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記憶の戯言

 

 パチパチと火の粉が舞う暖炉に、向き合う形にあるソファに座りながら本を読んでいた。時刻はもう夜。月も真上にあるだろう時間帯で、俺は眠気を感じる事が出来ずに今はこうやっている。


 あのサヤカと兄貴……グラスはもう寝ている。俺も寝る準備だけは出来ている。睡魔に襲われるのを待ちながら文章に目を落としていると、不意に後方から扉が開く音が聞こえた。


 それを意識して聞くように、俺の長い耳が立つ。歩く足音が聞こえ、やがて階段を降りる足音に変わる。そこでそいつの正体が分かった。


 ペタ、ペタ


 サヤカだろう。あいつはいつも靴下も履かずにこの家を歩き回っている。女なのだから、スリッパぐらいはすればいいのだが。


 階段を降り切ると、また歩き出した。足音と俺の距離はそんなに離れていない。台所に向かっているのだろう。ココアを飲むんだろうな。黙っておこう。


「イミラ。」


 不意に聞こえた俺を呼ぶ声に、思わずそこに目を向けた。サヤカが、台所に立って俺の方を見ていた。微笑むように口角を上げている。いつものサヤカではないと、直感的に感じた。


「ちょっと、こっちに来て。話がしたいわ。」


 サヤカの声であるのは間違いないのに、別人のような声に聞こえる。俺は敢えて疑いの眼差しを向けてそいつを探る。途端サヤカは、その上げた口角を戻して無表情になる。


「マルキス。」


 !!!!!


 思わず俺は目を見開く。それを嘲笑うかのように、またサヤカの口角が上がる。


「話がしたいわ。時間が無いの。」


「……。」


 恐らく、これに逆らうことは出来ない。俺は立ってそこに向かうと、見据えて様子を伺った。


「そんな睨まないでほしいわ。かっこいい顔が台無しよ?」


「話はなんだ。」


 俺は強引に話を進ませる。すると、そいつは悲しそうな表情で俯く。


「まずは謝りたいの。ごめんなさい。……こういうことになってしまって。私の責任だわ。」


 そいつは頭を下げて、俺に謝った。別に、もういいんだが。


「過ぎたことは、今悔やんでも仕方ないだろ。これからどうするんだ。」


「そう、その事なんだけれど。」


 さっきの謝罪が無かったかように、再び淡々と話し出す。


「私を助けてほしいわ。」


「……助ける?」


 意味がわからない。こうやって今ここにいるじゃないか。


「今の私は、意識だけ。咲夜歌の体を借りて、辛うじて意識を保っているの。」


 まるで、俺の考えたことを見透かしたかのように言ったそいつ。そいつは、ふっ、と笑うと、俺の目を見つめる。


「とても興味深いでしょ?報告書に纏めたいくらい。」


「お前の体はどこにあるんだ。」


 俺を惑わすような戯言は聞きたくない。話を進めて、そいつはまた無表情になる。


「『あそこ』にあるわ。」


「……。」


 あそこ。俺は、その場所を大体理解していた。しかし、残念ながらそこはもう行けないようになっているはずだが。


「貴方は、きっかけを与えるだけでいい。私が咲夜歌を導くから。難しいことではないわ。背中を押すだけの簡単なお仕事よ。」


「……俺がもししないと言ったらどうなる?」


「そうね……。」


 そいつは少し考えるように、瞳を右往左往に動かす。そして、また俺と目を合わせる。俺は、今度はその目を合わせないようにした。


「私と、咲夜歌を失ってしまう可能性が極めて高くなる。」


「……。」


 俺は別に、どっちでもよかった。やってもやらなくとも。ただ、これも直感だった。単なる感覚で、決めた。何も考えずに。


「分かった。やろう。」


「頼むわよ?私は見てるから。って言っても、咲夜歌を通してだけれど。」


 そいつは、少しだけ表情を和らげていた。口角が上がるだけではなくなり、笑顔に見える。が、途端に苦しそうに表情が歪む。

 その拍子に足を踏み外したそいつは、俺の胸元に頭を預ける。それを俺は慌てて倒れないように抱える。


「もう…時間なの……。」


 淡々とした言葉も無くなり、苦しみだけに染まったそいつが放つ。


「私を、助けて……今、信じられるのは……貴方、しか……いない……。」


 今にも消え入りそうな声だ。俺は最後に、残った疑問をそいつに聞く。


「これ…ツェルに言っていいか?」


 すると、少しだけだったが、首が上下に動いた気がした。それから、静かに呼吸を繰り返すようになった。


 俺は、しばらく立ち尽くした。頭の中で、状況を整理する。これくらい、単純に理解することができたはずなのに、いつ間にか衰えてしまったのか。風景画を描くだけの自堕落な生活を送ってきたからだろう。


「うぅ……。」


 俺の胸元に頭を預けているそいつが、唸った。そいつが目をゆっくり開けると、上を向いて俺と目が合う。そいつが、段々と頬を赤らめていく。


「わあああぁぁぁぁごめええぇぇぇぇん!!!」


 そいつが慌てた様子で俺から離れた。赤くなった顔を両手で覆い、体を捻ってはプルプルと震える。


「なんで私ここにしかもイミラちゃんにああごめん!!ああああでもすごい体が温かかったしパジャマのスキマから覗く白い毛がもふもふで可愛いいいいですありがとうございます」


「うるせえよ兄貴が起きるだろ。」


 気持ち悪い言葉を並べるそいつを黙らせる。最終的にそいつは何も言わなくなったが、それでもまだ両手で顔を覆っている。

 さっきの時より、別人のように変わっている。これが、本来のサヤカだ。だが……俺はまだ確証を持てないでいた。だから、この疑問を晴らしたい。


「お前は……誰だ。」


「…………え?」


 そいつは、両手を下げて、驚いた様子で俺を見た。


「誰って……咲夜歌よ?私。」


「……。」


 これでも、正直怪しいと感じてしまう。なら、もう完全な確信を持ちたい。気が引けるが、言うしかない。


「俺のことが好きか?」


 それを言った途端、そいつは勢いよく息を吸い込む。それが数秒間続くと、いきなり俺に近づいては抱きつく。


「大好きです大好きです大好きです大」


 なるほどな。これでもう確信を持てた。



 こいつは、『咲夜歌(サヤカ)』だ。



「あー、わかった、わかったから。離せ。」


「ねえねえ私のことどう思ってる?」


 めんどくせ。


「別にどうでもいい。」


 すると、咲夜歌は石像のように固まった。俺に抱きついたまま。表情も、固まったまま。俺は、するりと腕をくぐり抜けると階段まで歩いて振り向く。


「俺はもう寝るから。おやすみ。」


 それだけ言って、俺は二階の自室へ歩いていった。これからの事を考えながら。どうやって、咲夜歌にきっかけを与えさせるかを。




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