを気にしている様子もなく、苦もなくついていけそうだ。
勿論、安易に話しかけるわけにはいかない。
どこに行くの?なんて聞いてしまえば、良くて無視されるか、最悪の場合、眉間に人参が突き刺さるわ。
…そこまではしないと願いたいところだけど。せいぜい腹パンぐらいで済むだろう。
電柱の陰からイミラを見る。人混みは多いわけではないので、振り向かれれば一巻の終わりであるが、ここからなら安全だ。イミラは曲がって建物の陰へと姿を消す。咲夜歌はその後を追っていった。角を曲がる。
その時、
「お前、何してんだ。」
咲夜歌の目の前に、こちらを見るイミラがいた。…どうやら気づかれていたらしい。
「あ、あぁ…えぇー」
咲夜歌は迷った。ここは、正直に言うべきだろうか?うまくはぐらかそうにも、相手が相手だ。分が悪い。ふぅ、と溜め息を吐く咲夜歌。ここは、下手に嘘を言わずに正直に言うべきだと思った。冷静に、笑って言う。
「ど、どんな仕事をやるのかと思って、えぇ。出来れば、その、案内してほしいなって。」
「…。」
イミラは露骨に嫌そうな顔をする。
…そんなに嫌?
咲夜歌がそう思った時、イミラは頭を掻きながら、あー、と言う。
「なんで…。」
そっぽを見ながらイミラはめんどくさそうに小さく呟いた。
「あぁ、わかったよ。ただ、お前さんからするとつまらないものだと思うがな。」
「やった!ありがとう、イミラちゃ」
瞬間、咲夜歌の耳の近くに何か素早く動くものが聞こえた。それの影響で、咲夜歌の白髪が激しく靡く。咲夜歌は、その正体をよく知っている。
「…懲りねえよな。お前も。」
「懲りる気なんて無いわ!」
「いい加減にしろよお前。」
静かに怒るイミラは咲夜歌を睨みつける。それでも、咲夜歌は動じなかった。
大丈夫だわ。イミラの場合、脅迫の気は強いけどそれを実行に移すタイプじゃなさそうだから、ね。会って数日しか経っていない私の偏見だけど。
「ああぁ…クソッ…とりあえずついて来い。」
「えぇ、お願いね?」
咲夜歌は、イミラがぶっきらぼうに言った言葉を上機嫌に返す。
さてさて、気難しい兎ちゃんのお仕事はなんでしょうね?
胸が躍る気持ちで、イミラについて行った。
*
着いたのは、何やら路地裏のような場所。街の方の明るい雰囲気とは打って変わって、寂れた暗い場所だ。扉が一つだけある事以外は何も無いと言ってもいい。ただただ、何か楽しめるような場所じゃないことは確かだった。咲夜歌は、少し怖い気持ちになってイミラに聞く。
「ね、ねぇ。仕事場所って、ここ?」
「いいや、違う。あそこだ。」
そう言ってイミラは、この場所のたった一つしかない扉に指さす。木製で作られた扉で、脆そうには見えない。むしろ、綺麗に作られており、古いものと入れ替えたのでは、と考える。イミラはその扉に手を掛けて、開けた。
その瞬間、懐かしい匂いが鼻に届いた。
いや、どちらかといえば、嗅ぎなれた匂いと言った方が正しいか。咲夜歌はその匂いに、静かに興奮した。この異世界に来た時とは違う、懐かしい興奮。
ふたりは中に入り、イミラが電気をつける。すると、その匂いの正体がわかった。
木製の壁や床に乾いた色彩。部屋の端にある、大きめの机には、咲夜歌の見慣れたものが数多く置いてある。咲夜歌は、はっ、と息を飲んだ。
「ここが俺の仕事場だ。…まぁ、ほとんどは私的で使ってるがな。」
「ねぇ…。」
説明するイミラに咲夜歌はあることを聞く。既に分かっていたが、それでも、核心的な事を。
「イミラの仕事は、絵を描く仕事なの?」
「見りゃ分かるだろ。」
咲夜歌に振り向いたイミラは驚く。入ってすぐわかったと思っていたから。
ここで、イミラは気づいた。咲夜歌の顔が、いつもと違う事に。あんなに楽しそうについてきた割には、着いた瞬間に真剣な顔になったのだから。気づかない方が難しいだろう。
「そう、よね。……。」
咲夜歌は辺りを見回した。
壁に掛けられた絵画は、どれも美しいものだった。風景画というものだろう。自然の寛大さを大胆に表した風景画や、この街の風景画もある。その中に、一際光彩を放つ風景画があった。咲夜歌はそれに近づく。
「すごい…。」
咲夜歌は深い感銘を受けた。
その風景画は、山が描かれていた。薄い雲で隠れた鋭い頂の場所に太陽を置き、手前に影が来るように描かれている。朝日か、はたまた夕陽かは分からなかったが、咲夜歌はなんとなく夕陽だと思った。
空に描かれた赤色と、緑の無い山の露出した茶色と、それを囲う麓にある木々の緑のコントラストも息を飲む程の美しさがある。こんな怖そうな山なのに美しく見えてしまうのは、咲夜歌の感性がおかしいのか、それともこの風景画の魔力だろうか、今の咲夜歌には分からなかった。
咲夜歌について来たイミラも、その風景画を見る。それに気づいた咲夜歌は、思わずイミラに聞く。
「これ、イミラが描いたの!?こんな、すごい綺麗な…!」
「俺が描いたが…これがどうしたんだ?」
「どうしたんだ、って…!だって、これ、凄いじゃない!!」
咲夜歌は、この風景画のすごさを表そうとして、すごいとしか言えなかった。一方、イミラは訳が分からないとでも言うように顔をしかめる。イミラは、どの風景画も同じに見えるのだろうか。しかし、この山の風景画には、少しだけ思い入れがあった。
「まぁ…確かに、今まででこれが一番時間かかったかな。色の使い分けとか濃淡とかそういうのが一番苦労したやつかもね。」
だって。よく、そう簡単に言えるわね…。私じゃ、絶対にこんなに美しい風景画は描けないわ。きっと、何十年経っても。
咲夜歌は、この風景画から目が離せなかった。何か、引きつける魅力がある。咲夜歌はそのままイミラに聞く。
「題名とかあるの?」
「題名?ないけど。」
もう一つ。
「これって…なんて名前の山?」
「……この山に名前なんてねえよ。」
「…そう。」
どうやら、どちらも名前はないようだ。こういうのって、何か名前をつけたりすると思うのだが。
「じゃあ、俺は描くから。ここにいるなら暴れるなよ。帰ってもらうからな。」
咲夜歌は、返事をせずに頷いた。勿論、あの風景画を見ながら。
*
俺は途中まで描かれた風景画やパレット、筆、水を持って、いつもの場所に立った。持っていたものを近くの小さい机に置くと、その中でも途中まで描かれたそれを自分の前に立てかける。
一方で、あいつはまだあれを見ているようだ。そこまで惹き付けられるか?確かにあれは一番苦労した思い入れのある風景画だ。ただ、正直そこまででもない。
と、そう思えば、あいつはあれから離れて、他の風景画も見始めた。相変わらず、熱い眼差しをそれらに向けていたが。
「さてと、」
俺はパレットに様々な色を少し加えて片手で持つ。もう片方は、筆を持つ。さて、どう描くか。
途中まで描かれた風景画は、いわゆる海底都市というものだ。前に一度だけ行った事があるあの場所を思い出しながら描いているのだが、これがなかなか難しい。
水特有のあの瑞々しさを絵で表現するのは至難の業だ。加えて、海の中にいる描写で考えている。水面に浮き出す空気や波を内側で考えなければならない。それも、断片的な記憶を頼りに。あそこにいた時、上を見ていればよかったと、今更ながら後悔する。
さて、どんな風に描こうか…。
と、水の含んだ筆に、同じく水を含んだ水色の絵の具をつける。構想を練りながら筆を紙の前に構える。
「これもすごいわ!」
「っ!!」
不意に、後ろからあいつの驚く声が聞こえた。俺はびっくりして振り向く。
「これなに!?都市?でも海の中にあるわね…!この途中経過の段階でもうすごいじゃないの!」
「…はぁ…。」
あいつは、今描いているこの海底都市の風景画を絶賛した。俺は、顔をしかめて困る。確かにそう言ってくれるのは嬉しいが、どこか指摘してほしいという気もあった。
「ねぇイミラ!私も風景画描いていい?」
「……。」
あいつはそう言って俺に近寄る。あいつの顔は、興味本位で言っているわけではなさそうだ。笑顔でありながら、真剣な眼差しが浮かんでいる。
「…ご勝手に。」
「ありがとう!イミラちゃん大好」
バシャッ!
俺は筆についた水と絵の具をあいつの顔に勢いよくかけた。
「…止めろよ?」
俺は努めて優しく言う。あいつは顔をしかめ、顔に付いた絵の具を手で拭き取り、見つめる。
「……ふふっ。洗ってくるわ。」
あいつは笑って、入口近くにある洗面台に向かっていった。
相変わらず、あいつの行動も感情も読むことが出来ない。いつか、あいつの事がわかる日が来るのだろうか?俺はそう思いながら、顔を洗うあいつを見つめた。
*
「ここまで…かな。」
イミラの、ふぅ、と息を吐く声が聞こえた。
どれくらいの時間が経っただろうか。咲夜歌も同じように風景画を描いていたが、いつの間にか時間を忘れていたようだ。
…全然、だめね。こんなの。
咲夜歌は自分の描いた風景画を見てみる。この街の風景画を描こうとしているのだが、下書きの段階から既に違和感を覚えていた。こういうものなのか、と気にせずに色を塗ってみれば、さらに違和感が拭えなくなった。
私も絵を描いてるけれど、もしかして、風景画ってかなり難しい…?
咲夜歌も絵を描いていたのだが、その大体は人物像だ。それも、中世のような立体的なものではなく、現代のアニメ風に。加えて、それは人間ではなく人外が多かった。どうやら、人物の性格や特徴を描けていても、風景が相手じゃ勝ち目がないようねと、咲夜歌は思った。
咲夜歌は溜息を吐く。
「イミラ、なんでそんな上手く描けるの?」
「あぁ?…さあな。わからん。」
咲夜歌の隣で描いていたイミラは、首を傾げてそう言う。咲夜歌は質問を続ける。
「こういう絵を描いてどれぐらい経ったの?」
イミラは道具を片付けながら考える。
「……十年くらいじゃねぇか。」
「…十年…。」
咲夜歌は静かに驚く。自分と比べれば、七年もの差がある。やはり、時間と経験が結果へと紡がれていくのだろうか。咲夜歌は、なんだか自分が情けなく思えてきた。
そもそも、よく考えてみれば、モンスターが絵を描くだなんておかしな話だと思っちゃう。自分の考えが覆されたような気分だわ。
しかし、咲夜歌はそう思っただけで、実際人外好きの身としてはかなり嬉しいようで。
だって、ここには無いものがある。有るものも有る。無くなってしまったものもあるけど、ほとんどは無いものが有るじゃないの。
…私には、何も無いけど。
*
「片付けは済ませたか?」
「ええ、使ったものは元の位置に戻しておいたわ。」
咲夜歌は、機嫌よく返した。イミラがそれを確認すると、入ってきた扉に向かってこの仕事場から出ていく。咲夜歌もそれについて行った。外は、寂れた路地裏が出迎えてくれた。空は赤紫色に染められており、もう夕暮れ時だとわかる。
あの仕事場、窓が無いから時間とかも分からないじゃない…。時計も無かったし…。
咲夜歌は、愚痴を心に漏らした。確かに、時計は秒針とかの音が気になるのはわかる気がするが、窓くらいはあってもいいだろうに。
…それとも、時間に縛られないように、窓も時計もないのかしら。
それなら、納得がいく。咲夜歌も、時間に縛られるのは嫌いだったと思うから。そういう、束縛的な何か。
路地裏のような場所を出て、街へと戻る。家々には、既に明かりを灯している家もある。
そういえば、と、この街を見た瞬間、咲夜歌は少し疑問に思った。
仕事場にあったイミラが描いたであろうこの街の風景画。そして、咲夜歌が今見ているこの街の風景。どこか違うような気がした。
あの風景画も、ちょうど今のような夕暮れ時の風景だ。それと今のこの風景を比べると、何か違うと感じたのだ。そして、咲夜歌はこう考える。
風景画だから、そんな完璧に描くことなんて出来ないわ。それに、あの風景画を描いたのがいつ頃なのかというのも分かれば話が変わってくる。きっと、絵を描き始めた頃の風景画でしょう…きっとね。
結局、違和感は拭えないまま家に着く。イミラが家の中に入り、咲夜歌もそれに続いた。…咲夜歌は、一回振り向いて赤く染まった街を見渡しながら。
*
グラスの美味しい夕食を食べたあと、自室である物置に入る。あれから少し掃除して、自分好みの家具の配置にした。
隅に置かれたベッドの近くに、自由に消せる照明器具。隅に丸められたカーペットは、よく埃を取ってから中央に敷いた。階調の効いた赤と青のカーペットだ。意外とお気に入りになっている。
扉の近くに配置したクローゼットには、グラスから借りたパジャマと誰のでもない服が入っている。
…咲夜歌は制服で寝るのは嫌だから、パジャマのほうは仕方なく借りているだけらしい。そのクローゼットの横に縦長の鏡も置いてある。全身が写るような大きい鏡だ。
夕陽の光が入る窓のそばには、机を置いた。その近くにも、幾つもの本が収納された本棚が置いてある。机の上には、お気に入りの万年筆と赤い表紙の日記があった。
咲夜歌は椅子に座り、今日の出来事を日記に綴る。勿論、あのお気に入りの万年筆で。
…
書き終わると、咲夜歌は座ったまま伸びをする。そのまま、窓の外を見る。外はすっかり暗くなり、空には星が瞬いていた。それと、もう一つ。こことはそう遠くない場所の、都会の光がここから見えた。
いつか、あそこにも行ってみたいわね。
咲夜歌はそう思って、椅子から立ちがある。そして、クローゼットから借りたパジャマを取り出すと、部屋を出ていった。
さて、お風呂に入らなきゃね。
*
風呂を終えた咲夜歌は、髪を乾かしてから再び自室に戻る。借りたパジャマを着て、だが。とはいえ、借りたのはパジャマだけではない、ズボンもそうだ。
咲夜歌は、電気を消してベッドに潜った。少し早いかしら、と咲夜歌は思ったが、この後は特に何もすることは無いので、もう寝るのが妥当だと思った。
窓から仄暗い光が入る。それは、星の光なのか、都会の光なのかは分からなかった。
咲夜歌は、目を瞑った。
何が起こるかわからない明日を、楽しみにしながら。
*
「…すぐに帰ってくるから。」
私は弟を元気づけるように言う。弟は、泣きそうになりながらも、強く頷いてくれた。
「……ごめんね。…待ってて。」
そう言って、私は玄関の扉を開ける。
大袈裟かもしれないけど、弟の為にも私は必ず帰らなければならない。
絶対に帰る。
私は、心にそう誓った。




