人間とカボチャのピアノ二重奏
カボチャ三兄弟の三男であるアルタルスの部屋に、人間の咲夜歌はアルタルスが来るのを待っていた。ピアノを共に弾くために、二十分くらい待っている。だが、来る様子はない。まだ昼食を食べているのだろうか。
先にピアノに触っていたが、いざ演奏するとなると譜面が思い浮かばない。とりあえず指を柔らかくするために適当に鍵盤を打っていたが、このピアノはどうやら咲夜歌はが思っていたピアノより、若干だが音が低い。
……せっかくだから、オリジナルの曲を弾いてみたいわ!
そう思うと、急に咲夜歌の瞳が輝く。頭が冴えたように、自然と自分だけの譜面を思い浮かべる。そうして、ゆっくりと鍵盤に指を滑らせた。
咲夜歌自身でも驚くほど、明るい曲調だ。楽しくなって、鍵盤から指が離れない感覚がする。弾いている最中に、咲夜歌は思う。
意外と上手くいってるかも!
笑顔になって、夢中にピアノを引き続ける。夢中になっていたから、気づかなかった。このまま調子に乗っていく咲夜歌は、思うままに体を反った。艶やかな白髪が、ふわっ、と浮かぶ。逆さまの部屋を見据えて、不意に視界の隅に立っている、背の高いカボチャが見えた。
「え?」
咲夜歌は戸惑う。それは、紛れもなく、咲夜歌が待っていた本人。アルタルスだ。
*
「すごい…上手いな。ピアノ。」
アルタルスの低い声から紡がれる励ましの言葉も、今の咲夜歌には届かない。赤くなった顔を両手で覆い、恥ずかしそうに呻いている。アルタルスは、その彫られた口を開けて、言葉に迷う。
「すごい…上手かった。ピアノ。」
さっきと同じような言葉を出す。今度は咲夜歌に行き届いたのか、激しく何回も頷く。そして止まると、小さな声で呟く。
「……ありがとう…。」
もうひとつのピアノの椅子に座ったアルタルスは、その言葉を聞いて少し安心した。すると、咲夜歌は深呼吸をして、覆っていた両手を外す。まだほんのりと赤い笑顔で、アルタルスを見つめる。
「よし!それではピアノを、教えてください!よろしくお願いします!」
そう明るい面持ちに切り替えて、座りながらお辞儀をした。それでアルタルスは、気が引き締まった気がした。
「お、おう。わかった。」
「隣、失礼しますね~!」
咲夜歌はあまり広くない椅子に座っているアルタルスの隣に座る。アルタルスは咲夜歌より図体があり、かなり椅子を占領していたため、咲夜歌のスペースはぎりぎりだ。アルタルスは、椅子の端まで体を動かすと、頭だけ咲夜歌の方を向く。
「入れるのか?」
「大丈夫!私細身ですから!」
「……多分細身とかこの場合関係ないと思う。俺に非があるよな。」
橙色の硬い頬を指で掻いて、咲夜歌を見ないようにするアルタルス。だが、咲夜歌はそんなの関係ないように、変わらず笑顔でピアノの鍵盤に手を触れる。白いそれを押して音を確認すると、アルタルスの顔へ見上げる。
「それではアルタルスさん。ご指導お願いしますね!」
アルタルスは、少し驚くと、あのいつものような、演奏会や図書館で会った時のようなにやけ顔に変わる。
「おう。」
アルタルスも、咲夜歌と同じように、白い手袋をした透明の太い指を鍵盤に置いた。
*
時間を忘れるほどピアノを教えた。こんな気持ちになったのは久しぶりかもしれない。そうだな。言うなら…ピアノをカルダに教わり始めた頃。あいつは教え方が上手くて、右も左もわからなかった俺を丁寧に教えてくれた。わからないところがあれば、何回もやり直して、出来るまでやった。
いざ教える側をやってみれば、本当に難しくて仕方ない。ただでさえ他人にロクな話もしていないから、教えるのがヘタなのは当たり前なのだが。それでも、目の前のサヤカは、俺の言葉に文句一つも言わず、笑顔でついてきてくれた。
元から上手かったというのもあったが、きっとそれだけじゃないだろう。
不意にサヤカは、ピアノの鍵盤にかかった光り輝く赤い線に気がつく。
「あら…もう夕方?」
共に窓の方を見ると、開けたカーテンから夕陽の光が見え、部屋を赤く照らしていた。俺は、そうみたいだな、と軽く返す。
「どうする?まだやるか?」
俺の言葉にサヤカは、んー、と考えると、もう一台のピアノの方の椅子に座る。ピアノを両手で軽く弾くと、俺の方に顔を向けた。
「最後に、ピアノ二重奏なんてどうでしょう?」
「…一緒に弾くのか?」
サヤカは笑って頷く。
「さっき、私の…どこら辺から聴いてました?」
「あー…最初んとこまで。」
俺は偽りない事実を言うと、サヤカは苦笑いを浮かべながら目をそらして、だんだんとまた赤くなる。
「最初から聴いてたんですね…。」
「…まあな。」
片方の口角だけ少し上げながら、俺もサヤカから目をそらした。するとサヤカは、よし、と意気込んで鍵盤に細い指を置きながら俺に言う。
「覚えていたらでいいので、最初から最後まで弾いてください!盛り上がりの部分で私が入りますので!」
俺はさっきサヤカが弾いていた曲を頭の中で、全体を思い出す。ピアノに太い指を置くと、ふぅ、と一息吐く。
「まかせろ。」
サヤカに聞こえるように呟くと、ゆっくり曲を初めていった。穏やかに、慎重になり過ぎずに明るい気持ちで指を鍵盤に滑らせていく。
もうすぐ、俺の思っている盛り上がりの部分に入るだろう。俺は小さく息を吸って、盛り上がりに音を咲かせる様に鍵盤を軽やかに押していく。そうして、サヤカが軽快に加わってきた。
ふたつの音が合わさり、重みが加わる。それと同時に、ひとつの音だけでは出せない晴れやかな音が、空間に響いた。不意にサヤカがこっちを見る。それに気づいて、瞳だけ動かしてサヤカを見る。
サヤカは、口角を上げて微笑んでいる。俺も嬉しくなって、顔が少し熱くなった気がする。気がする、と思ったが、サヤカが白い歯を覗かせて笑ったから、きっと俺の頬は赤くなったのだろう。
楽しげな音が綴られていく。俺は、純粋に二重奏を楽しんだ。記憶のままに指を動かし、サヤカとのこの時間を楽しんだ。
もしかしたら、俺、本当に…
*
「今日はありがとうございました!」
玄関で靴を履いて、咲夜歌は三兄弟へ振り返る。二男で少年のように一番背の低いカボチャのナインドが、その彫られた口を開く。
「またいつでも来ていいからな!」
その左にいる、長男で咲夜歌と同じくらいの慎重であるカルダは、隣のアルタルスに、にやけながら肩で体をつつく。
「言わなくていいのか?ん?」
小さい声で発せられたその言葉は、アルタルスの顔を赤くさせる。
「いや、だから…お前…」
「ふーん…。」
カルダは企むように、その赤い瞳でアルタルスを見やると、咲夜歌の方へ普段の顔で振り向く。そうして咲夜歌の方に近づいていって耳を貸される。
「実は、アルタルスな」
「わ、わかった言うから!それは言うな!」
遂に耐えきれなくなったアルタルスが、咲夜歌に耳打ちするカルダを制する。カルダは仕方なさそうに咲夜歌から離れる。同時に、アルタルスが咲夜歌の前までくる。
「……。」
何やら緊張しているようだ。煩い心臓を抑えるように胸に手を置いている。心臓なんてあるか知らないが。そうして、遂にゆっくり口が開かれる。
「俺…と、今度…来週の今日に…食事、行きませんか?」
咲夜歌は、無表情だった。いや、呆然とした、と言ったほうがいいか。一度鼻でゆっくり深呼吸をすると、体温が上がってきた。アルタルスを見上げていた頭を、ほかのカボチャの方に向ける。ナインドは、状況が読み込めていないようだ。一方カルダは、にやけている。
咲夜歌は、喉に言葉がつっかえて声が出せないでいた。そしてやっと、出た言葉。
「えっと……」
それが出ると、徐々につっかえが取れていく。だが、声は小さくなっていく。
「皆さん、と…一緒に行きたい…かも。」
アルタルスは、それを言われると、驚いてカルダの方を向く。カルダは、目を丸くしている。予想外な言葉だったのだろうか、え、と自然に出てしまう。
長いような沈黙。しかし、そんな妙な形で張り詰めた空気を、悪意無く純粋に壊す者がひとり。
「僕も一緒に行きたいのだ!」
さんにんは、一斉にその声の主であるナインドを見る。そのうちの一人の咲夜歌が、少し微笑むことが出来た。しゃがんで、ナインドと視線の高さを合わせる。
「うん!ナインドさんも一緒に行きましょ?」
ナインドは、純粋に、嬉しそうに一歩前に出て咲夜歌に抱きつく。
「行きたいのだ!久々の外食なのだ~!!」
咲夜歌はそれを受け止めて、心の中で本音を漏らす。
あああああぁぁぁ可愛いッ!!私多分こういうのに弱いわ…!!
ナインドは咲夜歌に抱きつきながらカルダに振り向く。
「カルダも一緒に来るのだ!」
「え…あー……」
カルダは、考える素振りをして、うん、と頷く。
「行く……。」
「決まりですね!」
咲夜歌はナインドをゆっくり引き離して、立ち上がる。ふとアルタルスの方を見ると、安心したような顔で小さくガッツポーズをしている。それをカルダが見て、アルタルスに放つ。
「アル、あとで話な。」
「!」
驚いて、諦めたような顔に変わり、溜息を吐く。
「わ…かった。」
それを見た咲夜歌は、なんだか微笑ましくなって、ふふ、と笑う。
「それじゃあ!また来週…の朝、でいいかな?ここに来ますね!」
「うん!待ってるのだ~!」
玄関口のテントの布に手をかける。空は真っ暗とは言わないが、赤紫色に染まっている。都会にいるため、ビルや家の光が明るい。
「それでは~!」
咲夜歌はそう言い残して、カボチャ三兄弟の家を出た。そのまま、広い都会を抜け、家に帰っていった。
来週のお食事、楽しみだわ!